旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

大国は北朝鮮問題で何を語り合うべきか? … シチリア・サミット(つづき)

2017-05-30 15:03:57 | 政治経済



  シチリアの歴史は大国侵略の歴史であり、紀元前でも、フェニキア(カルタゴ)、ギリシャ、ローマと続いたことを前回書いた。紀元後もそれは続き、大きいものだけでも、ビザンツ帝国(535年)、イスラム(903)、ノルマン(1061)、ドイツ(1194)、フランス(1268)、スペイン(1412)、オーストリア(ハプスブルグ)(1720)、スペイン(ブルボン家)(1721)ナポリ王国(1816)と続き、1860年のガリバルディのシチリア上陸により、ようやくイタリアは統一されるが、シチリアが特別自治州として自治を取得するのは1946年、第二次大戦終結をもってである。
 これら大国は、前覇者の上に自分の文化を上塗りし、次覇者を前に次々と去っていった。つまり別の観点から見れば、歴史は大国の敗北(退却)の記録でもある。そして原住民のシクリ族(前1300年頃入植)は、それらが残したいい点を吸収し悪いものは捨て去り、現在のシチリア文化を育てて生き続けているのである。
 この地で開かれたG7「シチリア・サミット」で、現在の大国は何を学び何を話し合うべきであったのか? 26、27日二日間行われた同会議では、保護主義、環境問題(パリ協定)、北朝鮮問題、テロ・イスラム国問題、クリミア問題などが主要なテーマで、多くの問題で意見の相違もあったと報じられている。その中で、最も威勢よく、声高に語られたのは北朝鮮問題のようであった。つまり、「核開発を断じて許さない」、「断固非難する!」というものだ。
 ところが、これらの声はその威勢にもかかわらず何の効果も発揮していない。北朝鮮はその翌日ミサイル発射実験を行い、こともあろうにそれは日本の領域内(排他的海域)に落下している。北朝鮮はG7を無視して、「実験の成功」を高らかに宣言している。
  G7の発言はなぜ効果がないのか?
  集まった現在の大国たちは、全て核保有国(ないしは核の傘に身を置く国)である。彼らは、「俺は核をたくさん持っている、しかしお前は持ってはいけない」と言っているのだ。この主張は通らないのではないか? 「俺は持つがお前は持つな」という主張に道理がないのは、子供でも分かることだ。私は、北朝鮮はけしからん国だと思っている。できれば存在してほしくない、とすら思っている。しかしこの点だけは、北朝鮮に同情さえしたくなる。北朝鮮からすれば「大国さんよ。お前には言われたくないよ」てなものであろう。
 現代の大国首脳たちがシチリアで話し合うべきは、「俺たちも核兵器を削減していこう。それを実行に移しながら、『北朝鮮よ、俺たちも放棄するからお前も持つな』と呼びかけよう」ということではないか。これは決して夢物語ではない。核戦争の危険がここまで迫ってきた現在、国連をはじめとしたあらゆる場で、この原点に立った話し合いが行われるべきであろう。
 過去の争いを反省し、人類が叡智を傾けて話し合うには、シチリアは格好の地であったのだが……。





タオルミーナという街 … シチリア・サミットに因んで

2017-05-26 14:11:10 | 



 今年度の「G7・サミット」が、シチリア東部の街タオルミーナで開かれると聞いて、あの「シチリアの旅」を懐かしく思い出していた。すでに12年も前のことであるが。
 シチリアは、地中海の真ん中に浮かぶ三角形の島である。首都パレルモを擁す北側の海岸線はティレニア海に面し、ローマ帝国、ナポリ帝国、ヨーロッパ列強に向かってきた。南側の線は地中海に面しアフリカと対峙する。古くから、いわゆるカルタゴ戦争に明け暮れてきた。東側はイオニア海に面し遠くギリシャを臨む。ギリシャ文明の跡を色濃く残すシラクーサ、カターニアなどという美しい名の街が並ぶ。
 
