旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

自公政権に鉄槌下る

2009-08-31 11:22:58 | 政治経済

  総選挙の結果は予想通りであった。
 
1955年保守合同により発足した自由民主党の半世紀余に及ぶ支配に、国民は退去を求めた。自民党は発足以来、初めて第一党の地位を明け渡しただけでなく、勝者の民主党に200議席近い差をつけられたのである。

  考えてみれば、この政党の支配はあまりにも長すぎた。もっと前に政権交代があって然るべきであったのであろうが、対抗する野党の力不足、社会党や公明党など本来対立すべき政党の政権にじり寄り、そして何よりも、急激な変化を恐れるのか日本国民の決断の遅さ、などにより延命してきた。
 
そして、ついに国民は決断したのであった。それは、ここ数年顕著になってきた格差の拡大、貧困層の増大、福祉・医療・教育の荒廃に見る将来不安、等などに対して、おとなしい日本国民もついに堪忍袋の緒を切ったのである。
 
つまり今度の選挙結果は、以上の諸問題の原因を作ってきた“自公政権10年”に対する、中でも新自由主義に基づく“小泉・竹中路線”に対する国民が下した鉄槌であった。

  公明党の歴史的敗退についても見ておく必要があろう。本来この党は貧乏人の味方ではなかったのか?(実態はそうでもなくて、宗教政党として目指す教義の実現にこそ目的があるようにも見えるが) それが、こともあろうに金持ち、大企業の利益を代表する自民党の補助勢力となった。そして弱肉強食の小泉・竹中路線の尖兵となったのであるから、いつの日か国民の鉄槌を受ける運命にあったのであろう。かつて社会党が、本来は戦うべき相手であった自民党にすり寄り、現在の弱小政党になり下がった轍を踏んだと言えよう。

  もちろん私は、今度の結果をそう短絡的にのみ見ていない。自公勢力もそう甘くは見ていない。大勝した民主党がおごり高ぶり公約実現で手を抜けば、国民は今回と同じ鉄槌を民主に下し、自民に新たな政治を求めるだろう。
 
なにせ国民は、今回はじめて、“自らの一票で政権を変えることが出来る”ことを実感したのだから。

                           


大吟醸「波瀬正吉」を飲む

2009-08-29 10:11:34 | 

 既に先月16日のことであるが、能登杜氏四天王の一人、波瀬正吉氏が亡くなった。静岡の『開運』の杜氏として、全国新酒鑑評会で金賞をとり続け、静岡の酒を世に知らしめた名杜氏である。『開運』の土井社長の悲しみは如何ばかりとお悔やみ申し上げると共に、波瀬杜氏のご冥福を心からお祈り申し上げる次第である。

 その名杜氏が残した酒を、幸せにも飲む機会を得た。東京在住の純米酒普及推進委員のメンバーと親しい仲間8名が集まり、Tさんが購入して持ち込んでくれた「開運 斗瓶取り大吟醸『波瀬正吉』」をみんなで飲んだ。
 久しぶりに大吟醸の美味しさを心から味わった気がした。
 このところ純米酒・・・それも無濾過ものとか山廃とか古酒とか、味を求めて飲む方が多かったが、大吟醸のすっきりした飲み口のよさに改めて感じ入った。
 波瀬正吉という杜氏は、そもそもアル添吟醸造りの名人であったのかもしれない。静岡の酒が、全国新酒鑑評会で金賞をとりつづける先駆けとなった「波瀬大吟醸」の面目躍如の感があった。

 同時に飲んだ酒に、純米大吟醸「天狗舞」、極秘造り大吟醸「梵」などがあったが、同じく能登杜氏四天王の一人中三郎氏の「天狗舞」とは異質なものを感じた。純米酒(大吟醸)とアル添酒(大吟醸)の違いは、明らかに違う酒として分類し、用途につれて(つまり食べ物や、飲む順序)使い分ける時代が来るかもしれないと思った。

 すっきり感について言えば、同時に飲んだ「梵 山田錦10%」だ。10%まで削る必要があるのかどうかは別にして、この酒は極めて豊富な味がした。一般論的には「雑実を防ぐために削る」ことになっているので、私はさぞかし「スッキリした、味の透明な酒」を期待して飲んだがそうではなかった。(ちなみにこの酒は未だ市販されてない)
 こうなってくると、「削り」と「造り」、「使用酵母」など、加えてアル添の仕方などで、日本酒の行方は無限大の可能性を秘めていると考えるべきだろう。
                             
