旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

2015年のスーパームーン

2015-09-30 22:05:49 | 時局雑感

 

 人並みに「今年一番のスーパームーン」(中秋の名月の翌日、宵待ちの月?)を撮りましたので、記録としてブログに残しておきます。来年再び見ることがあるか分からない、という思いも込めて…。
 この日の月は、地球に最も近いので、普段より大きく明るいとのことです。(9月28日午後7時台、わが家のベランダより撮影。三脚を取り出す労を惜しんだので、鮮明さを欠くが)

   

      
   
        
               
       


お酒のさかな 食べ物篇(5) … かまぼこ、ちくわ、薩摩揚げなど

2015-09-26 14:48:24 | 

 

 国会の戦争法案騒ぎで、お酒のさかなの話など忘れていた。酒は忘れないで毎日飲んだけど。
 私はいわゆる練り物が好きだ。蒲鉾、竹輪、薩摩揚げなどの類である。小泉武夫氏の『食に想う』によれば、平安時代の『類聚雑要抄(るいじゅうざつようしょう)』に既に竹輪が登場し、室町時代の『宗五大双紙(そうごおおぞうし)』には、ナマズを原料とした蒲鉾が書かれているという。日本には古くからある食品(魚類)加工物であろう。小泉氏によれば、「ナマズは形相がよくないのですりつぶして食べたのかもしれない」とある。現在もナマズの蒲鉾ってあるのだろうか? あまり食べたいとは思はないが。
 この種の練り物は、一般的にはスケトウダラやサメ類が使われ、その魚肉のすり身を調味し焼いたり蒸したり加工したものだ。江戸後期以降は、鯛やハモ、エイ、コチなど高級魚も使われるようになったようだ。子供のころ、母が高級な蒲鉾を買ってくるたびに、「これはエソの身が入っていて美味しいよ」と言っていたことを思い出す。エソが高級魚かどうか知らないが。
 高級なものと言えば半片(ハンペン)とされているが、これは魚肉のすり身にヤマイモの粉末を混ぜて調味したもので、その白く柔らかい味が何とも言えない。おでんの具はほとんどを好むが、最初に皿にとるのはハンペンである。
 魚のすり身を揚げたもの(薩摩揚げの類)を、わが大分県ではてんぷらと呼ぶ(四国もそうらしいが)。東京でいうてんぷら(野菜や海老などをころもにまぶして揚げたもの)類もてんぷらと呼んでいたので、今思えば何で区別をつけていたのだろうか? 前者が「てんぷら」で後者が「天麩羅」であったような気もする。
 いずれにせよ、酒の肴としてこれほど好むものはない。私は飲み屋に行って肴に迷うと「板わさ」か「イカ納豆」だ。浜松町の行きつけのそば屋で、席に座るや否や「会津ほまれと板わさ」と注文するので(その店には純米酒は会津ほまれを置いてある)、そのうち注文しなくても会津ほまれと板わさが出てくるようになった。先日久しぶりに昼食の蕎麦を食べに行くと、まかないのおばちゃんに、「何で夜お酒飲みに来ないで昼飯などに来るの。会津ほまれがふやけて、板わさが腐ってしまうワ」と叱られた。
 たまにはほかの品も注文しなければ、と思っている。


ラグビーW杯の対南ア戦勝利が、これほどの奇跡とは知らなかった。

2015-09-22 11:39:08 | スポーツ

 

