旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

山梨の春を訪ねて … デ・リーフデ会バスツアー

2018-04-28 10:42:55 | 


 いろいろあって投稿が遅れたが、4月11日、日蘭協会デ・リーフデ会主催の「山梨の春を訪ねて」というバスツアーに参加した。このツアーには副題がついていて、それは「桃源郷を訪ねて」というものであった。コースは、甲州市塩山の「慈雲寺」…武田家菩提寺の「恵林寺」…ワイナリー「ドメーヌQ](ワインとステーキでランチ)…「リニアー見学センター」というもの。
 ところが、今年は桜のシーズンが早まり、お目当ての慈雲寺の桜は「一枚の花弁も残ってない」という情報が入り、急遽、同じく塩山にある「甘草屋敷の雛飾り」見学に切り替えた。桃源郷と言っても桃の花だけでなく、桜も重要な要素になっていたのだ。やはり日本は桜なのだ。その桜は見ることはできなかったが、このバスツアーは結構楽しい旅であった。
 特に恵林寺は、さすがに武田信玄の力を味あうに十分なものがあった。1330年に夢窓国師によって開かれ、武田信玄が菩提寺と定めた臨済宗妙心寺派の古刹であるが、そこには信玄一族の墓だけではなく、柳沢吉保など信玄を慕う名だたる武将たちの墓などもあり、「人は石垣人は城」と言う信玄の人生哲学を垣間見る思いがした。
 以下写真だけを掲げておく。

 
   
       

 旧高野家「甘草屋敷」の雛飾り。つるし雛の中には10万円相当のものもあるという。

 
      

 織田信長は武田を滅ぼし恵林寺に押し寄せ、言うことを聞かぬ快川(かいせん)和尚など約百人の僧侶を山門に押し込め火を放つ。その時快川和尚が詠んだ「安禅不必須山水(あんぜんかならずしもさんすいをもちいず)滅却心頭火自涼(しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし)」という言葉が山門に書かれてあった。

  
 昼食をとった「ドメーヌQ]。日本一小さいワイナリーと言うのが売り込みだが、ワインもステーキもおいしかったなあ。特にマスカットの白がおいしく、1本2700円を購入して帰った。

    
    リニアー見学センター


83歳の誕生日を迎えて

2018-04-23 16:08:43 | 時局雑感


 今日、83歳の誕生日を迎えた。率直に「その感情」を記しておこう。
 80歳に近づくにつれて、「長く生きていればいいことがある、というのはウソではないか?」と何度も書いてきたが、毎年その思いを強くしている。いまや疑問符をつける余地はなく、長生きして決していいことはない、と確信している。
 と言って、自ら命を絶つ勇気など持ち合わせず、何とかとりつくろって生きていくしかないのである。今日も、何人かの人から「おめでとうございます」と言うメールを頂いたが、「ありがとうございます。何とか騙しダマシ生きています」と返事した。自分では「おめでたい」とは全く思ってないので、「ありがとうございます」というのは、正確には嘘であるが、後半の「騙しダマシ」は真実なのであろう。
 友人などから久しぶりにr連絡があると、その大半は誰かの死亡通知だ。いい話などない。いわんや夢や希望に満ちた話などない。一昨年は5歳下の弟の死を迎えた。女房も、兄や兄嫁を次々と失い、また60年来の友人のがん告知を受けてすっかりふさぎ込んでいる。
 思考力も行動力も落ちた上に、暗いニュースばかりが押し寄せいぇくるのである。「すべては気の持ちようだ。前向きに生きろ」と人は言う。しかし、どんなに明るく振舞ってみても現実の姿は変わらない。気の持ちようで世の中が明るくなる、なんていうのも、全くのウソである。
 しかし生きていかなければならないから、騙しダマシ生きるのだ。
 「人は望みを失っても生きなければならない」と言ったのは誰だったっけ? 太宰治? 三好達治? いや違ったかな?


禁を破った山桜桃の会(第18回)…新宿「思い出横丁」(旧称ションベン横丁)に繰り出す

2018-04-19 17:22:18 | 


 山桜桃の会も足かけ6年、18回目を迎えたが、今回は、従来の禁を破って新宿のいわゆる「ションベン横丁」に出かけた。禁を破ってというのは、この会は元三井銀行員を中心にした酒の会で、いうなればお上品な酒の会である。私は銀行員がお上品な人の集まりなどと決して決めつけてはいないが、まあ、一般論がそのような素振りを規定づけている。私は、これは困った規定付けだと思っているが、あえて否定することもなかろうと、何となくそのような規定付けの中に安住して生きてきた。
 したがってこの会も、大衆居酒屋と言ってもやや高級感のある大塚の『串駒』、新宿の『吉本』、御苑前の『うま久』などを皮切りに、場末や下町に行っても浅草の『一文』、八幡山の『かわしまや』など立派な店で開いてきた。ビールにしても新宿の『カフェ・ヒューガルデン』、ワインを飲むにも神楽坂の『セリソー』などで、オスマシをしながら飲んだ。
 ところが今回、私の昔話をきっかけに、この禁断の地に足を踏み入れることになったのだ。なぜこの地を禁断の地と言うか? それは、酒と料理の本当の味はこのような地でしか味わえないからだ。お上品な店で、ご立派な(?)話をしながら、おちょぼ口で飲む酒など本物ではない。だからションベン横丁は、「思い出横丁」などと名前を変えても生き続けるのだ。また、だからこそこの地に一度足を踏み入れるとそこから抜け出せなくなるのだ。私は「お上品な銀行員」たちが、この禁断の地から抜け出せなくなることを恐れているのだ、
 とはいえ、「ションベン」という言葉を口にできない女性2名を含んで、この地に出かけた。そして参加者は、酒も料理もおいしいことに喜びの声を上げた。最も、ションベンを口にできない人々のために、この横丁では最上級の『大黒屋』さんに連れて行ったのであるが。
 これで、後を引くようになるかどうかは今後の楽しみ……

