旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

「美しい日本の歩きたくなる道500撰」に挑む人

2010-08-29 14:46:38 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 知友N君が、「美しい日本の歩きたくなる道500撰」の走破に挑み続けてきた。先日、北海道のいくつかのコースを歩いていてきたN君に聞いたところ、残るコースは二つ、来月で完走するという。
 最後に残ったのは、新潟県の長岡を拠点に、「山古志村のコース」と、寺泊からの「良寛の里コース」で、これでもって500のコースを歩ききることになると言う。
 私は何となくのん気に聞いていたが、北海道から沖縄に散らばる500のコースを全部歩くなんていうことは、金銭的な負担も含めて気の遠くなるような話である。彼はこれを4年で成し遂げようとしているというので、一年に百二、三十のコースを歩くことになり、それは三日に一つの勘定になる。もちろん、一日に数箇所を歩くことも多いらしいが。
 四年前に始めたときはのんびり構えていたが、同行する人の中に既に達成した人などがいて、その話を聞くとだんだん意欲がわいて、「早期完走」こそが目的となり、昨年は全コースの半分以上にわたる260コースを歩いた。そうなってくるとさすがに、「俺は何をしているのだ」という反省も加わり、今年は大分ペースを落としたが、この9月で完走を迎える、ということだ。

 中身はともあれ、一つの目標を達成することは素晴らしいことだ。しかも全国を対象にした半端でない数の道を、自らの足で歩くということは並大抵のことではない。
 来月、完走して新潟から帰った彼と祝杯を挙げることを約束した。これまで目標達成の祝杯は数多く経験したが、これには何か他と違うものを感じる。かけた年月の長さか、数の多さか…?

 ところで、このブログのカテゴリーを「スポーツ」とするか「文化」とするか迷った。健康保持も含め、歩くというのは十分にスポーツの要素があるが、その内容からすればやはり文化としたい。
 彼が10年か20年をかけて、つまり一年に20か50ぐらいを歩いたならば、それは迷うことなく「文化」であるが。


国民不在の権力闘争 ・・・ 民主党の代表争い

2010-08-27 09:53:57 | 政治経済

 

 民主党の代表選に小沢一郎氏が立候補する問題で、テレビも新聞も大騒ぎだ。本来、党の代表を選ぶ選挙に有力人物が立候補して「政治の方向を争う」ことは当然に歓迎され、国民もそれを喜ぶであろう。
 ところが、小沢一郎という男がそれに絡むと、それに向けられる関心は全く質を異にする。そこには「権力闘争」と「金の匂い」が渦巻くからだろう。

 今回の代表選も、国民にとっても民主党にとっても権力争いをしている場合ではない、というのが実情であるが、この小沢氏の立候補で国民生活も国の政治も吹っ飛んで、ひたすら「金と権力」の争いが前面に出てきた。小沢氏の過去の経歴からすれば、そう見られても仕方あるまい。
 マスコミも、「仙谷官房長官と枝野幹事長側が官房機密費と政党助成金を抑え、それを奪還しようと菅首相に路線変更を迫る小沢氏がせめぎ合うという構図が、権力闘争の実相」(27日着毎日新聞一面)などと報じている。要するに、「政党人の最高ポストは幹事長だ」という田中角栄の教えに生きる小沢氏が、あくまで金庫を握る幹事長ポストを要求したが菅派にそれを拒否され、力で獲得しようとトップ争いに立候補したということだろう。
 表面では「国民生活の確立」などを言っているが、とても信じられないというのが国民の実感ではないか?