     

               


福見友子選手の柔道世界選手権金メダルを称える

2009-08-27 15:33:07 | スポーツ

 世界陸上マラソンの尾崎選手の銀メダルについて、山下監督との長年にわたる地道な努力で勝ち得たさわやかな勝利と書いた。事前に派手に騒がれることはなかったが、一番地味な選手がスルリとメダルに滑り込んだ感がしたからだ。
 
尾崎選手自体が、自らを「カメのようにのろい」と自覚しており、何よりも「地味で地道な」山下監督が、それを知り尽くして育て上げたに違いないと思ったのだ。

  そんなことを書いていたら(前回ブログ)、世界柔道選手権ロッテルダム大会で、全く似たような選手が今度は金メダルを獲得した。
 
48キロ級の福見友子選手だ。女子48キロ級といえば谷亮子選手やわらちゃんの指定席だ。その谷がちょうど二度目の妊娠で出場しない間に、あっさりとその穴を埋めたのである。

  ところがこの福見という選手は、「谷の穴埋め」というようなやわな選手ではなさそうだ。これまでの実績を見ても、7年前の高校2年生のときに当時65連勝中であった谷に勝って、その連勝記録にストップをかけている。また、2年前の世界選手権国内予選では決勝で谷を破り優勝している。
 しかし
選考委員会は、優勝した福見を代表に選ばず「実績があるから」と谷を選んだ。谷は見事その大会でも優勝しているので、選んだ方が間違っているとは言わないが、福見としては屈辱に耐え得ないものがあったであろう。そのとき彼女は「谷さんに勝って満足感があった。甘かった。」と言ったという(827日付日経新聞41面)。そして「実績をつけるため」に全ての力を今回の金メダルに向けてきたのだ。
 
メダルを手にした彼女は「谷さんと違う経験をしてきた。それが現れると思う」と語っている。それを報じた前掲日経新聞は、「世代交代へ、もの静かな柔道家が大きな一歩を記した」と報じている。

 ここ数年間、まったく谷の日陰を歩いてきた福見は、初めての世界選手権で金メダルを取った。しかし、若し一国2代表が可能で、これまでもオリンピックや世界選手権に谷と共に出場していたならば、常に決勝を谷と争い、一つや二つの金メダルを取っていたかもしれない。
 
24歳の彼女は、今後こそ日のあたる世界の大道を歩きつづけて欲しいものだ。
                            


マラソン監督の資質――尾崎選手の世界陸上銀メダルに因んで

2009-08-25 11:22:27 | スポーツ

  世界陸上ベルリン大会の女子マラソンで、尾崎好美が銀メダルを獲得した。本命だった渋井の欠場後ママさんランナーの赤羽あたりに焦点が集まっていたが、一番地味な選手がメダルに滑り込んだ。
 
尾崎の銀メダルはどんなに賞賛してもし過ぎる事はないが、私はむしろ彼女を育てた山下佐知子監督に注目してきた。

  山下監督は1991年の世界陸上東京大会で銀メダル、翌年のバルセロナオリンピックで4位入賞して、日本の女子マラソンが世界にはばたく先駆けを果たした選手の一人だ。しかし彼女はそのような快挙をさりげなくやってのけて、ライバルの有森やその後の高橋などのようにはしゃぐこともしなかったような選手であった。
 
やがて第一生命の監督になり、ここでも、小出監督監督などのようなはしゃぎやパフォーマンスはないが、確実に良い選手を育ててきた。第一生命の駅伝大会その他の業績を見ればわかる。

  尾崎は山下監督の誕生日に、「カメのようにノロノロした私を育ててくれて有難う」という意味の文章を送ったと言う。レース後山下は「ゆっくりですけど、カメは立派に育ってくれました」と語っている(日経新聞82438面)。
 
レース直後のインタービューに駆けつけた監督は尾崎を抱きしめ祝福した後、「今朝この子に悪いことを言っちゃった。『優勝までは狙わなくてもいいから頑張れ』と言ったのです。言ったとおり素直に2位になっちゃった」と言ってはにかんだ。
 
しかしこの朝の言葉は、監督の“最適な指導”だったのではないか? 若し優勝を狙えなど言えば尾崎は、まさに優勝に絡んだ35キロ以降で堅くなったかもしれない。ほんのちょっと肩に力が入っただけで、メダルはおろか5位にも6位にも落ちるのがマラソンの怖さだ。それを知り尽くした山下の指導であったろう。
 
尾崎は、今月上旬初めて監督が18年前に獲得した銀メダルを見て「自分も欲しいと思った」という(前掲紙)。山下は10年も育ててきた選手に銀メダルを見せることも無かったのだ。そして一番効果的な時期にそれを見せたのではないか?