その中の一つがタオルミーナで、名前の美しさでは引けを取らない。シチリアの名峰エトナ山の山裾にできた瘤のようなタウロ山が、イオニア海に流れ落ちる絶壁にへばりつくように生まれたこの町は、イタリア屈指の名勝といわれている。知る人が多いであろう映画『グラン・ブルー』の舞台となった街である。そういえば『グラン・ブルー』は、美しい海と坂道の多い街並み、強烈なシチリアの太陽に輝くホテル「サン・ドメニコ・パレス」、主人公ジャックとジョアンナが恋を育んだウンベルト通りなどを、いやというほど見せつけてくれた。
 しかし、シチリアの有史3000年の歴史は、大国の侵略の歴史でもある。紀元前814年頃のフェニキア人のカルタゴ建設に始まり、前756年のギリシャ人の入植、前264年のローマのシチリア遠征と続く。従って、東海岸のシラクーサやカターニアには、夥しいギリシャ・ローマの遺跡が残っている。
 タオルミーナにも、郊外の切り立った岸壁の上に大規模なギリシャ劇場跡が残されている。ゲーテは、その劇場の最上段に腰を下ろし、エトナ山からカターニャ、シラクーサまでの美しい海岸線を眺めてこう記している。
「見渡せばエトナ山脈の山背は全部視界に収まり、左方にはカタニア、否シラクサまでも伸びている海岸線が見え、この広大渺茫たる一服の絵の尽きるところに、煙を吐くエトナの巨峰が見える…」(岩波文庫『イタリア紀行(中)』154頁)

 シチリアを侵略した大国は、前の文化に自分の文化を上塗りして次々と去っていったが、自然界にあってはこのエトナ山が破壊と豊饒を繰り返した。何回にも及ぶ大噴火と大地震、中でも1693年の大地震ではこのタオルミーナも全壊したといわれるが、反面、噴火による火山灰が豊かな土壌を育て、たぐいまれな豊富な果実や農産物を育んできたのだ。
 禍福はあざなえる縄のごとしというべきか。このような歴史が刻まれた地で開かれる「G7」、現代の大国首脳たちは、そこで何を語り合うのであろうか? 

     
           カターニャからエトナ山を望む(2005年3月6日撮影)


ミャゴラトーリの『リゴレット』公演迫る … 岩田達宗演出第4弾

2017-05-18 13:42:34 | 文化(音楽、絵画、映画)



 娘の主宰するオペラ普及団体ミャゴラトーリの『リゴレット』公演が半月後に迫った。6月4日(日)、新宿区の牛込箪笥区民ホールで15時の開演である。小劇場演劇的オペラとして、シリーズ的に岩田達宗氏の演出になるもので、『ラ・ボエーム』(2014年)、『カヴァレリア・ルスティカーナ』(2015年)、『カプレーティとモンテッキ』(2016年)に続く第4弾である。
 『リゴレット』というのはどんなオペラか?
 原作はヴィクトル・ユーゴーの戯曲で、その題名『王は愉しむ』が示すように、主人公のテノール・マントヴァ公爵の放蕩物語(女たらし物語)がまず頭に浮かぶ。代表的なアリア「女心の歌」(♪風の中の羽根のように いつも変わる女心・・・)がそれを示している。
 一方、オペラの題名でもあるリゴレットに焦点を当てると、心も凍るような悲劇が浮かぶ。リゴレットはマントヴァ公に仕える背むしの道化師で、辛辣な発言や立ち居振る舞いで宮廷人に嫌われる存在だ。そのリゴレットが宝物のように育てたのが娘のジルダ。家からも出さず大事に育てた16歳のジルダは、マントヴァ公の巧みな誘いに堕ちる。それを知ったリゴレットは、殺し屋に大金を払ってマントヴァ公の殺害を計画、しかし、すでにマントヴァ公を慕うジルダは、その身代わりになって殺し屋の手に罹る。リゴレットが「してやったり」と殺し屋から受け取った袋から出てきたのは、マントヴァこうではなく、シルダであった。彼は大金を払って自分の娘を殺すことになったのだ。
 この複雑な物語を、全く別の視点から見ることもできるかもしれない。
 このオペラには、二人の重要な女性が登場する。一人はジルダで、動機はともあれ深窓で育てられたこの女性の純愛を受けたマントヴァ公爵は、彼女の中に、それまでの女性と全く別のものを見たかもしれない。言葉は平凡だが「掃きだめの鶴」であっただろう。
 もう一人、こちらは掃きだめをこそ住処(すみか)とする、夜ごとはした金で体を売る売春婦マッダレーナという女性がいる。彼女の兄が前述の殺し屋で、つまり彼女は、「殺し屋の兄を持つ売春婦」という、社会の最下層に生きる女性である。しかし彼女にも愛は芽生える。マントヴァ公の暗殺を知るマッダレーナは、「何とか命だけは助けて」と兄に願う。その結果身代わりとして殺されるのがジルダとなったのだ。マントヴァ公は、このマッダレーナの愛をどう受け止めたのだろうか? 因みにマッダレーナとは、イタリア語で、「マグダラのマリア」の意、キリストが娼婦の中で唯一許した女性である。

 これらのことを、オペラ界の鬼才岩田達宗氏がどう描く出すのであろうか?

