旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

グアム・・・ミクロネシア、チュバ(ヤシ酒)

2008-08-30 14:29:09 | 

 

 旅の記録などを整理していたら、グアムの紀行文が出てきた。そういえば、このブログに「グアム旅行」について一度も書いていない。これまで訪ねてきた各国の、旅と食と酒を紹介していこうと思ったのがブログを始めた動機であったが、まだまだ触れてないことがたくさん有る。
 紹興市の蔵に、紹興酒を飲みにいった話も書いていない気がする。アメリカ、ヨーロッパ(含む東欧、北欧)などの、ワイン、ビール、ウィスキー、ウォトゥカ、ジン、ラムまどには触れてきたが、近くの中国、韓国、グアムなどのことは、あまり書いてこなかった。台湾は今年行ったので触れたが。

 グアムを訪ねたのは、2001年の1月であった。まさに21世紀の初っぱなに行ったことになる。その旅行記の「まえがき」を読み返すと、第二次大戦の記憶に触れたあと「・・・ともあれ、日米戦争激戦の地となったこの島に、21世紀最初の旅をする。戦争の世紀と言われた20世紀を反省するにはあまりにもタイミングが良すぎるが、出来ることなら、私はこの旅を『休養の時間』としたい。戦争には直接参加しなかったが、20世紀の三分の二を生きていささか疲れた。新しい世紀を生きるエネルギーを補充するため、この三泊四日は浜辺に寝転び、南の太陽にあたってすごしたい。できることなら『やし酒』で『チャモロ料理』を食べながら・・・」と書いてある。
 私はその通りに、あまり動くことなく、チュバ(ヤシ酒)を飲みながら、大海原を見渡す浜辺に身をゆだねてすごした。
 私はその旅で、ミクロネシアという地域が、太平洋の南西に拡がる広大な大海原であることを初めて知った。その総面積は1100万平方キロに及び、そこに含まれる7つの国・地域(グアム、北マリアナ諸島、パラオ共和国、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国、キリバス共和国、ナウル共和国)の陸地面積は3100平方キロ、・・・わずか0.03%に過ぎない(トラベルジャーナル社『ミクリネシア』より)ということだ。

 グアムの米軍基地の言ったところで、ミクロネシアはとにかく海なのだ!
 その海に、ゆっくり四肢を伸ばしたことを、懐かしく思い出す。
 (続きは次回)                     


事務所の移転と膨大な廃棄物

2008-08-28 17:59:09 | 時局雑感

 

 勤務する会社が事務所を移転することになった。営業部門と製作部門が分かれることになり、本社・営業部門は従来の事務所の40%ぐらいの広さのところに引っ越した。20年近く住み慣れた東新宿から、中野坂上(丸の内線)に移ったが、環状6号線に面し眼前に都庁をはじめとした副都心ビル群が広がっているので、新宿に居るのと変わらない思いだ。

 それはさておき、この引越しで膨大な廃棄物を処理した。本社(総務)・営業部門だけでも、この機会に半分の場所に移転して無駄を省く計画から、不要なものを先ず処分することからはじめたためだ。
 狭い事務所に移るには、まずキャビネなどの格納庫が減る。当然中に入っているものを減らさなければ納まらない。今月の中旬からその廃棄に追われた。
 
実は私は、今年の初めに書斎の模様替えをやり、書籍をはじめ膨大な廃棄物を出した。毎日毎日、紙を破り物を点検してゴミ袋に投入した。かなりの数のゴミ袋を出して、よくもこんなに不要物を溜め込んでいたものだ、と思ったものだ。
 ところが今回は、それをはるかに越える廃棄物が出てきた。古い書類が中心であるが、8月いっぱい紙を破り、シュレッダーにかけ続けた感がある。同時に、ファイルやゼムやボールペンなど、売りに行きたくなるほど集まって、「しばらく事務用品の購入は相成らん」と叫んでいる。
 東京のど真ん中の家賃の高い事務所に、不要なものを大事に大事に溜め込んで仕事をしているのだ。
 一方で、飢えに耐え、勉強するための紙一枚にも不自由している人々もいるのだ。このようなことの度に、人間としての無力さを痛感する。それを感じても又、どうしようもないもどかしさと共に。
                            