  山下は、自分に最もよく合う選手を見つけ、それに最も適した指導をほどこしたにちがいない。
                             


24節気の酒 ・・・ 処暑

2009-08-23 10:14:00 | 

  今日は24節気の処暑。立秋が過ぎて半月、秋が深まり涼しくなるどころか「暑」という字が出てくるところがややこしい。それだけに、この処暑という意味の解釈は難しい。
 
広辞林(岩波書店)は「暑さが止み新涼が間近い日」、大辞林(三省堂)も「暑さがやむの意で、朝夕しだいに冷機が加わってくる」となっており、Wjkipediaも「暑さが峠を越えて後退し始めるころ」とあるので、いずれも暑さが去って涼しくなる方に重点を置いているように思える。
 
ところがNPOPLANT  A TREE PLANT LOVE」のホームページによれば、「処暑とは暑さがまだ停っているという意味で、どうりで毎日暑いわけである」と、むしろ暑さの残っている点に重点を置いている。そしてこれの方が実感がある。
 
処という字は「居ること、とどまること」と言う意味(広辞林)だから、そのまま解釈すれば「暑さがまだとどまること」となるのではないか? もちろん、立秋が過ぎてなお「まだ暑さが残ってる」と言う感覚は、「最早暑さの峠は越えて新涼に向かっている」ということを示しているのであろうから、双方の解釈に大差は無いが・・・。その点、『暦便覧』の「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」というのが当を得てるか。

  今年は特に「梅雨から一挙に秋になって、最近やっと夏が来た」と言われるほど厳しい残暑が続いているので、「涼に向かう」よりも「暑が残ってる」印象が強い。
 
その暑い中で、昨夜も日本酒をオンザロックで飲んだ。今晩もそうするだろう。何もこの時節の酒とは言わないが、私は夏はロックや水割りでで日本酒を飲むことが多い。日本酒は通常のものでアルコール度数1516度、原酒や吟醸つくりのものは1718度と度数の高いものが多く、日本人には強すぎる面がある。
 
しかも純米酒は、特に特別純米や純米吟醸、また山廃純米などになるとコクがあり、少々の氷や水を加えても水っぽくなることは無い。もちろんアル添酒は水が加わるとアルコールが浮いてダメだ。良い造りの純米酒のオンザロックは味もコクも残り、むしろさわやかに味わえていい。

  昨夜は「黒牛」純米酒をロックで飲んだ。刺身から鳥のから揚げ、コロッケまで、全てに合い飲み干してしまった。今日は「奥の松」純米酒としよう。(わが家の裏の酒屋が、「奥の松」蔵元の遠縁に当たり、いつも蔵元直送の酒がおいてあるのだ)
                            

              

         


面白かった映画「小三治」

2009-08-21 18:10:53 | 文化(音楽、絵画、映画)

 今朝になってワイフが突然「映画を見に行かない?」と言う。何かと思ったら、下高井戸でやってる「小三治」だという。落語家の映画なら肩の凝ることもあるまいと思い、軽い気持ちで出かけたが、ドッコイ! なかなか骨のある映画であった。面白いと言うより多くを考えさせられた。

 小三治という芸人が、いかに日日苦悩を重ねているかを見せ付けられる思いがした。落語の本番に入る前の「まくら」で名をはせた落語家の一人であるが、「まくらなんて事前に考えておくようなものではない。高座に座って初めて浮かんでくる。まくらばかりを集めた本などあるが、そんなもの意味ない。まくらは一回ごとに消えてしまうものでいい」というようなことを言っていた。
 一瞬一瞬に命をかけているのであろう。

 映画は本人の落語と「つぶやき」をつないだような内容だが、たえずつぶやいていた言葉は、
 「上手くやろう、完全にやろう、なんていつも思うが、そんなもの出来るわけが無い。人間自分の寸法以上のものは出来ない。こんな程度の寸法の人間に出来ることは知れている」
 「話の仕方や芸などどうでもよい。問題は人間だ。」
 「話より心だ」
と言うようなことばかりであった。人間として如何に成長するか? いかに豊かな心を育てるか・・・そればかりに悩む日々のようだ。そしてあれだけの芸を極めた人間が、
 「俺はこの道(落語)
にはむいてない」
と何度も言っていた。

