前回、スピードスケート大国オランダを制した小平奈緒選手のことを書いたが、それに匹敵する大勝利が生まれた。スピードスケート女子団体追い抜き戦で、再びオランダに勝って金メダルをとったのだ。
オランダは、1500メートル金メダルのブスト選手を始め、3選手ともメダリストだ。日本にも、高木美帆というメダリストが一人いるが、3人の総力を比較すれば勝ち目はない。しかし日本は勝った。思い出すのは、夏季五輪4百メートルリレーで、9秒台が一人もいない日本が、9秒台選手を並べる国々に、リレーの巧みさで勝ったことだ。
勝因は二つあったようだ。一つは、国立スポーツ科学センターで風洞実験を重ね、秒速13.6メートルの風を吹かせて風の抵抗を研究し、3人の隊列の組み方(前後左右の抵抗の受け方)を緻密に研究し、いかに3人の体力を維持していくかを追及したようだ。もう一つは、そうして研究した隊列を損なうことなく、しかも規定に従い3人が交代しながら、いかに2400メートルを滑りぬくか、チームワークを育て上げたことだ。そのチームワークを作り上げるために、彼女らは、一年間に300日以上も共同生活を重ねてきたというのだ。
技術大国日本の、精密な科学実験と、それにこたえる日本人独特のチームワークが合体した勝利と言えよう。力で押し切ろうとしたオランダは、途中に先行したが、緻密に計算されtが日本チームは、最後に余裕をもって勝利した。久しぶりに異常な興奮を覚えたが、それは、科学の成果を実現するチームワークがもたらしてくれたのろだう。
2月22日付毎日新聞一面
北朝鮮問題がからむスポーツの政治利用でうんざりしていたが、始まってみればさすがにオリンピック、初めて見るゲームも含めて、毎日テレビに惹きつけられている。夏季五輪に比して関心の薄かった冬のスポーツも、実に面白いゲームに満ちている。
スポーツといえば何といっても若者! 若い生命力が躍動している姿を見ているfだけで、失いつつあるエネルギーを貰う。特にスノボの導入で、新しいゲームに10代の若者たちが躍動する。我々にとっては全く別の世界であるが、頼もしい限りである。
ところが活躍しているのは決して10代20代の若者だけではない。女子スピードスケート界で、日本に初の金メダルをもたらした小平奈緒選手は31歳である。そして、その長い成長の歴史と周囲の支援体制を知って、驚きと感動を覚えた。
スピードスケートといえばオランダに相場が決まっていたが、彼女はそのオランダに練習の場を求めて、果敢に挑み自己を磨いてきたようだ。しかもその長期に及ぶオランダ生活を支えた、周囲の温かい支援体制があったようだ。松本市にある相沢病院がそれで、相沢孝夫理事長は、全く無名の時から彼女を支援し続け、金額は年間1千万円にも及んでいたという。
相沢理事長は、「なに、私の給料を半分にすれば済むことだ」と笑い飛ばしているというが、この大らかさが、1秒以下を競う緻密な滑走力を生み出し、コンマ何秒か上回ったオリンピック新記録の優勝をもたらしたのだろう。
年齢と言えば葛西紀明選手の45歳だ。実に8回目のオリンピック出場だ。「メダルとは言わない、せめて入賞でも」と私は思い続け、ノーマルもラージも、夜中まで見続けた。しかし、もう一つ元気がないように見えた。さすがのレジェンドもこれまでか…、と私は落胆した。ところがドッコイ! 団体で6位入賞を果たした後のインタビューで、「進化して4年後にはメダルを獲得する」と語っている(2月20日付日経新聞社会面)。
想像を絶する執念である。何とか、あと4年は生きて、彼の「進化したジャンプ」を観たいと思う。
孫の遥人は、早くも2歳9が月になって、ますます活発に動き回るようになった。我が家に来ても、一時もじっとしている時間はなく、六畳の畳の間からリビングルーム、台所と走り回る。とても耐えられないので、近くの公園(上北沢公園)に出かける。
気温は低く風は冷たいが、遥人には全く関係がないらしい。ダウンコートらしきものは着ているが、手に手袋もはめていない。素手で砂いじりをし、滑り台を猛スピードで滑り降り、ブランコに乗り鉄棒にぶら下がる。こちらはついて歩くのが精いっぱいだし、見ているだけで自分の手が凍えてくる感じだ。
遥人に関する投稿の度に書いてきたが、そこには、神秘な生命力(成長力?)を感じさせるものがある。
