名古屋で何か難しい会議が行なわれているなあ、とは思っていたが、名古屋議定書なるものが採択されて読んでみると、改めて難しいものだと思った。
それにしても、75年も生きてきたがあまり考えもしなかった問題だ。動物などの絶滅品種に直面して、その保存に努力する姿は、個別にはいろいろと考えたことがあるが、総合的に、本質的に考えたことはなかったと言っていい。世の中は知らないことばかりだと思った。
多様性とは、それぞれが他をもって替え難き存在で、従ってその一つを失っても生態系に問題を生じるような性格のものであろう。とすれば生物の多様性維持は、まさに地球的課題といわねばなるまい。
人類は、動物や植物も含めて、欲しいものを手当たり次第に食べたり使用したりしてきたのだ。そしてある時気が付いてみるとその対象が絶滅に瀕していたり、自然環境が取り返しのつかない状態になっていたりしている。地球温暖化問題もその一つであった。
あわてて世界中が集まって議論するのだが、最早手遅れのものもあり、未だ間に合うものでも各国の利害が一致せず、いらいらしながら議論するが有効な策は出てこない。今回の名古屋議定書と「名古屋ターゲット」なるものがどこまで有効なのか私にはわからない。
「2020年までに陸の17%と海の10%を保護区に」と言っても、現在どのくらいのが保護区になっているのか、それを17と10%にしてどんな効果が出てくるのか、今まで考えたこともなかったのでさっぱりわからない。
地球温暖化対策でも、成果が上がっているのかどうかもわからず、とにかく毎年天候不順がひどくなっている実感だけが残る日々だ。私はもちろん何も分からないのであるが、これらに寄与するために、私みたいな無知なものを含めて、日々どんな意識で生きていけばいいのか? 無知、無感覚がわれながら恐ろしくなった。
ただ、地球温暖化対策が「京都議定書」としてまとめられ、生物保護問題が名古屋議定書として採択され、いずれも日本が主導的なな役割を果たしたことはうれしく思う。それにしても、その議定書を生かすために日々なにを心がけていけばいいのだろうか?