 いずれにせよこれで民主党の将来は無いであろう。あまりにも古い体質の小沢氏を抱えざるを得なかった政党には、政治の改革は無理であったということで、この挫折も当然の帰結であろう。
 私は、民主党に抜本的な政治改革が出来るとは思っていなかったが、一つの段階は踏める、と期待したが早くも化けの皮がはがれた。
 日本の政治革新はいつのことになるのであろうか? 今更自民党に帰るわけにもいかないので、もう一度国民は目を覚まさなければなるまい。


幸せの在りか

2010-08-25 11:30:41 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 毎日新聞夕刊の編集長近藤勝重氏が、「しあわせのトンボ」というコラムを書いている。その813日付「幸福感は世代それぞれ」で、“幸福の在りか”について書いている。

 氏は、吉本隆明氏が「自分の後姿を昔の視点から眺める。その間に幸福感があるのではないか」と言い、中野翠さんが「幸せというのは目の前ではなく背中のほうにモヤモヤっとあるような気がしてならない」と書いていることなどを引用して、現代の様々な人に幸福の在りかを問うてみたようだ。
 
その結果、全体として中高年は「昔」に、若い子は「今」に幸福感があると感じているようだと書いている。若い人の「今」の例として、幸せは「好きな人の隣」にある、とか、「乾杯してビール」の中にある、という回答などを挙げている。

 久しぶりに帰ってきた旧友S君と一杯飲んだ。「帰ってきた」というのは、彼は10年ほど前に結婚して、奥さんの出身地である南の島に渡ったが、この度、故あって奥さん共ども東京に「帰ってきた」からだ。
 
彼が東京を離れる時は、「あいつはとうとう奥さんの虜になった」「尻に敷かれたのだ」など雑言も浴びたが、雌伏10年、避けられない東京の仕事に従事するため、奥さんとその家族を説得して東京に「帰ってきた」のだ。
 
それはさておき、彼は杯を重ねるうちに、心の扉を開くように「今」の心境を語ってくれた。

 「先輩、実は私は今、大変に幸せなんですよ。幸せでいっぱいなんですよ。」
 
「毎日、妻の笑顔を見れることだけで幸せなんです。」
 
「…食卓の向こうに妻の笑顔がある……、それだけでいいんです。」
 
「だから私は、その幸せのために一生懸命働いているんです。」

 私は、少女雑誌を読んでいるような心地で、この三十歳半ばの男の話を聞いた。
 特に最後の言葉、「その幸せのために一生懸命働いている」という言葉には衝撃すら覚えた。

 幸せは何処にあるのか?…、彼によれば、それはまぎれもなく「妻の笑顔」の中にあるのだ。


ナポリ・カポディモンテ美術館展と、赤坂・たけがみの食事

2010-08-22 14:22:49 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 このところ毎年夏は、ホテル・オオクラの「秘蔵の名品アートコレクション」を見て、同館の「ベル・エポック」で食事をとることを続けてきたが、今年は、各社秘蔵の名品展でなく平山郁夫展となったので、上野の西洋美術館の「カポディモンテ美術館展」を見て、赤坂の割烹・蕎麦処「たけがみ」で食事をすることになった。別に平山郁夫を嫌ったわけではさらさらないので念のため。

    

「カポディモンテ武術館展」は、想像以上に重厚で見ごたえのあるものであった。そもそもこの美術館は、ルネサンスからバロックまでのイタリアを代表する貴族の一つファルネーゼ家の収集と、それを相続したブルボン家のカルロ7世が、ナポリ王として自ら統治したナポリのバロック収集品を併せて展示した美術館。
 公開後はイタリア有数の美術館として注目され、ナポリを訪れた文化人たち(例えばゲーテなど)は、競ってこの館を訪ねたとリーフレットに書かれてある。行くまではそれほど期待していなかったが、質の重厚さに圧倒された。
 中でも、パルミジャニーノの『貴婦人の肖像』、ティツィアーノの『マグダラのマリア』、グイド・レーニの『アタランテとヒッポメネス』が印象に残った。

 赤坂の「たけがみ」も想像以上に良かった。ワイフが見つけた店だが、前は料亭であった店を乃木坂の日本料理屋「神谷」が居ぬきで受け継いだ店らしく、上品で、落ち着きがあり、静かで、料理も美味しかった。
 昼食3千円のコース、数品の料理からデザートまでを、たっぷり2時間かけて楽しんだ。酒は、岐阜の山田商店(玉柏)に造らせた『神谷』(本醸造)と、新潟市の宝山酒造の造る『たけがみ』(純米吟醸)が目玉。
 私は『たけがみ』を飲んだ。ラベルを見ると「こしひかり100%使用、精米歩合50%」とある。こしひかり100%とは、麹米もこしひかりと言うこと? そこは不明であるが、ややコクの乏しさを感じたが立派な純米吟醸であった。