ブランコだって、しおりチャンと同じ高さに振れるよ
相応の腕力と握力が付いたか、ぶら下がりもできる
ご褒美に頂いた大きなおにぎりを喜ぶ(『豊利乃』にて)
若い生命力と言えば、お隣の国で冬季オリンピックが行われている。日本もメダルを重ねているようで、こちらの生命力にも触れねばなるまい(次回)
昨年に引き続き、今年も多喜二祭に参加した。近年の日本の情勢が、多喜二の再来を求めているのだろうか? 今回は、杉並ゼロホールに1200名が参加するという盛況で、30回記念ということもあってか、弁士も多く、作品(『当生活者』の朗読やバス歌手の歌曲の時間もあり、盛りだくさんの日程であった。もっとも、この歌手は老齢でもあり、もう一つ迫力に欠け、私にとっては頂けなかったが。
記念講演は、小林多喜二の在学した小樽商大教授の荻野富士夫氏。多喜二の一般的な評価「典型的な、理想的な左翼の闘士」(大矢壮一の評言)とは異なる、日常的、人間的多喜二像の紹介などを含め、参考になることも多々あった。ただ、時間の割に盛りだくさんの内容で、もう一つこなしきれなかった感を免れない。
その点、副題に掲げた「小林多喜二の生きた時代と現代」というテーマに相応しい内容で、現代の課題に適格に応えた話は、香山リカ氏のミニ講演「多喜二と私と若者と」と、小池晃氏の「連帯の挨拶」の二つであった。
香山氏は、「多喜二の時代は、一般国民は言いたいことも言えなかった。今は何でも言えるいい時代になったのに、みんな周囲の多数意見の陰に隠れて自分の主張をしない風潮がある。昨年はやった忖度(そんたく)などはその典型だ。これはいけない。これでは、命を懸けて戦争反対を主張して殺された多喜二に申し訳ない。もっともっと声を出そう」と呼びかけた。
小池氏は、「多喜二の時代と現代の決定的な違いは、一つは日本共産党が公然と活動しているばかりか、国会や各地の議会に多くの議席を占めて、その見解を主張していること、もう一つは、多喜二が命を懸けて追及した、反権力の民主勢力の統一戦線が結成されようとしていることだ。多喜二が今生きていたら、この情勢をどのように生き生きと小説に書き、社会変革の活動に邁進したことだろうか?」と、話しかけた。
いずれも、多喜二が追求し続けた社会の民主的変革とそれを生み出す統一戦線の結成は、多喜二の死後85年の時空を超えて実現しつつある、今こそ「多喜二のように生きよう」と、変革に踏み出すことを呼びかけた講演であった。
オペラ普及団体ミャゴラトーリの支援者の集いも、早くも第6回を迎えた。年1回開いているので、活動を始めて6年目になるのだ。昨日2月3日(土)、広尾の「南麻布セントレホール」に、40名をこえる方々のご参集を頂き、実に楽しい会を持たせていただいた。恒例により、オペラ歌手3人による約1時間のミニコンサートに続き、その歌手たちも交えて、おいしいお酒を飲みながら歓談するというものであったが、ご参加者も含め、肩の力の抜けた集まりになってきた、という感じを受けた。
6月に、ドニゼッティの『ドン・パスクァーレ』の公演を予定しており、しかも、これまでの小劇場演劇的オペラを一歩進めて、ライブハウスにおける4日公演という新しいジャンルに挑戦するので、支援者の会の皆さんを始め、いっそう幅広い方々のご支援を期待するところ大である。
ミニコンサートは、そのドニゼッティの曲を始め、国光ともこ(ソプラノ)、寺田宗永(テノール)、大澤恒夫(バスバリトン)の三歌手が、美しいアリアやデュエットを繰り広げた。
『ドン・ジョバンニ』より「手を取り合って」を歌う 国光ともこさんと大澤恒夫氏
『愛の妙薬』より、「ええと、つまり…」を歌い演じる寺田宗永、大澤恒夫氏
『ドン・パスクァーレ』より「愛していると言いに」を歌う国光ともこさんと寺田宗永氏
楽しんでくれた支援者の方々。
因みに、飲み交わした日本酒は以下の銘柄でした。
・日本最古の酒蔵須藤本家(創業平安末期の1140年)の『郷乃誉』3銘柄
「山桜桃(ゆすら)」純米大吟醸。「花あわせ」生もと純米大吟醸生貯蔵酒。
「雪の舞」純米大吟醸にごり酒生生
・『福禄寿酒造』純米吟醸「浦城」赤ラベル
・『天の戸』特別純米酒「美稲(うましね)」
いやあ、いずれも大変美味しい酒でした。