四月も終わろうとしている。いいニュースは一つもない。
プーチンの暴虐は目に余る。冷戦終結後、自らの国も参加して取り決めた国境を踏みにじり、他国に侵略し無差別攻撃を繰り返す。国連憲章にも、国際人道法にも違反する。21世紀にあって想像を絶する暴挙だ。ただ、最大の問題は、国連の無機能を始め、人類はこの暴挙を止めさせる術を持っていないということだ。
知床沖の観光船の事故は、その後の会社社長の会見などを聞くにつけ、人災以外にあり得ない感を強くする。当面の利益だけを追って、当然備えるべき「公共的企業」としての備えは何もしていないということだ。これまた、このようなことを「当然のこととしてチェックする機能」を未だ人類(いや、日本というべきか?)は持っていないのではないか?
円相場が、20年ぶりに、1ドル130円台まで下がった。国力の低下をまじまじと感じる。30年前、日本の一人当たりGDPは世界2位まで上がった。今や20数位に下がっている。子供の学力など世界の一、二位を競っていたがいまや見る影もない。この国力低下は誰がもたらしたのか? 責任は何処にあるのか?
いいニュースは一つもない。
ウクライナ戦争は、ロシアのウクライナ東部への攻撃の集中という形で、新たな段階に入ってようだ。プーチンの残虐行為が、これまで以上に激しさを増すのではないかと危惧されている。そして各テレビ番組は、「ロシアの侵略は成功するか?」、「ウクライナはそれを阻止できるか?」、「ロシアとウクライナは戦力においてどちらが強いのか?」など、戦争論議に明け暮れている。
それにつれて、「日本も例外ではない、核共有を含め戦力アップしなければ国を守ることはできないのではないか」、など戦力増強論議が頭をもたげている。政府はすでに「軍事費のGDP比2%化」などの議論を進めている。
果たして軍事力の増強で平和を保つことができるのか? ウクライナ戦争では戦略核の使用も現実問題として議論されており、核は抑止力ではなく使用可能な兵力であることが現実化して来ている。
戦力の増強が平和をもたらした例があるのか? 一国の力の増強は、その周辺に不安と屈従を生み出し、その発露は戦争へとつながったのが歴史の示すところではないのか? 今こそ人類は、その叡智を傾けて「話し合いと共存の道」を探るべき時だろう。
改めて日本国憲法を開いてみると、その前文に次のような記述があった。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われわれの安全と生存を保持しようと決意した。われわれは、平和を維持し、専従と隷属、圧迫と偏狂を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われわれは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から逃れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
昨年暮れ丸坊主にされた庭のハナミズキ、頑張ってほんの数枝が花開いた
昨年暮れ、久須美酒造が「純米大吟醸『亀の翁』10年古酒」を秘蔵酒として発売したのでこれを入手、一人で飲むのも淋しいので兄弟3家族に呼びかけていたが、コロナに邪魔されて機会を失っていた。ようやく一昨日(4月10日)、我が家に集まることが叶い楽しい酒宴を張ることができた。
せっかく10年古酒を飲むのだからと、これを機に久須美酒造の名品を取り揃えて飲むことにした。曰く、『亀の翁』3年もの、純米吟醸『亀の王』しぼりたて、純米吟醸『夏子物語』生貯蔵酒、純米吟醸『七代目』生貯蔵酒、がこれである。
これらの名品を、「チーズ・たらこの春巻き」など娘の手料理と、私の最も好む「魚河岸すし」などでタップリ味わった。
思えば、久須美酒造六代目記廸氏が戦前の幻の酒米と言われた「亀の尾」を、1500粒の種籾から復活させて45年、純米大吟醸を『亀の翁』を世に出して42年、その酒造りを3年にわたり取材して私たちが「酒は風」を出版(英夫妻と共著)したのが1991年であるから既に31年前。その間、久須美酒造も発展して、『七代目』を出した賢和氏が今や社長、その後を継ぐ八代目が今年新潟大学日本酒学部に入学したという。
これらの思いを巡らしながら飲む銘酒と名肴の会は、久しぶりに会った兄弟家族との懐かしい話題とも相まって、至福の時を与えてくれた。
この贅沢は「ちょっと…」どころではなかったかもしれない。
朝から晩まで、暗く悲しいウクライナのニュースがテレビを流れる。破壊されたビル、ガレキに覆われた街、そこに投げ出された一般市民の遺体の数々…。
「食事の時にこのような画面は見ていられないヮ」と、妻は必ず画面を切り替える。しかし目を伏せても、そこで行われている蛮行を消すことはできない。「あの国が欲しい」と思ったら、そこに攻め入り、街を焼き払い、市民を殺し、その国をかすめ取っていく…。人類はこのような水準からいつ脱出することができるのだろうか?
自然界だけが、他を傷つけることなく自らを保ち続け、毎年その美の営みを粛々と営み続ける。今年は4月を迎えても冬の寒さが続いたためか、満開を迎えた桜が長く続いた。我が家の玄関口のかいどうも、例年になく美しい満開を長く保っている。あたかもウクライナ戦争に抗議しているかのように…。
松澤病院の桜
上北沢の桜
玄関口のかいどう