池澤夏樹などを引用しながら「トルコは遠い」と何度も書いた。事実、パムッカレの石灰棚やカッパドキアの奇岩など、日本では想像できない景観であるので、これは異質の国と思わざるを得ないが、日常接したトルコ――特にトルコの日常人は想像したよりはるかに「近い人たち」であった。
まず、どこに行っても日本語を話す人たちに出会った。JTBツアーが導くホテルや土産品屋は、毎度のことで日本語を話せる人たちをそろえているのだろうが、そうではなく、ひょこっと立ち寄った店でも殆ど日本語で話しかけられた。もちろん観光地であるので、買い物客としては世界一のカモである日本人を相手にしようと勉強しているのかもしれないが、それにしても日本語を話す人の多いことに驚いた。街行く人たちからも、何度も日本語で呼びかけられた。
元を糺せばウラルアルタイ系の同一人種と言われ、容貌はかなり違うがいわゆるヨーロッパ系人種の顔立ちに比べれば似ていると思った。そういえばフィンランド人もウラル系で、フィンランドに行ったときに日本人と同根だなどと言われたが、こちらは風貌がかなり違う。それに比ぶれば、トルコ人の方がはるかに近いのかもしれない。
問題は宗教だ。イスラム教という壁が、トルコと日本を大きく隔ててきたのではないか?・・・と思っていた。
ところが、トルコは宗教の障壁をかなり乗り越えていることを初めて知った。これについては別の項で詳述するが、オスマントルコの崩壊後新たな建国に取り組み共和制を導入して「建国の父」と称されるアタチュルクの政教分離は、ほぼ完全に国民の中に定着しているように見えた。少なくともわれわれを案内してくれたガイド フラット氏はそのことを強調した。
宗教の壁が無ければ、トルコはかなり近いのではないか?
これが今度の旅の一番印象的なことで、その実情に接したことは思いがけない収穫であった。