 ラグビーW杯での南アフリカ戦で勝利したことが、奇跡と騒がれ日本中を熱気が包んでいる。私はこれがそんな大変なことであったのか、ということを全く知らなかった。
 私は大分県臼杵高校の出身であるが、もちろんラグビー部があり、同級生たちが毎日泥にまみれていたことを思い出す。大分県には舞鶴高校という強豪チームがあり、花園の全国大会に出場するたびに応援してきた。妻の実家の長兄は、国学院久我山高校の同窓会長をやっており、同高が出場するとこれまた花園まで応援に行っている。新日鉄釜石や神戸製鋼という名前、また大八木や平尾や宿沢などという名前も知っているし、私は日本のラグビーはかなり強いのだと何となく思ってきた。
 ところが今回の新聞記事などを通じ、私は、世界のラグビーについて何も知らなかったことに気付いた。過去7回のW杯で24試合戦っているが、日本が勝利したのは第2回大会のジンバブエ戦だけであったことも知らなかった。以降18試合で、カナダとの引き分け2試合をはさんで18試合連続未勝利であったことも知らなかった。つまり日本は、W杯では、1勝21敗2分けなのだ。
 しかもその負けっぷりも、第3回ニュージーランド戦の145対17、第6回オーストラリア戦の91対3、第7回ニュージーランド戦の83対7など、惨々たるものもあったことも知らなかった。このようなことからすれば、ランク3位の南アフリカに勝利することは、まさに奇跡であったのであろう。
 世の中は知らないことばかりだと思って生きてきたが、本当に知らないことが多い。中でも最も不思議なのは、戦後70年を経て、高度成長を遂げ世界第2位の経済大国にまで発展してきた日本が、何故ラグビーの世界でこんなに弱いのかということである。


戦後民主主義の崩壊 … 戦争法案の強行・暴力採決を見て

2015-09-18 14:16:37 | 政治経済

 

 一昨日夜から昨日にかけて、ほぼすべてを費やして、参院の安保特別委員会の様相をテレビで見続けた。そして、あの強行・暴力採決の状況を見て暗澹たる気持ちになった。あすこまで策略的・暴力的に――委員長が席に着くや否や与党議員がそれを取り囲み、押し寄せる野党議員をはねのけながら採決を進行させる様は、策略的・暴力的と言わざるを得ない――この戦争法案を推し進めようとする安倍政権の執念を見せつけられて、背筋に冷たいものを感じた。
 鴻池委員長は直後の記者会見で、「現在ある政党10党のうち5党の賛成を得ての採決であり、強行採決ではない」というようなことを言っていたが、全くピントが外れているのではないか? いくつの党が賛成したかというようなことではなく、議論が尽くされたのかどうかということが問題なのだ。二つの公聴会であれだけ反対意見や問題が出されたのに、それを審議することもなく採決するという段取りが問題なのだ。衆参両院で審議が尽くされるほど国民は「問題は解明されていない、今国会での採決は反対」だと言っているのに(世論調査では7割から8割が「問題は解明されてない」とし、6割が「今国会での採決反対」としている)、それでも審議を打ち切ることを「強行」と言っているのだ。
 憲法学者や法曹界の大半が憲法違反、少なくとも違憲の疑いありとし、歴代法制局長官や最高裁長官などが違憲の主張をする法案を、提案すること自体問題だし、いわんや強行採決など許さるべきものではない。しかも採決を図る委員長の姿は見えないし声も聞こえない。あれでは議事録も取れないはずだし、そのような議決が国会決議として有効なのだろうか? 外国の人はどう見ているのだろうか?
 とても民主主義を標榜する国のすることではあるまい。いや、この国から民主主義は消えつつあるのではないか?

 私は、現在の日本があるのは、国民の総力を挙げた経済発展と、政治の要に戦後民主主義があったことだと思っている。自由民主党という政党は、アメリカと財界に偏った政党だと思うが、その名の通り自由と民主主義を掲げ、少なくとも「戦争はしない」、「憲法9条を含めた平和主義は守る」という戦後民主主義者を主流においてきた。近くをとっても、大平正芳、後藤田正晴、野中広務、古賀誠、加藤紘一、河野洋平などなど、少なくともその生存者たちは、今回の法案に反対の意向を表明している。
 しかしそれらは無視された。戦後民主主義は崩壊しつつあるのではないか?
 ただ、この度の国会を取り巻く国民運動の中には、新しい民主主義と平和主義の芽吹きがある。安倍政権の危険な方向を止めるのは、この新しい芽吹きの力しかないのであろう。


自然と人間の戦い … 東日本大水害に思う

2015-09-13 13:44:22 | 時局雑感

 

