久しぶりに映画『武器なき闘い』を見た。既に4.5回は見たと思うが、見るたび感動が勝る映画だ。練馬区栄町のギャラリー「古藤」の山本薩夫監督映画特集(膳13本)の中の一本だが、山本監督映画の中でも最高傑作のひとつではないかと思っている。
京都は宇治の料亭「花やしき」の御曹司で、京大教授の生物学者山本宣治(通称“山宣”)が、昭和4年の治安維持法改悪法案に反対する国会演説の前夜、右翼に殺害されるまでの短い生涯を描いたもの。とかく「弱い人間」の代表のように言われるインテリゲンチャであるが、科学的信念に裏付けられたインテリの強さを、これほど鮮明に示した例があるだろうか。
見るたびに心に残る「山宣の名セリフ」をいくつか書き残しておく。
・若い活動家の結婚祝いに指輪をあげると、「ブルジョワ趣味だ」と突き返されて
「いつか君に言いたかったことは、張り詰めた糸は切れやすいいうことや」
…この若者はやがて闘いの激しさの中で裏切る…
・料亭の酒の燗番でチビチビやりながら、番頭さんに
「一杯どうやや、こんな酒今に飲めなくなり、芋ばかり食わされるぞ」
・選挙演説の後、「先生本当に頼みますよ」と不安げな支持者たちに、
「ウソを言わないのが私のとりえや。みんなの声は国会でそのまま話す」
・野党議員も全て懐柔され、治安維持法反対演説をやる者はいない。「君しかいない。日本の将来のため何としてもやってくれ」とオルグされて、彼は寂しく呟く
「殺されてもやらんとあかんのかなあ…」
彼の不安は的中する。しかし「ウソをつかない」唯一のとりえは彼を動かし、関西の全農党大会で「山宣ひとり孤塁を守る。だが私は怖くない。後ろに大衆が付いているから」と言い残して上京する。その夜、国家権力の差し金で殺害されたのである。
いつ、どこで、何が起こるかわからない。
東京大学の門前で、受験生が突如刺された。京王線の客席で、無防備の客が無差別に刺された…。予期しないような豪雨に見舞われ、何年も前に埋められた土石が流され、何十名もの命が失われる。
8千キロも遠い南半球のトンガで、海底火山が爆発した。津波は日本まで届き、いくつかの漁船を流した。周期的に見て富士山の爆発も予見されている。あの美しい富士山が、日本で一番美しい光景とされる富士山が、いつか爆発するというのだ。
いつ、どこで、何が起こるかわからない。
人類は、何が起こるかわからない危険物の上で暮らしているのだ。
火山、地震、豪雨、干ばつ、
貧困、飢え、狂気、無差別殺人
そして、核兵器、……
核兵器に至っては、その保有国は国連の禁止決議、批准の進行に見向きもしないで、むしろ軍拡に向かっている。人類は、特にその為政者は、進歩の道ではなく狂気の道を進んでいるのである
いつ、どこで、何が起こってるかわからない。
1月も前半を終えた。これでいわゆる正月(元旦、さんがにち、7日(なぬか)正月、15日正月))は全て終わった。終わりのしるしに、15日にはお飾り餅をおしるこに入れて食べる風習があったので、テレビの横に飾られていたお餅を食べようと思ったら、すでになかった。早くもだれか食べたのだろう。
この間、意外にいろいろなことがあった。3日にはミャゴラトーリの新年会が我が家で開かれ、名だたる方々の多彩で豊かな文化論を聴いた。11日には、その中の一人大澤恒夫氏(バスバリトン)のリサイタル(西新宿ガルバホール)を 聴いた。力強いヴェルカント発声によるイタリアオペラアリアから日本歌曲(啄木「初恋」、藤村「椰子の実」)まで、大澤氏の巾広い実力を十分に味わった。
前年度のブログの製本も、昨日までに編集を終え発注した。夥しい入力・変換ミス、誤文・誤字・脱字の訂正にうんざりした。付録の「オリジナル写真カレンダー」も「妻照子の海外旅行12景」として編集、発注したので、ブログも15年目の冊子となって今年につながることになるだろう。
これで正月は終わったが、終らないのがコロナである。オミクロンの勢いが止まらないどころか、感染者は急増している。ただ、重症者はほとんど発生せず、東京都では3~4名にとどまっている。1千万都市で3~4名とはゼロに等しく、もしこのような状況で収束に向かうならば、普通の風邪、少なくともインフルエンザ以下に収まるだろう。そう願ってやまない。
各地の大雪情報が伝えられている。しかし気象庁も気象予報士も、東京は大したことなく降ってもチラホラで、積っても1,2センチと言っていた。
予報通り昨日昼頃からチラホラ雪が舞い始めた。ところが「やがて止む」どころか、雪粒はドンドン大きさを増し、止む予定だった夕方から夜にかけて「東京大雪警報」となり、瞬く間に「都心で10センチ」が報じられるまでとなった。
家から一歩も出ない私は、不遜にも窓越しから見る美しい雪景色を楽しんだのであるが、通勤者は足を取られ、各地で車が立ち往生して、時ならぬ災難となったようだ。ところがその雪は、翌日(今日)の快晴で私の目の前からは、これまた瞬く間に消えてしまった。
何かおかしいのではないか? 気象庁の予報をあざ笑うかと思えば、冬らしく雪景色が続くこともない。全てが異常だ。コロナ患者の第六波の増え方も異常だ。気象庁どころではない。今や人類は、人智の及ばない次元に向かっているのではないか?
酒と旅を趣味としてきて、たまたま2006年に『旅のプラズマ』という本を出したことから、翌2007年から始めたブログのテーマを同名の旅のプラズマとした。しかし、年を経てほとんど旅に出かけることもなくなり(もう一方の酒は毎晩飲んでいるが)、昨年分の冊子から表題を「老いのたわごと」と変更した。
それにつれて、ブログの表題も「老いのたわごと」に変更する予定であったが、そのまま放置して一年が過ぎた。だらしない話だ。加えて視力の衰えから、変換ミス、入力ミス、誤字脱字の山で、およそブログを投稿する能力を失っている。
昨年、いつかはブログをやめよう…、と思い続けてきたが、これまただらだらと書き続けて一年が過ぎた。だらしない話だ。
年が明けて今、やめようとする気持ちと、どうせ自分のために書き残す日記(週記?)のようなものだ、何か気になることがあったら書き残すことぐらいやったらどうだ、という気持ちが葛藤している。
続けるなら、表題から趣旨、経歴、写真など全て更新したい。しかしそんな面倒くさいことやってられない! ああ、どうしよう。まさに老いのたわごとだ! このまま一年が過ぎるかもしれない。たわごとにも至らないで……。
元日の酒『亀の翁』