   

 最後のデザートとともに出たコーヒーのカップは有田焼「柿右衛門」、これもまた心を和ませてくれた。

        


ブログのあり方

2010-08-21 09:12:14 | 時局雑感

 

 12日から18日まで一週間、夏休みをとった。猛暑のぶり返した残暑の期間で、ほとんど家から出ない一週間であった。体は休まったのか? いや、運動不足で腰が痛くなったりしているので、何もしないというのは必ずしも体に良いとは限らないようだ。

 反面、時間がたっぷりあったので毎日ブログを書いた。ブログを始めて3年半になるが、7日間続けて書いたのは初めてだ。中に「休みのあり方」などという理屈っぽいのがあるのでこれを除くと、酒、旅、政治経済、文化、スポーツ、時局雑感という六つのカテゴリーを一つずつ書いている。
 自分は何もしなかったが、世の中には色々なことが起こっていたということか? しかし、七日間続けて書いたからと言ってどうという感慨はない。時間に不自由しなかったから追われることもなかった。ただ休暇明けは二つ日間とも書いてないので、ブログって余裕時間に意外と関係するのかもしれない。今日は休みだから三日ぶりに書いているという訳だ。

 つまり、自由気ままに、あるがままに書くのが1番よいのだろう。日記と思って毎日書くような気にはどうしてもならないし、心に残ることがあれば書き残しておきたいものだと思う。ただ、齢を重ねるごとに、物事への感慨が薄れていくので、今後、ブログを書く回数は減っていくような気がする。
 そんな理屈も考えずに、自然なままに書くのが「自分のブログ」と思っている。


どこに行こうかな? … 秋の旅計画

2010-08-18 10:21:09 | 

 

 今日で夏休みは終わる。予想を超えた猛暑が続いた一週間を、家で休めたことに感謝しなければいけないだろう。残暑という時期に、今夏最高の気温を体験するとは思ってもいなかったので。 
 明日からの仕事を考えると、頭の痛くなるようなことが山積しているが、割り切って仕事は仕事として片付けていくことにして、9月からの秋の計画に夢を託そう。意外にいろんな行き先が現れれつつあるので。

 先ず、9月9日から二泊三日で、「三陸鉄道『スイーツ列車』と三陸海岸縦断3日間」というツアーに出かける。「大人の休日倶楽部」主催の、ツアー名「グリーン車で行く三陸海岸3日間」というもの。
 今年は、3月に「熊野古道」、7月に「みちのく・下北・津軽」に行ったので、この三陸海岸で、私が予てから気にしていたコースをやっつけることになる。気になることは片付けよう、という年頃なのである。
 次に10月は、3日の「新潟県吉川町の酒祭り」と、9日の郷里臼杵市の「西中学第2回卒業生同窓会」の案内状が来ている。『高校生が酒を造る町』を取材・出版した吉川町(現上越市吉川区)も懐かしいし、戦後の新制中学2回生として、昭和26(1951)年に卒業した同窓生に会うのも懐かしい。いがぐり頭やお下げ髪は、後期高齢者となってどんな様に変わっているのだろうか?
 11月には、職場の仲間に沖縄行を誘われている。奥様が沖縄出身でお国帰りをするらしい。政治的に渦中の沖縄にも行ってみたい。ところが、予ねてからニュージーランドに行きたいと主張しているワイフが、11月のツアーを狙っている。これもまた魅力がある。

 こうなるとどうしていいか分からなくなる。全部行けばいいではないかと言うかもしれないが、そうもいくまい。


「第九」演奏80年…日比谷公会堂を讃える演奏会

2010-08-17 10:05:28 | 文化(音楽、絵画、映画)

      