     






 

 

 

 


東西の二つの大統領選(フランスと韓国)は何を残したか?

2017-05-11 15:52:11 | 政治経済



 今年前半の世界政治の注目点は、フランスと韓国の大統領選挙であったであろう。結果的には、どちらも平穏な選択がなされたといえるのであろうが、争われた問題の根深さは深刻だ。
 まずお隣の韓国であるが……。
 韓国は、東洋にあって日本に次ぐ経済成長国とみられてきたが、その内実は想像以上にいびつなものであったことが、このところ明らかになっていた。企業構造自体がピラミット型でなくいびつなようだ。一部大企業がトップに聳えるが、次を支える中企業がなく一挙に零細企業となり、それらは雇用力を持たない。若者たちの夢はトップ企業に集まるが、その狭き門はその夢を受け付けない。にもかかわらずそれを目指す厳しい受験競争、教育競争が続く……。
 この格差社会とそれが生み出す貧困が、おおい難き閉塞感を生み、今回選挙で9年ぶりの革新政党を選んだ。選ばれた文在寅(ムン・ジェイン)氏は、朝鮮戦争時代に北朝鮮から逃れた難民で、極貧の中から立ち上がった政治家として、格差や貧困は知り尽くしているだろう。従って、「戦争や核競争をしている暇などない」と、内外に融和を呼びかけているが、議会に確固とした基盤を有しているわけではなく、果たしてその思いを実現していくことができるだろうか? 大いなる期待を抱くが。
 フランスはどうか? 大先進国、爛熟期にあるフランスは、もはや飛躍的な成長力を発揮するバイタリティはなく、韓国と同じく青年層の高い失業率に悩まされ、折しも発生した難民問題を機に、移民拒否を旗印にする排外的極右「国民戦線」が台頭、党首ルペン氏の支持率は一時トップを伺うほどであった。
 さすがにフラン人の良識は、ルペン氏に大差をつけてマクロン氏を選んだが、マクロン氏はまた、確固とした基盤を持たない中道派で、その主張に新自由主義的思想がみられることから、貧困と格差の解消を求める労組などから早くも反対の声が挙げられている。決選投票で11.5%の白票・無効票が投じられたことも、フランス国民の閉塞感が現れているといえよう。

 洋の東西における大統領選挙で、図らずも貧困と格差の問題が改めて問われている。この問題は、単に南北問題や低開発国の問題ではなくなり、日本を含めた先進国の問題になってきた。経済発展、裕福な生活の実現を旗印にしてきた資本主義のあり方が、今ほど問われているときはあるまい。

 


祝日みどりの日 … 井之頭自然文化園の緑を楽しむ

2017-05-05 22:51:05 | 時局雑感



 5月4日が「みどりの日」として祝日になって久しいが、これまでその日を意識したことは殆どなかった。しかし、気が付けば庭のハナミズキは白から緑に変わっているし、甲州街道のケヤキは、鮮やかな緑を5月の青空に誇っている。緑が一番美しい季節であろう。
 ちょうどその時、次男が、孫の遥人を動物園にでも連れていきたいが行かないか、と誘ってきた。そこで選んだのが「井之頭自然文化園」…、象の花子さんはなくなったが、そこそこの動物もいるらしいし、「5月の緑」に浸るには格好の場所と出かけた次第。行ってみれば、この祭日期間は「入園料無料」で開放中、子供連れを中心にごった返していたが、まあ、それの方が祝日らしく、遥人にとっても賑やかで楽しかったかもしれない。
 何よりも緑が美しかった。初めて「みどりの日」を実感した。やや、ほこりに霞んだ緑ではあったが。それに、孫が喜んだのが何よりだった。動物にも触れ、乗り物も楽しんだ。広い公園の人込みの中をいつまでも駆け巡っていた。

 
          

                  
           何を考えているのだろうか?

      
              

 
       
          遥人が一番喜んだのは、ママと一緒に電車に乗ったことでした。



 

 

 

 

 



 


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