酒の季節・・・カボスと肴

2008-08-25 21:57:28 | 

 

 前回、ふるさと臼杵からカボスの届いたことを書いた。
 カボスが届くとうれしいのは、毎晩の食事に不思議と魚介類が出てくることである。私がそれを望んでいることを十分承知のワイフの心使いであろうが、ワイフもそのような菜を望んでいるのであろうと思う。
 カボスが着いた最初の晩は、「かますの塩焼き」であった。これは私の大好物の一つであるが、今年も、最初のカボスをかますに垂らして食べた。
 次の夜は、かまぼこさつま揚げと豊富な野菜サラダなど・・・これらにもたっぷりかボスを絞って食べた。ねりものの好きな私へのワイフの配慮だ。
 そして今日は、まぐろの刺身アサリの酒蒸し。上等の
を、わざわざ下高井戸(三つ先の駅)まで買いに行ったらしい。
 総じて、素材の新しさが勝負だ。材料を煮込み、スープを造り、それらを混ぜ合わせてつくる外国の料理に比べ、日本料理は素材を生かす。
 そして、その料理を最も際立たせるのが「季節の味」・・・たとえばカボスである。

 以上の料理とカボスで飲んだ酒は、姫路の田中酒造場が造る「白鷺の城純米酒『天秤搾り稀代』」であった。山田錦100%、精米歩合60%で米の味を十分に生かした見事な純米酒である。日本酒度プラス4、酸度1.7、アルコール度数16.3度もちょうどいい。
 米の味が生きる酒ほど、新鮮な魚介類を生かした日本料理にマッチする。そしてカボスの酸味が、それらの味の統合を引き立てる。
 幸せなことである。
                            


カボス、憲法9条、大江健三郎・・・

2008-08-23 15:40:05 | 時局雑感

 

 昨夜帰宅すると、ふるさと臼杵の弟からカボスが届いていた。毎年この時期になると送ってくれる「秋の知らせ」である。まだ硬くて、しっかり絞らないと汁の出ないカボスを、何度も絞りながらふるさとの香りを懐かしんだ。
 そのカボス箱の中から、一通の封書が出てきた。開くと、「憲法9条の会・うすき」が主催した大江健三郎氏の講演会の模様を伝える各新聞記事や写真が出てきた。実は私の弟(三弟)は、その会の代表を務めている。
 「憲法9条の会」の発起人の一人である大江氏が、宮崎まで来ることを知った弟は、絵手紙を書き「(大江氏も親しかった)野上弥生子生誕の地である臼杵に是非来てください」と依頼、大江氏の快諾を取り付けて開かれた講演会で、会場の臼杵市民会館は1100人の聴衆で埋まったようだ。
 大江氏は弥生子や漱石の『こころ』などから説き起こし、自分の成長段階を語りながら、「今現在、平和憲法9条、あるいは13条、25条を持っている国民として、今この憲法の下でしっかり生きていこうと考えている」と語り(7月21日付大分合同新聞)、この憲法を次の世代につないでいく必要性を強調したという。
 しかもその後の、中学生から老人まで各層の質問に丁寧に答えたという。
 臼杵は、大友宗麟や野上弥生子など豊富な歴史は持っているが、人口わずか3万数千人の小さい町である。大分や別府でなく、臼杵で開かれたノーベル賞作家の講演会に、ふるさとの人たちはどんな思いで臨んだのであろうか。
 そのお膳立てに力を尽くした弟の努力を多とすると共に、ふるさとの人たちが、大きく世界に眼を広げていく契機になることを願ってやまない。

