昨日窓のガラス拭きを終え、今日各部屋に掃除機をかけて、数箇所のカレンダーを張り替えた。これが年末恒例の私の仕事である。と言えば立派なようだが、一年を通じて唯一の「私の行なう家事」である。
この唯一の家事も、齢の重なりにつれてつらくなる。昔は2階から1階にかけて一気に終えたものだが、一枚の窓ガラスを拭いて一息いれる。腕が疲れる上に以前のようにガラスが綺麗にならない。以前は一点の曇りも残さずピッカピカになって気分もすっきりしたが、気のせいかいくら拭いても“拭き跡”が残っているような気がする。腕の力が弱ってきたのだ。
加えて少しずつ“手を抜く”ことを考える。「こちらの窓は網戸に重なっている方だから、少しぐらい汚れが残っていても見えやしない」なんて考えて手加減する。「こちらはいつも障子が閉まっているので、あえて拭くこともないのではないか」とか勝手に決める。結局すべて拭くには拭いたが。
掃除機も、隅の荷物の置いてある場所など、荷物を動かすことなく空いているところだけかけて済まそうとする。本当は、その荷物の下こそゴミがたまっており掃除の必要があるのだが。
甲斐甲斐しく正月の料理を作っている台所のワイフを横目で見ながら、「年一回の大掃除だ。少しは気合を入れてやれ!」とか言い聞かせながらやるのであるが、なかなか気合どおりには行かない。
まあしかし、とにかく終わった。ワイフに指摘された居間のガラス窓の拭き残しを、画竜に点睛を入れるがごとく最後にふきとり、清清しい気分ですべてを終えた。
これでわが家にも正月が来るだろう。少々の手抜きは、神も齢相応と許してくれるに違いない。
来年は私も75歳、ワイフは70歳の古希を迎える。いい年でありたいものだ。