冬季オリンピックを終えて、最後に称えられるべきは、女子カーリングの銀メダルであろう。ロコ・ソラーレというチームについては、語りつくせない魅力があるが、それはさておき、カーリングというゲームの魅力について記しておかねばなるまい。
相互に石を投げ合い、最後にハウスの中央に一番近いストーンを得たチームが勝利する。1チーム4人が2投ずつ投げるので8投しかないが、その最初の投球からガードの石を投げる。先攻がハウスの中央を占めても、後攻に必ず打ち出されるから後攻が圧倒的に有利だからだ。つまり味方が最後にハウス中央に投げるであろう石を守るために、最初からガードの石を投げる。そしてその位置関係が勝敗を決める。
たった8球しかない石の大半をガードに回し、最後の一投にかける。当然相手はガードの石をはじき出しにかかり、その攻防が勝敗を決する。全ては、将来投げられる最後の一石を守るために投ぜられる。その読みと呼吸、いわゆるチームワークが勝敗を決する。「一人は皆のために、皆は一人のために」……、民主主義の極意のようなゲームだ。
聞けばカーリングはイギリスを発祥の地とするようだ。民主主義もまたイギリスを先進国としている(最近どうも、イギリス民主主義も怪しいが)。前回オリンピックの三位決定戦で日本に敗れてメダルを失ったイギリスは、今回、日本に負けるわけにはいかなかったのかもしれない。
やっと咲き始めたわが庭の梅
北京オリンピックも終わろうとしている。日本はメダルの数に湧いている。中でも金メダルを獲った3人は強さを示した。私が強さを感じたのは、いずれも最後の演技で勝利をつかんだからである。
小林陵侑選手のノーマンヒルも、最終滑走で勝利を確定したが、特にスノーボードハーフパイプの平野歩夢選手は、第二滑走で“誰もできない技”を演じながら2位に評価されると、三回目の最終滑走者としてその技をより美しく演じて逆転勝利した。並の強さではできないことではないか?
極めつきは高木美保選手で、5種目出場という超人的な滑走で銀メダル三つを稼ぎながらも金メダルの壁が破れなかったが、最後の種目1000メートルで勝利、しかもオリンピック新記録という記録に限りない強さを感じた。
反面、オリンピックのすさまじさを示すものは、むしろ敗者の中にある。
スノーボード女子ビッグエアで岩淵麗樂選手は、“今まで誰も演じてない”トリプルコークに果敢に挑み、見事に着氷したがバランスを崩し転倒、4位に終わった。しかし各国選手が駆け寄ってその勇気をたたえたシーンは瞼に残る。
三連覇を狙うフィギュアー界の王者羽生選手は、“王者としてどうしても演じなければならなかった”4回転半に果敢に挑戦、成功したかに見えたが着氷後転倒して4位に終わった。ⅠOCはこれを、史上初の4回転半演技に認定した。
4位と言えば、女子フィギュアのワリエワ選手(ROC)。彼女がは、恐らくこれまで一度も経験したことのないような数回の転倒を繰り返し、これまた4位に終わった。リンクから上がる彼女に、コーチが「なぜ戦いを放棄したのか?」と詰問していたが、ドーピング問題にまみれた15歳の少女の闘いの中は何があったかは闇である。
スポーツ界最大のドラマは、メダルと4位のはざまにあるのかもしれない。
昨2月12日午前11時6分、第3回目のワクチン接種を終了した。前2回に続いてファイザーのワクチンであったが、発熱や気分悪化など副作用的なものはなかった。もちろん、接種個所に筋肉痛的な違和感はあったが、手が上がらないというようなこともなく、前2回より軽い感じであった。それだけに、この一連のワクチン接種に何の意味があったのかも、よくわからない。
2回接種しようが3回やろうが、感染する人はたくさんいるという。だから、3回打った人も従来通りマスク、手洗いを励行し、三密も避け、大声での人との接触は避けよという。罹っても重症化が避けられるというのが最大の売り言葉のようだが、コロナ自粛という日常生活は何も変わらないのだ。加えて、にわか造りのワクチンの中身を疑問視する声もある。
では、なぜ3回も接種したのか?
第一の理由は、感染症に対する対処策としては、集団免疫の確立しかなく、放置による集団免疫の形成は多数の死者を出すなど犠牲も大きいため、ワクチンによる集団免疫の形成が人類の叡智(人類の到達点)とされていると思うからだ。
第二に。ワクチンに対する不信など当然ある。製薬会社の膨大な儲けの陰に何があるかわからないぐらいは思っている。事実、ショック死をはじめ不測の事態も起こっている。しかし大勢はこの道を選び、これが人類の到達点だし、もし私に障害を残しても、先行き短い身にさほどの影響はないと思たからだ。
総じて(第三に)、そしてこれが最も大きい理由だが、人間(社会的人間)としての務めを果たそうと思ったからだ。少しでも感染を防ぎ重症化を防ぐ道があるのなら従う、ただそれだけだ。人間として社会への務めを果たしただけだ。
ワクチン接種券と3回の接種証明
今日は立春。従って昨日は節分であった。即ち冬と春を分ける節目の日で、豆まきをして邪鬼を払い、恵方巻を食べて良き日に向かおうとする日である。
豆は鬼の目を示し、「鬼は外」と叫んで外に向かって撒く。撒かれた豆が外の土に生えて芽が出る(鬼の目が出る)と困るので、豆は前夜に炒って(つまり芽が出ないように殺して……本当は皆で食べるために炒るのであろうが)、桝に入れ神だなに備えておく。豆まきが終わると、家族そろってそれぞれ齢の数だけ豆を食べて無病息災を祈る…。
この行事は手がかかる上に、86歳の私も81歳の妻も、それだけの豆を消化する能力を持っていないのでやめた。その代わり恵方巻はたっぷり食べた。
これも本来は、長いまま恵方(今年は北西の方角という)に向かって黙って食べるもの、とされているが、食べやすいように切って皿に盛り、美味しい酒を飲みながら、かつ大いにしゃべりながら食べた。御利益があるかどうかは疑問であるが、美味しく食べて健康には役立ったと思っている。
酒はとっておきの『亀の王』純米吟醸しぼりたて。大晦日に久須美酒造より取り寄せた、正に「春の酒」だ。今日まで保存しておいたのには訳があって、実は、同時に取り寄せた『亀の翁』10年古酒と並べて「亀の翁を味わう会」を数名の兄弟・仲間とやる計画であったのだ。それがコロナのせいで中止になった。しぼりたて新酒の賞味期限も気になり、ついに封を切り、一人で味わうことになったのだ。
そしてそれは、春を待つ恵方巻の味にピッたりマッチして、無上の幸せを与えてくれた。
妻の盛る恵方巻を待つ『亀の王』
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