 まくらで鳴らしたこの落語家の映画の、最後のセリフが洒落ていた。
 「まくらだけで本番まで行かなかったこともある。そんな噺家の話など二度と聞いてくれないと思ったら、次の日の方が沢山のお客さんが来てくれた。今度は本当の落語が聞けると思って来てくれたのだろうか・・・?」
                            


トルコ旅行で何を見るか(5)

2009-08-19 21:16:25 | 

 今回のトルコツアー最終目的地はイスタンブールである。思えば、イスタンブールに行くためにこの旅を思い立ったのであるから、最終訪問地としては最もふさわしいと言えるのかもしれない。
 何故それまでにイスタンブールに行きたいのか?

 古代ローマ文明が成熟しきってやがて崩壊を迎える。紀元330年、コンスタンティヌス一世が新しいローマ――東ローマ帝国を打ち立てる。その地が、アジアとヨーロッパの結び目、ボスポラス海峡にまたがるビザンチウムであった。
 ギリシャの一殖民国家であったビザンチウムは、コンスタンティヌスの国――コンスタンティノポリス――コンスタンティノープルと名づけられた。それから1千百有余年、ビザンチン帝国として栄華を誇り続ける。
 西ローマ帝国がゲルマン民族に滅ぼされたこと、反面この東ローマ帝国がキリスト教国家として栄え続けたことは、ローマ文明を源とするヨーロッパ文明はここに生き続けたといえるのかもしれない。

 その栄華を極めた絢爛な都を、その地に新しく興隆したオスマントルコの若きスルタンが欲したのは当然のことであったろう。
 21歳の若きトルコ皇帝スルタン・メフメットⅡ世
は、その英知と数の力(兵力16万と言われる)と、何よりも「夢を追う若さ」で、2ヶ月近い攻防の末この難攻不落と言われた都を落とす。時に1453年5月29日、この日をもって、コンスタンティノープルはイスタンブールと変わったのである。
 その日、白馬にまたがって入場したメフメットⅡ世は、聖ソフィア大聖堂の威厳に打たれ、ひざまずいてアラーの神に祈りをささげた後、即日のうちに、そのキリスト教の殿堂をモスクに改造するように命じたと言う。
 
かくて10数世紀を誇るローマ、ビザンチン文明の遺跡はイスラム文明に上塗りされていく・・・。

 それらの重厚な歴史的産物を、この旅で垣間見るのだ。とにかく「見聞き」はして来るが、その深奥を「観る」ことも「聴く」ことも、二泊二日では不可能であろう。
                            


トルコ旅行で何を見るか(4)

2009-08-17 15:17:04 | 

 トルコ旅行の5日目は、いよいよあのカッパドキアに行くことになっている。
 私は既にトルコに行ったことのある友人に、「あの変な岩のあるらしいカッパドキアには行く必要があるのか?」と質問した。友人の返答は、
 「改まって聞かれると、必要あるかどうかわからないが、折角トルコにまで行って『わざわざ見ないで帰る』必要も無いのではないか? よそでは見られない景色であるので・・・」
と言うものであった。8日間コースの中で、わざわざバスに揺られて遠くまで行くよりイスタンブールをゆっくり見た方がいいのではないかと言う思いと、トルコというと変な岩の写真が載っているので、何となく抵抗を感じていたのだ。
 しかし言われてみれば、トルコを象徴する景観の一つであるならば、「わざわざ見ないで」帰ることも無いだろうと、そこを含むコースとした。

 カッパドキアだけは見なければわからない景観であろう。ガイドブックによれば、「そのルーツは、タウロス山脈が隆起した6000万年前にさかのぼる。これにより生じた東のエルジェス、南西のハッサンなどの火山は長期にわたって火山灰を堆積させ、柔らかい擬灰岩層を形成。そこに流れ込む雨水や風雪の浸食が、この摩訶不思議な風景を造り出した」(わがまま歩き「トルコ」281頁)とある。
 とにかく「わざわざ行って」この「摩訶不思議な風景」をこの目で見よう。
                            


恒例のホテルオオクラ「秘蔵の名品アートコレクション」

2009-08-16 12:08:34 | 文化(音楽、絵画、映画)

 このところ例年、夏休みにホテル・オオクラに出かけ「秘蔵の名品アートコレクション」を鑑賞し、そのあと食事をすることとしてきた。
 今年の出し物は『栄光のオランダ絵画展』となっており、日欄通商400年記念となることから日欄協会の推薦があり、加えて娘の同級生でテノール歌手の前田進一郎君から招待券を頂いたこともあり、恒例のこととして出かけた。