 カボスのすがすがしい秋の香りにとともに、大江健三郎氏を含めた憲法9条を守ろうとする人々の、実にすがすがしいニュ-スが運ばれてきた。
 「国民投票も出来ない子供は、9条を守るために何が出来るのか」という中学生の質問に、「国民投票は出来ないが自分たちの運命がかかっている。『今、おれは子供の意見を述べる権利がある』と思ってほしい」と答えた大江氏の言葉に、未来へのつながりが感じ取れた。
                             


酒の割り水

2008-08-21 23:26:20 | 

 

 前回、日本酒のオンザロックについて書いたが、オンザロックと言うと一般的にはウィスキーや焼酎など蒸留酒を想定する。もちろん、これらスピリッツ類をオンザロックで飲むことは多い。ただ、ロックの氷が解けすぎると薄くなって味が極端に落ちる。それに比べて日本酒の場合は氷が解けて薄まっても、とくに日本酒としての味は落ちない。つまり割り水を利かせても味は特に落ちない。だから、ゆっくり料理を楽しみながら飲んでいける。
 一方、ウィスキーや焼酎などの水割りは、私はちっとも美味しいと思わない。ウィスキー(というよりスピリッツ全般)の水割りなどはパーティのとき以外は一切飲まない。あんなまずいものはないと思っている。
 私は蒸留酒も結構好きである。食後のデザートにはスピリッツが欲しくなる。日本食の場合は焼酎、イタリア料理の後はグラッパ、フランス料理はブランデーなど。夜寝る前に音楽でも聞き、チョコレートを食べながらではスコッチウィスキーなどが欲しくなる。
 しかしこのようなときに水割りを飲もうとは思わない。ストレートで飲みながら、必要ならば別に水を飲む。私にとって蒸留酒は
、その定められた度数の味が先ず第一だ。決してがぶがぶ飲みはしないが、定められた度数の味を少しずつ味わいながら飲むのが美味しい。

 それに対し日本酒は、割り水に対する味の幅があるのではないか? スピリッツは極端に味が限定されているように思える。だから、それを外れると別の味になる。しかし日本酒は度数もそれなりに高い上に、様々な味が豊富だ。特に山廃造りや吟醸造りは芳醇な味を醸し出している。だから少々のアルコール度数の幅や温度の幅には十分耐えうるのではないかと思っている。
 これも、日本酒びいきの一方的な見解かもしれないが・・・。
 いずれにせよ私は、度数も温度も好きなように変えて、その場にあわせて日本酒を楽しんでいる。
                             


日本酒のオンザロック

2008-08-19 22:15:10 | 

 

 厳しい残暑が続いている。この暑い夏でも、私は日本酒を飲むことが多い。しかも様々な飲み方をするので、夏のほうが日本酒を多面的に楽しんでいると言えよう。
 ほとんどの場合、四季を通じて常温で飲むが、
夏でも料理や酒の種類やその日の体調によっては燗酒を飲むことも多い。しかし夏で一番多いのはオンザロックかもしれない。ビールを飲みたい気分のときもあるが、すぐ腹いっぱいになるビールを飲むくらいなら日本酒のオンザロックの方が美味しく、まず日本酒の方が料理に合う。
 ビールやワインは度数も低いので、それ以上水で薄まると美味しくないが、日本酒は、特に純米酒は味がしっかりしており、原酒となれば17~18度と度数が高いので少々の割り水を利かせても十分に飲める。むしろ夏の暑さで喉の渇きを覚えるときは、割り水のさわやかさが体に爽やかだ。
 もちろん、アルコール添加酒はだめだ。水が加わると添加したアルコール(これはまさに添加したもので、自ら生み出したアルコールでない!)が浮いてアルコール臭と水っぽさが出てくる。
 ここにも純米酒の強み、本物の酒の強みが出てくるのだ。とくに山廃純米や、コクの有る純米吟醸などのオンザロックは、日本酒の味を保ちながら、飲み口に爽快感を与えてくれる。
 その場合の氷は、本来は大きな「カチワリ氷」が良いが、家庭ではなかなかそうは行かないので、冷蔵庫製の氷で代用している。その臭みみたいなものが気になるのだが、まあ欲もいえないので、結構冷蔵庫氷のオンザロック日本酒を楽しんでいる。
 冷、オンザロック、常温、ぬる燗、熱燗・・・と、そのときの気温、体調、料理などに合わせ、様々な飲み方の出来るのは日本酒(純米酒)ぐらいのものではないか?
 ありがたいことである。
                             