 
 いざ、ションベン横丁(思い出横丁?)に入るぞ!
  
      

 
 『大黒屋』で、先ずはお上品に獺祭スパークリングで乾杯



 『大黒屋』さんの、季節野菜の天ぷらなどは大好評でした。以下に写真だけ。

  
  
    私の好きな「イカ納豆」
       


日本酒の動向 … 「純米酒フェスティバル2018年春」に因んで

2018-04-14 11:37:11 | 


 先日4月8日(日)に、「純米酒フェスティバル2018年春」の開催を無事終えた。これで19年目に入り、実に37回目の開催である。午後の部は若干の陰りが見え始めたが、昼の部は依然として満席が続き、今回も620名を超えた。2回合わせて1000名を超える勢いが続いている。
 この隆盛の主因が、多様な味を持つ純米酒の美味しさにあることは、疑う余地があるまい。この純米酒運動を推進してきた人々の大方の見解も、「今や純米酒は主要な地位を占めてきた」というものだ。一つは、純米酒が全酒量の25%以上を占めてきたこと、二つには、特定名称酒の中で、純米酒系が本醸造酒などのアルコール添加系の酒を凌駕してきたことによる。
 とはいえ、純米酒の生産量は80万石弱(販売酒の平均度数15%換算)に過ぎない。全生産量は、ピーク時の三分の一である約300万石(同前)に落ちており、その中のシェアー25%である。この長期低落型日本酒の中で、唯一純米酒系が健闘してきたのであるが、そして今後もこの純米酒系が日本酒を支えていくことになるのは間違いないが、全酒量をここまで落としてきた真犯人はだれか、という議論も起こり始めた。これはまた大変な内容を含むので、その議論は後日におくるが。

 それはさておき、参加者には、30の蔵が提供する優劣つけがたく美味しい酒に大変満足して頂いた。その中のうれしい話を一つ。
 私の会社の女性社員が、当初は会社のお客さんをお連れする予定であったが来れなくなったので、ちょうど九州から上京していたご両親をお連れした。ところがこのご両親が、お酒の美味しさはもちろん、フェスティバルの楽しさにすっかりご満悦、「秋にもぜひ参加したい」と、娘さんに入場券の購入を依頼して帰られた。
 これには私も感動した。おそらく秋のフェスティバル(10月14日開催予定)の予約第1号に相違なく、しかもそれが、「九州大分県から参加」と言うのは、37回の開催歴史の中でも初めてであろう。主催者冥利に尽きるものがある。

 
      

 
 主催者「純米酒普及推進委員会」のメンバー(5人中4人)
 「齢はとってきたが、期待に応えて、もう少し頑張るか!」、


四月…今昔

2018-04-07 13:36:01 | 時局雑感


 四月も、早や、一週間が過ぎ去ろうとしている。甲州街道の欅は緑を増し、庭のハナミズキも一気に白い花をつけた。実はこれは、花ではなく苞(ほう。葉の変形したもの)であるが。四月は、一年で一番花やぐ時節である(…であった、と言う方が正しいか?)。

 年度初め…、新入生や新入社員、昇格や昇給、転勤…、歓迎会や歓送会、加えて23日は私の誕生日…、飲み会は続き、「行く春ややぶれかぶれの迎酒」(子規)という印象の月であった。一日のエイプリル・フールから、いろいろと悪巧みを働かせたものだ。今や、そのような言葉さえなくなったようだ。

 この齢になれば、四月と言っても華やぐ気持ちはない。新年度だからと特に計画を立てるわけでもないし、その必要もない。もちろん、何もないわけではない。明日は純米酒フェスティバルで、2回に分けて計1200人のお客さんを迎えるので、主催者の一員としてはそれなりの緊張がある。11日には「桃源郷を求めて」という山梨バスツアーに参加する。18日も「山桜桃の会」(酒の会)だ。
 娘の主宰する「ミャゴラトーリ」は、5月5,6、9、10日と四間のオペラ公演を打つので、日夜けいこに励んでいる。わが家の狭い音楽室に、歌手たちのソロや重唱が響き渡り、公演成功に期待は高まる。

 83歳の誕生日も、否応なしにに来るだろう。昔と変わらず、いろいろあるのだ。華やいだ気持ちはないが、それなりに充実している。それでいいのだろう。

  
       

 わが庭のハナミズキ。ただ、隣家の建設で枝を落とし、例年になく寂しくなった。

   
 


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