お酒のさかなは、何も食べ物に限らない、とこのシリーズの冒頭に書いた。珍しい話題を寄ってたかってたたき合うことを「酒のさかなにする」という言葉があるように、酒飲みは、この話題をこそネタにしながら酒を酌み交わすのである。
酒は一人でむっつり飲む場合もあるが、たいていは仲間同士が寄り合って飲む。その場合の共通の話題こそ最高の酒のさかななのである。
サラリーマンが仕事帰りに飲むときの共通の話題は、会社の悪口、上司の悪口、それに女房にたいする小言である。「こんなことだからウチの会社はダメだ!」、「あの部長じゃあわが社の将来はない!」、「ウチのかあちゃんなんて、俺の苦労をこれっぽっちも分かってねえ」……。それらが激しさを増すほど気焔が上がり、場は盛り上がる。
しかし、それらをよく聞いていると、彼らは決して会社や上司を、ましてや女房を憎んではいない。むしろ会社の将来を思えば思うほど、女房や家庭を愛しているからこそ、その憤懣をぶつけ合っているように見える。やがてお互いに慰めあい、諌め合い、新たなエネルギーを得て家に向かい、翌日の会社に向かう。
とするとこれほど素晴らしいさかなはない。お代はタダで、酒を盛り立て、新たなエネルギーの蓄積と愛を確かめ合う糧となる。すべてがそうとは言わないが、サラリーマンの酒なんてそんなもので、少なくともそれが戦後の高度成長を支えてきたような気がする。
英国のチャールズ皇太子が初めて日本に来たとき、「どこに行きたいか」と聞かれて、即座に「サラリーマンの飲んでいる町の居酒屋」と答えたと聞いている。彼の初来日は1970年の4月であったので大阪万博の年、日本は高度成長のまっただ中だ。彼は、高度成長を支えるエネルギーが、夜ごと杯を交わすサラリーマンの中に蓄積されていたことを知っていたのだ。
さすがに大英帝国Great Britainの総師を運命づけられた人物だ。彼は当時21か22歳であったと思うが、政治の要諦は「民のカマドの煙の勢い」を見ることにあると自覚していたのであろう。もっとも、この要求は実現しなかったと聞いている。英国王子を巷にさらす勇気を、日英の政治家や官僚は持ち合わせていなかったのである。
この話は、「だから国はダメなんだ」と、当時だいぶ酒のさかなになったが、今思えば、もっと真剣にさかなにすべきテーマであったかもしれない。