 日比谷公会堂は昭和4(1929)年に建てられたという。爾来80年、日本最初の音楽堂として、日本の音楽活動発展に寄与してきた。その一つに、ベートーヴェンの「第九」を演奏し続けたことが挙げられるようだ。
 そしてその極め付きが、昭和201945)年6月に行なわれた戦前最後の「第九」演奏会であったという。昭和206月といえば終戦の2ヶ月前、3月の東京大空襲などを経て、最も激しい戦禍の中にあった。いつ空襲警報がなるか、いつ爆撃を受けるか分からない中でも、「第九」の演奏は続けられ、国民に音楽を通じて大きな希望を与えてきたと言う。
 それを想起し、記念して、又その精神を受け継ぐことを願って、去る72日、井上道義指揮するNHK交響楽団による「第九演奏会」が催された。そしてその模様が一昨日(815日)のN響アワーで放映された。
 会場の日比谷公会堂には、昭和12(1937)年の当公会堂で「第九」を歌ったという91歳の方などが観客席にいて、当時の思い出を語っていたが、心に響くものがあった。

  
      バス  ジョン・ハオ
    

 私がこの演奏会に関心を持ったのには、もう一つ理由があった。娘が企画するオペラコンサートの常連出演者(と言ってもまだ3回目だが)のバス歌手ジョン・ハオ君が、この演奏のバス・ソリストに選ばれたのである。未だ無名と言っていい若手歌手だが、指揮者井上道義氏の目にとまり抜擢された。「第九」におけるバス・ソリストは重要な役であるが、演奏会の趣旨から、井上氏は「未来へ希望をつなぐ」若手を中心にメンバーを組んだと思われ、その意味からもジョン君の出演を娘と共に喜んでいたのだ。
 ジョン君は名前の示すとおり中国人。その大らかな大陸的風格もあって、娘のコンサートでも一番の人気者である。さすがにこの大役では肩に力の入った感もあったが、大らかではあるが「ごまかさずに正確に歌う」彼の性格が良く出た演奏で、無事に歌い終えてホッとしている。
 だからこのブログのもう一つの題は「ジョン・ハオ君頑張る!」というものである。

        
 


気になるイチローの200本安打

2010-08-16 13:08:56 | スポーツ

 

 この時期になると、毎年気になることがある。イチローが今年も200本の安打を打てるだろうか? ということだ。
 私ごときが心配してもどうなることでもなく、「何も出来ない野次馬が騒ぎ立てたりしないで、そっとしといてくれ」という声が聞こえてくるようだが、それでもやはり気になるのである。自分が何も出来ないから、神頼み的に気になるのかもしれない。なんと言ったって前人未到の記録を更新中なのであるから。

 野球選手にとって、メジャーリーグで試合が出来るということは夢の夢ではないか? その中で、常時出場どころか、誰も成したことのない記録を更新し続けるなんて、夢の夢のそのまた彼方の夢であろう。どのような天賦の才と努力が、それをなさしめているのか知らないが、凡人は、ひたすらその「才と努力」にすがって、記録の続くことを神に祈るのである。記録というものが、いつの日か必ず断ち切られることを知っているがゆえに。

 イチローは昨日の試合で2本のヒットを記録し、今期151本とした。つまり200本まで残り49とし、50本を切った。しかし試合数も残り45試合しかない。これが怖いのだ。いつスランプに陥り、数試合ノーヒットなどの日が来るか分からないからだ。
 イチローは例年、160試合ぐらいで210本ぐらいを打っている。つまり一試合で1.3本ぐらいは打てるのだ。とすれば45試合で60本ぐらい打てることになり、本来ならば問題はないのであろうが…。

 何よりも、彼は毎日なにを考えて生きているのだろうか? あのクールな彼が、昨年オフのインタービューで「199本で終わっていたら日本に帰れなかったでしょうね。怖いですね…」というような発言をしていたが、それを聞いて「やはり彼も人間なんだ」と思っただけに、今年も達成できるかどうかが気になるのだ。そして、彼の怖さには及びもつかないが、凡人なりに怖いのである。


