ここにきてカープの足取りが怪しくなってきてヤキモキしているが、昨夜の1勝(対巨人)は大きかったのではないか?
私は、現時点でも、セ・リーグ最強のチームは読売巨人軍だと思っている。何度も書いてきたように、その歴史、資力、選手層の厚さで他にないものを持っているからだ。だから、セ・リーグで優勝するためには巨人に勝たねばならないと思っている。しかもその2枚看板である菅野とマイコラス(これは紛れもなくセ・リーグ最強の2大投手である)に勝たなければならない、と思っている。
前回カード(3連戦)の第2戦に、巨人は菅野を立ててきた。予想通り7回1失点の好投であったが、その1点をたたき出したのは若き西川の一発(ソロホーマー)であった。これは味方薮田の完封と相まって、全くの幸運に思えた。
今カードの第1戦には、巨人はもう一人の双璧マイコラスを立ててきた。2回に村田のソロホーマーで援護を受けたマイコラスは、快調に飛ばしてカープ打線を7回11奪三振3安打2失点に抑えた。ところが、その2失点をたたき出したのは、またもや若き下位打線の西川であった。西川は、四球のランナーを置いたたった1回のチャンスを、見事な2ランホーマーで生かしたのである。
西川は「神ってる」のではないか?
一方、巨人の拙攻ぶりも目に余った。1回こそ三者凡退であったが、2回は1死1,2塁、3回は無死2、3塁、4回1死1,3塁、5回2死1,2塁、6回1死2塁、と走者を出しながらあと1打がなく11残塁。特に3回の無死2,3塁では、坂本、阿部、村田というクリーンアップが凡退している。巨人は、無理やりカープを勝たせたかに見える。いや、その6回を1失点でしのいだ野村の粘投をほめるべきか!
野村も「神ってる」のではないか?
マジック18が点灯してカープに余裕があるように見えるが、私は、あと27試合を残した阪神との差7・5ゲームなど、決して安全圏とは思っていない。何が起こるかわからないと思っている。ただ、巨人に対するこの二つの勝利は大きかったと思う。今期カープが優勝することがあれば、西川と野村の「ダブル神ってる」が勝因であったと評価されるかもしれない。
今日の6チャンネルのお昼の番組で、気象予報士の森さんが「あと数日で夏は終わり、〝暑い秋″が来る」と言っていた。〝雨と低温の夏″をやっと抜け出し、夏らしい猛暑を迎えたと思ったら、それも数日で終わり8月なのに秋が来るというのだ。暑い秋とは、あの過ごしにくい残暑を思わせゾッとするが、秋という言葉には救いもある。
このブログで最近の一番大きい変化は、旅の記事が少なくなったことだ。それは旅に行かなくなったことを意味する。六つのカテゴリーの中で最大の数を誇っていた旅は、近時、「昔の旅の思い出」の記事しかない。ところが秋の到来を告げる話が出てくるに従い、俄かに旅の話が湧いてきた。
一つは、次男夫婦から「八ヶ岳の麓でバーベキューをやろう」という誘いだ。2歳4か月を迎えいよいよ動きが活発になった遥人に、高原の広大さを味合わせようという計画のようだ。我が家はそのお相伴に与るというわけだ。いくら〝暑い秋″といっても、9月中旬の八ヶ岳高原は、いくらか違うだろう。
それに追いかけて、K先輩より「秋(11月)の奈良・京都を回ろう」という話が飛び込んだ。88歳になる大先輩は、「最後の旅になるかもしれないので付き合え」という。先輩ならずとも、こちらだって「最後の旅」かもしれないと二つ返事で応諾した。これには、「修学旅行以外に奈良に行ったことがない」というワイフも参加を表明、K先輩親子3人との旅となれば、トルコ旅行以来となる。奈良の歴史や神社仏閣に詳しい先輩が、「とっておきの場所を案内する」というので楽しみにしている。
秋11月といえば、弟の3回忌が「臼杵竹宵祭り」の四日に行われるので、これにも出かける。この機にどこか回るか、という話もある。いくら暑い秋といったって11月までは追いかけ来ないだろうし、なんだか楽しい秋になりそうだ。
遅ればせながらスマホを手にすることになった。会社(弟の経営する会社に顧問として在籍している—―週に1日程度しか行ってないが)から支給されている携帯にインターネット機能がついてなくメールや写真の送付ができないため、その機能を付けてもらおうとしたところ、それならスマホに変えたら…、ということになったのだ。
スマホには、潜在的な嫌悪感を持ち続けいていた。一つは、あんな小さいもので字が読みづらく操作も面倒なのではないかという不安、もう一つは、電車の中の異常な光景や〝歩きスマホ”などに対する嫌悪感である。特に後者は、道徳的、人間的に許せないものだという考えを強く持っているからだ。