北京オリンピックに見る強さ様々

2008-08-17 15:32:07 | スポーツ

 

 今日で夏休みが終わる。オリンピックも半ばを過ぎて後一週間を残すのみとなった。大好きな種目であるマラソンの女子のレースを見て、国威をかけたレースに挑む選手たちの戦いが、いかに過酷なものであるかを改めて思った。
 野口の辞退はもちろん、土佐の途中棄権、ラドクリフの敗退・・・、すべて走れる状態ではなかったのであろう。
 その中でヌデレバの強さに驚嘆した。先頭から遅れだした中村よりもずっと後に居たとき、解説の有森が「この人は想像を絶する超マイペースだから、最後にならないと分からない」と言っていたが、いつの間にか先頭に追いつき、トラックに入り「国威をかけて全力スパート」した中国の選手を最後の30メートルでかわして銀メダルを獲った。聞けば、10数回の大レースですべて1位か2位と言うことだ。これこそ本当に強いと言うのだろう。
 「強い」と言えば、何十年に一人、神の申し子のように天賦の才を与えられ、それをまた並外れた努力で磨きぬいた選手がいて、戦う前から勝利を約束されそのとおり勝つ者がいる。陸上100mのボルト(世界新9秒69)や、水泳のフェルプス(8冠)がそれであろう。北島もその中に入るのだろう。
 他の大多数の選手は、実力においてほとんど差はなく、ちょっとした努力の差や体調の差、また様々な運命的要因により勝利が決まるのだと思った。
 それだからこそ、全力を集中する姿が美しいのだ!

 その中で、二つだけ不愉快なシーンが心に残った。女子バドミントン準決勝で末綱・前田組が敗れた韓国チームの一人の、自分のミスに対する執拗な抗議だ。審判もよく我慢したものだと思うほどしつこく、解説者は「ああして自分たちの体調を整えているのだ」と言っていた。
 もう一つは、柔道女子78キロ級決勝で塚田が負けた中国選手の、帯が何度も解けたシーンだ。1.2回ならまだしも、帯が何度も畳に落ち審判も「よく締めろ」と注意していた。彼女も締め直しながら体調を整えていたのではないか?
 私は、この日本の組はいずれも「スポーツ以外の面」で負けたと思っている。(ここまでくると贔屓のひき倒しナショナリズムの典型であるが)
                             


恒例のホテルオオクラ「秘蔵の名品展」

2008-08-15 17:46:15 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 何もしない夏休みのつもりであったが、ホテルオオクラの「秘蔵の名品--アートコレクション展『パリのエスプリ・京の雅・江戸の粋』」を見てきた。
 毎年この時期に行われる展示会で、20~30社が秘蔵の名画を提供して行われ、通常では見れない作品を見ることが出来る。鑑賞の後、年1回の贅沢としてホテルオオクラのフランス料理を食べワインを飲もう、というのがもう一つの狙いで、ワイフと共に昨年に引き続き出かけた。

