6月も終わろうとしている。今年も半分を終えるのだ。
「24節気の酒」の夏至の項(6月21日)で、「冬至を基点とすれば今年も半分が過ぎたことになる」と書いた。昼が最も短い“冬の至り”である冬至と、昼が最も長く“夏の至り”である夏至を基準に一年を測る方が、季節感からすれば適切のような気がする。
しかし太陽暦が現れて、冬至の10日ぐらい後が正月となって、一年の始まりとなった。当然、一年の半分の日も夏至から10日ぐらいずれて迎える。何でそんなことになったのか「暦の歴史」を習ったときに聞いたような気がするが忘れた。そもそも全て割り切れない世界を、年や月や週で区切りながら生活しようとするわけだから、本当の季節感などとは離れたものになるのであろう。
季節感と言えば、一番寒いのは冬至ではなく1、2ヶ月後であり、一番暑いのも夏至(6月)ではなく7月の終わりから8月初めだ。太陽光線の届き具合からそのようなことになるのか、人間の決め事と自然の摂理はどうもピッタシこない。
昔の人はもっと自然とともに生きたのだろうが、夏至や冬至をどう捉えていたのだろう? 今は夏は冷房、冬は暖房で、夏至も冬至もあったものではない。こうして人間は自然を離れ、自然を破壊しても罪の意識も抱かなくなったのではないか?
いずれにせよ、今年も6月は終わる。6月は年央にありながらあまり特徴のない月だ。過去の一番思いで深い6月はいつであったか・・・?