 17世紀から現代までのオランダ絵画が展示されてあったが、一般論的だがレンブラントとゴッホに惹かれた。
 レンブラントの作品はほとんどがエッチングで、「窓辺で素描をする自画像」のほかは、「羊飼へのお告げ」など宗教画がほとんどであった。その詳細な描写と、エッチングによるいっそうの光の描写がすばらしい。
 ゴッホの絵は、まだオランダ北部のニューネンにいた頃(1885年ごろ)の画が多く、後期(と言っても彼が絵を描いた年限はわずか10年であるが)の「ひまわり」や麦畑などの明るい色調は無く、むしろミレーを思い起こさせる「雪原で蒔を集める人々」など、農民を描いた暗い色調の絵が多く、私にとっては珍しく、興味を持った。「白い壷の花(薔薇ほか)」という静物があ
ったが、むしろ清楚で、有名な「ひまわり」シリーズとは似てもにつかぬ画であった。

 そのあと恒例により14階の「ベル エポック」で食事をしたところ、コース料理は以下のとおり、全てゴッホにちなんだものであった。

オードブル 「ゴッホ誕生の地オランダ産チーズを使って」
スープ 「絵を学んだ゛ベルギーのグリーンピース「冷製スープ」
鱸のロースト 「芸術家が集まったパリの『トゥーパリ風』」
メイン 「名画を残したプロヴァンス風『骨付き子羊の網焼き』」
      (ワイフは「国産牛フィレ肉のポアレ」を選択)
デザート 「ゴッホが残した名画にちなんで『ひまわり』」

 これには驚いた。ほとんどの客が絵画展を見た後だけに喜んだことだろう。ややこじつけの感のぬぐえないものもあったが、最後のデザートはまさにひまわりで、早速写真に収めたというわけ。
 何事も遊び心は大事である。ソムリエの平井さんともすっかりなじみになって楽しかった。
                           

 


フランスの友からギフトが届く

2009-08-15 18:36:36 | 

 夏休みのど真ん中・・・、やりたいこと、やらなければならないことは山ほどあるが、「何もしないのが本当の休み」と決め込んで、椅子に寝そべりとりとめなく読書しながら、いつの間にか居眠りをしていた。
 ピン、ポーン、と来訪者を告げるチャイムが遠く聞こえる・・・、「うるさいなー」と無視しようとしたが他に出るものがいないようで已む無く立ち上がる。
 運送屋が大きな荷物を抱えて立っているので、ハンコを押しながら荷物を受け取ろうとすると、宛名から差出人まで横文字だ。目をこすりながら受取人を読むと「SHUTOH 17-9-1 Kamitakaido Suginamiku・・・」とあるので自分に違いない。

 読みづらい送り人の名前を何度も読んで判明したのが、昨年わが家に来たフランス人 ヤンニックYannick夫妻からだ。驚いて開けてみると

  Dear TerukoSan and KazuhiroSan
  We hope that you will enjoy those little things
  typical hrom Provence

という手紙とともに、オリーブやヌガーなどのお菓子、ラベンダーの蜂蜜やさまざまな調味料の瓶詰がたくさん出てきた。その上、100頁に及ぶプロヴァンスの美しい写真集まで入っている。
 昨年来、何度もフランスに誘われ、「フランスのどこに行きたいか」と問うて来るので、「もう一度リヨンに行きたい。その他、未だ行ってないパリと、プロヴァンス地方のブリュワリーを回りたい」と答えたので、彼らは早速『プロヴァンスの風物と食品』の数々を送ってきたのだろう。

 この春、メールで「三週間の休みを取ってベトナム、カンボジアに行く。両国の情報を教えてくれ」などと言ってきたので、「私は未だ行ったこともない。情報など何も持って無い」と冷たい返事をしたままであったが、彼らは何か特別の親密感を持ってくれているようだ。
 昨年、わが家に滞在していたセルジュ一家を浅草に案内した際、同じく来日していたヤンニック夫妻(セルジュ君と同じリヨンに住む友人)も行動をともにし、ついでだからその夜の晩餐に招待した。たったそれだけの間柄であるが、他国で一晩でも「普通の家庭に招かれ夕食をともにした」体験を、彼らは忘れていないのかもしれない。

 世界はいよいよ狭くなってきている。このような友情はもっともっと大切にしなければならないのであろう。
                            


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