 副題が示すように、「パリのエスプリ」では印象派の秘蔵の名画が、「京の雅・江戸の粋」では北斎、広重から横山大観に至るまで盛りだくさんで見ごたえがあった。その背景にある、印象派に与えた浮世絵の影響などがさまざまな展示でよくあらわされていた。
 中でも、アンリ・ブラックモンの6枚のエッチングが面白かった。6枚は「雷雨」、「かもめ」、「葦と小鴨」、「つばめ」、「驚いた鴨」、「朝霧」と、どう見ても日本のテーマだ。解説を読むと、北斎漫画などに強烈な影響を受けたらしい。日本の芸術の力を思い知る気持ちだった。
 その北斎漫画であるが、6点が展示されており、一度見たいと思っていた『群盲象を撫でる』がその中にあった。この言葉は現在では差別用語となっているので、書くことが気になるが、大局観を示すにはこれほど素晴らしい譬(たと)えはない。
 目の不自由な数人のグループが始めて象に触れる。鼻に触れた人は「象はホースのようなもの」と言い、耳に触れた人は「ウチワのような動物」と言い、腹に触った者は「土蔵の壁のようにどっしりしたもの」と言う。そして足に触れた人は「大地に立つ柱のようにどっしりしたもの」と言うが、尻尾に触れたものは「とんでもない、軽いムチのよなものだ」と言った、というはなし。
 これらの表現は部分的にはすべて正しいが、象の全体像を言い表してはいない。北斎のこの絵を見ると、私の数えたところでは11人の人が、あるいは鼻に触り、あるいは足に触り、また腹を撫で、背中には3人が上がってそれぞれ撫でていた。

 一つ一つの事象を深く知ることも重要であるが、事態の大局をつかむことはもっと難しい。当面の欲得や満足感にとらわれて、世の大勢が進むべき道に外れていることばかりだ。
 世界の進むべき方向を、誰か見定めている者がいるのだろうか?
                             


夏休みに入る

2008-08-12 10:47:08 | 時局雑感

 

 今日から17日まで夏休みに入る。と言っても、特に何の計画もない。
 夏休みがうれしく、期待に胸ふくらませた60年前の少年時代を懐かしく思う。
 わが社は今、引越しの最中で、昨日までビルの選択や挨拶状の調製、周辺の片づけやらで、やや夏バテ気味だ。18日からの休み明けは引越しの本番を迎える。
 ここはゆっくり、何もせずに休むに越したことはない。この間、ブログも休みたいものだ。若いころは、休みと言えば出来もしない膨大な計画を立てたものだ。しかし、何もしないことが本当の休みなのだ。

 とはいえ、元来貧乏性の私に、何もしないということが可能かどうか?
 二日に一回のペースで書いて来たブログを、一日も書かないで済ませることが出来るか?
 既にこのようなことを書いていること自体が怪しい。
 とにかく今日はこれでおしまい!
                             


秋の気配

2008-08-10 11:50:47 | 時局雑感

 

 昨夜、風呂から出てふと秋の気配を感じた。
 私は汗かきで、特に上半身から頭にかけて汗をかき、夏は風呂から出てしばらく汗が引かない。クーラーなどで体を冷やしきらないと服を着れない。
 ところが昨夜は、それほど汗をかくこともなく「アレッ?」と思ったのだ。もちろんこの涼しさは、寒気の影響による一時的なもので、まだまだ真夏日や熱帯夜がつづくであろう。
 しかし涼しい秋、とくに朝晩が涼しく感じられる時節が近づいていることは確かである。というより、今月7日が立秋で、暦の上では既に秋なのである。

 江国滋という俳人がいた。食道癌との壮絶な戦いの末、平成9年8月10日に亡くなった。その辞世の句は、8月8日に詠まれた次の句と言われている。

   おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒

 8月8日に酌み交わす酒は、既に秋の酒である。

 正岡子規が芭蕉没後200年にあたり『奥の細道』の後を辿ったのは、明治26年の夏であった。その旅の最北端、八郎潟町の三倉鼻(八郎潟を望む絶好の展望地)に立ったのは同年8月14日で、そこで詠んだ句がこの句である。

   秋高う入海晴れて鶴一羽

 立秋を一週間も過ぎた8月14日は十分に秋である。もっとも、その時の子規の旅行記『はて知らずの記』によれば、出発前の旅館の庭には落葉がたくさん見られたという記載もあるので、北東北の8月中旬は季節感の上でも秋であったのかもしれない。いずれにせよ「夏高う・・・」では句にはならない。

 今日は少しはしのぎやすいが、これほど不快な暑さが続くと秋が待ち遠しい。
                            


投票ボタン

blogram投票ボタン