東京湾花火を満喫

2010-08-15 14:42:58 | 時局雑感

                  

 昨夜は東京湾花火の開催日。思いもよらなかったが、この花火を満喫した。
実は当社は、先月の終わりに中野坂上から浜松町に引っ越した。浜松町駅の前、貿易センタービルの隣に位置する「浜松町スクェア」というビルであるが、この16階は芝離宮を隔てて東京湾に面している。その面する対岸が東京湾花火の打ち上げ場所なのである。
 当初は考えてもいなかったが、折角そのような好位置に恵まれているのなら楽しもうではないか、ということになり、思いもよらなかった花火見物となった次第。

  
         

 冷房の効いた事務所で、椅子にふんぞり返り、ビールを飲みながら「玉や~!」とやったわけだ。これまで花火大会なるものに随分出かけたが、押し合いへし合しながら暑い思いをして空を見上げたものだが、ビルの16階ともなればほぼ目線の高さに花火が開く。大玉にしても、椅子にふんぞり返った目線の範囲だ。

              
      

 これは贅沢な花火見物であった。群衆の中では「スリに財布を盗まれないように」など思うものだが、注意することは暗い部屋(花火が綺麗に見えるように灯を消したので)の中で、酒のコップを取りそこなわないようにすることぐらいだ。(酒をこぼして神聖な事務所を汚してはいけないから。) 
 もちろん、この齢になるとそれほどの感慨は沸かない。ただ1時間ちょっとで1万2千発打ち上げられた花火は、文句なしに綺麗であった。


赤十字社の仕事

2010-08-14 12:54:51 | 政治経済

 

 今日の毎日新聞朝刊は、一面トップで赤十字の活動と問題点などを報じている。題して「タリバン兵士に人道救命訓練」。そして赤十字の狙いは「中立確保」であるが、タリバン兵士の救命は「対テロ戦の妨げになる」という批判もあることを報じている。

 赤十字社は、タリバン兵士を対象に人命救助の組織的な訓練を06年から始めており、今年4月も行なわれたことがわかった、と同紙は報道。米欧の一部には、「救助された兵士は再び戦闘に復帰することもあるため、テロとの戦いの足を引っ張っている」と非難しているようだ。
 これに対し赤十字側は、「政治的に正しいかどうかは問題ではない。国際人道法(ジュネーブ条約)に基づく傷病者保護の任務のためだ」として、紛争が続く限り「続ける」方針を示しているという。
 根底には実に難しい問題があるだろう。しかし、純粋に人道救助の立場に立つ赤十字にとっては、敵も味方もない、国や宗教や人種の差別もない、いわんやイデオロギーなどの相違もなく、ただ「命を救う」、「傷ついた人に医療を施す」ことを目的としている。そしてその前提に「絶対的中立」と「沈黙」の精神がある。特に沈黙は、そこで知りえたことを絶対に外部に漏らさない、非難もしない、いわんや世論に訴えたりしない、と言うことのようだ。そしてそれこそが、相手が赤十字を受け入れる信頼を生んでいるのだ。
 これがまた難しい。事実を知って黙っているのは、そこに加担したことになるのではないか? 秘密に触れて沈黙を守るのは「共犯ではないか」となる。事実、ナチのホロコーストを知りながら沈黙していた時も、大きな非難にさらされ、50年後に「道徳的に誤っていた」と謝罪した経緯にあるという。(以上、毎日新聞1、2面記事より)

 しかし、中立と沈黙による信頼の中でしか、タリバンのような特殊な団体に近づくことは出来ないだろう。赤十字社は、スイスの実業家アンリ・デュナンの提唱で設立、その活動の機軸となる精神は「人道、公平、中立、奉仕、単一、世界性」である。

 明日は終戦記念日。この65年間、日本は直接手を染める戦争をしていない(アメリカとの協同体制の中では、かなりきわどいが)。しかし世界に紛争のない日は一日たりともなかったのではないか? その中での人道救助は、これまた一日たりとも怠ることは出来なかったであろう。


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