 毎日写しだされるテレビの映像見て、胸が痛む。自然と人間の戦いに決着などないのだろうと思うと、これから先も空恐ろしいものを感じる。
 たて穴式住居などに住んでいた数千年前にこのような災害に出会ったら、住民は恐らく全滅していたのであろう。その教訓から、人は高台に住むなり、家の周りを塀で囲うなりしてきたのだろう。やがて強固な建築物を手にし、川に堤防を築くなどして、傲慢にも再び川のほとりや低地に住むようになった。万一水にかこまれても、ヘリコプターなどという空中救助装置もあるのだから。
 しかし自然は、その人間の傲慢さのすきを見逃さなかった。人間様の「想像を絶する」水量や風量をあたえてやれば、「人類の歴史の教訓」など簡単に破壊することができるのだ。「経験したことのない」高い津波や降雨量が押し寄せる。竜巻などの回数も年を追って多くなるように見える。
 これらが、自らが生み出した地球温暖化の所為だと諭されても、それを制御できないどころか一層拍車をかけるとでも言いたい「富の追求」を優先させている。
 人類は成長しているのだろうかという不安がある。何よりも、2度の大戦で骨身にこたえた反省の上に立って不戦の誓いを立てながら、わずか70年ののち、日本は今、再び戦争の準備を始めている。もちろん国論を二分し、多くの国民はこれに危険を感じ広範な反対運動を繰り広げているが、安倍内閣は「この機しかない」と戦争法案の強行可決を公言している。
  この人類の愚かさを知っている限り、「かつて経験したことのない災害」を与えることなど、自然にとってはたやすいことなのかもしれない。
 戦争にしても、自然災害にしても、人類は本当に歴史を教訓として成長しているのだろうか?


不愉快なことの多い世の中

2015-09-06 16:03:30 | 時局雑感

 

 不愉快なことばかりが続く世の中である。胸のすくような、血沸き肉躍るような出来事はほとんどない。
 
 東京オリンピックにまつわる国立競技場問題などもその一つだ。すべてご破算にして出直すことになり、総予算を1550億円にしたようだが、それまでの3520億円というのは何だったのか? 1550億円というのも高すぎると思うが、その差2000億円というのは大変な額だ。黙っておれば使ってしまったであろう3520億円について、口を拭われては困る。その理由、経緯、責任の所在を明らかにすべきだろう。
 エンブレム問題も不愉快だ。パクリという品位の低い問題は、特にオリンピックにはふさわしくない。これまたご破算になったようだが、ご破算にすべきは、これまでオリンピックにかかわってきた人間どもではないか? もっと言えば、日本はオリンピックをやる資格を失っているのではないか?
 いや日本だけではない。中国北京オリンピックのテーマソングは、日本のアニメからのパクリではないかと問題になっているらしい。オリンピックというのは、スポーツというもっとも純粋な技を通じて、人類が一堂に集う美の祭典だ。人類は、ついに、それを行う資格を失くしたのではないか?
 中国といえば、先日の「抗日戦勝利70周年パレード」には、吐き気を催した。私は、中国人民がその名において、かつての日本の侵略、植民地支配、残虐な行為を非難するのは当然だと思っている。日本はそれらの反省の上に立って、戦後平和主義を曲がりなりにも貫いてきた。最近ちょっと怪しくなったが…。
 しかし、日本のかつての軍事支配を非難するのに、どうしてあのような軍事パレードが必要なのだろうか? 70年前の仕返しに軍事攻撃をしようというのだろうか? それとも世界支配に打って出ようとでもいうのだろうか?
 軍事支配を非難するには、軍備を誇示するのではなく、むしろ軍備の廃絶を呼びかけるべきではないのか? もしチャップリンが生きていたら、あの軍事パレードとひな壇に並ぶ偉い(?)方々を、どんな喜劇に描き出すことであろうか。
 その他、国会議員やお偉方の暴言や品位なき発言が多い。これらは書くにも値しない。
 不愉快なことばかりが続く世の中である。


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