使ってみると、第一の不安はほとんど消えた。大竹しのぶが宣伝する「らくらくスマホ」というものにしたが、実に扱いやすくできており、字や画面を大小に操れるなど、われわれ眼病者には好都合といわねばなるまい。第二の問題については、自分はそのような不道徳、非人間的な行為はやなねばいいことであって、そのような人間がいることをもってスマホの機能自体を嫌悪していたとすれば、「坊主にくけりゃけさまで」の典型と言わねばなるまい。地図の検索や乗換案内など実に使いやすく(音声の発声で対象物が画面に出てくるなど)、早速、義兄の入院病院を検索して、昨日お見舞いに出かけた。前回の孫遥人の写真もスマホ写真。
ただ、便利さにかまけてスマホに操られる生活にならないように注意しなければならないと思っている。特にフェイスブックには注意が必要だ。私は不用意にも何人かと「友達」になってしまい、毎日先方の様子が伝えられてくる。しかし一切こちらからは発信していないので一方通行だけの付き合いである。相手には申し訳ないが、この年になっては、何とか「自分のペースの生き方」だけは崩したくない、と願っている。
久しぶりに孫の遥人が来た。久しぶり、と思ったが、振り返ってみると2週間前にも来ているので、久しぶりというほどのことでもない。とにかく元気に部屋の中を走り回るので、2週間も見ないと「久しぶり」に感じるのだ。風邪で熱を出したと聞いていたので心配していたが、昨日から熱も引いたということだ。
生意気にも、じんべヱなど着込んで相も変わらず部屋の中を飛び回っていた。肉付きもよくずっしりと重いが、早くも鉄棒のぶら下がりができるという。2歳3か月で鉄棒ぶら下がりができるのは、早い方ではないか? 腕力も相応に発達しているのであろう、頼もしい限りだ。
いろいろ組み立てて、自分で遊ぶようになった
自分の写った動画を見て喜ぶ遥人
「ピース!」も出来るようになったよ
明後日は72回目の終戦記念日。私はあの時小学校4年で10歳であった。あれから72年、ひたすら経済成長と文化的発展を願って生きてきた。まさに世界遺産に値する憲法9条のお陰か、日本はどこの国とも戦火を交えることもなく平和を歩いてきた。
遥人2歳3か月…、この孫の生涯は、どのような時代を歩くことになるのであろうか?
今日は広島に原爆が投下された日である。あれから72年、広島市民だけでなく日本国民、いや世界の多くの人々が核兵器の廃絶を願ってきたが、未だにその道は開けず、それどころか核保有国は増加し世界には15000発の核弾頭が存在するまでに至っている。
しかし、今年の広島原水禁世界大会は、特別の意義を示しているようである。それは、去る7月7日、国連会議が人類史上初めて核兵器を違法化する核兵器禁止条約を採択したからである。残念なことに5大国はじめ核保有国はこれに参加せず、その核の傘にいる日本も参加していない。しかしこの条約は国連傘下国の3分の2以上に及ぶ122か国の賛成で採択され、核兵器に悪の烙印を押したのである。しかも条約は、核兵器の開発、生産、実験、製造、取得、保有、貯蔵、とそれによる威嚇に至るまで、詳細に列挙してこれを禁じたのである。
核保有国が主張する最大の保有理由は「核抑止力」であり、それは、核による威嚇をその背景としている。日本もその理論に立ってアメリカの核の傘に入り、この決議に参加しなかった。この核抑止論に対する痛烈な批判が、国連会議の討論の中で行われている。オースオリア代表の次の発言である。
「もし核兵器が本当に安全の保障を提供するうえで欠かせないのなら、どうしてすべての国家がこの利点から利益を得てはならないのか? 核兵器は世界をより安全にするという議論に従えば、より多くの国々がより多くの核兵器を持った方がよいということを意味することにならないだろうか? われわは、そういう議論は信じない。明らかに核兵器が少ない方が、われわれは、より安全になるのだ。それのみが、誰をもより安全にするのである」(7月22日付赤旗「志位和夫氏記念講演」より)
北朝鮮に対し、核抑止力論による核の威嚇を行いながら、「俺は持っているがお前は持つな」という説得が、いかに無力であるかは日々証明済みである。核保有国たちが、「俺たちも捨てるからお前も持つな」という立場に立つまで説得力は持ちえないだろう。そのためには、核禁止条約の意義を広め保有国を追い詰めていくしかない。大国の核亡者ぶりを見ると、気の遠くなるような遠い道のりであるが……。