旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

悲しい日 … 書斎の窓から空が消えた!

2017-11-30 10:59:03 | 時局雑感

 



 今日で11月も終わる。早くも師走か…
 今月はいろいろあった。弟、淳の三回忌で帰郷した折、旧友と鶴見岳に上り、健次(5弟)親娘と国崎半島の両子寺に行った。いずれも故郷の美しさを再認識する小旅行となった。続いて中旬、K大先輩家族と奈良・京都をまわった。これも1泊2日の小旅行であったが、法隆寺や唐招提寺の歴史に触れて、中身は大きかった。
 同窓会もいくつかあった。鶴見岳に上った3人で「高校のミニミニ同窓会だ」と話し合い、帰京後、東京在住者の高校同窓会があったので続きのようなものだった。三井銀行の組合関係者の同窓会「心友会」もあり、これも中身があった。今夜は、同じく三井銀行時代の仲間3人と会食で、これまた続きのような感じだ。
 それはさておき、我が家ではやや暗い話で持ち切りだ。実は南側に2軒の3階建て建売住宅が建つ。ここは義兄の所有地で駐車場をやっていたので、我が家にとっては「南側の明るい空間」となっていた。これが、義兄も高齢となり駐車場経営をあきらめ売却することになったので、一挙に3階建てによりその空間が奪われることになったのだ。
 私たちがこの地に住み始めたのは、今から55年前にもなる1963年。当時は200坪の土地に5軒の平屋が建っており、そのうちの1軒に住みついた。緑も多く、明るい日差しに満ちていた。やがて2階建てを建てたが、20数年前から3階建てが解禁になり、我が家も3階建てに建て替えた。南の甲州街道に面し4階建てのビルがあるので遠望はきかないが、前述したようにその間が駐車場で平地であったので、陽光には恵まれていた。
 それがこのたび失われることになったのだ。昨日は朝から上棟の工事が始まり煩いので、それを避けるために妻と近くの蘆花公園に散歩に出かけた。帰ってみると、見事に3階の枠組みが立ち上がっている。1階の東南に面したわが書斎に入ると、なんと! 南側の窓から空が消えていた。それは小さな空ではあったが、わが書斎に日差しを届けてくれていた。猫の額のような庭ではあるが、まてば椎、もみじ、羅漢槇、椿、ハナミズキ、紅梅、ヒマラヤ杉などが植わっており、それにも日差しを注いでくれていた。
 その空が消えた! 2017年11月29日、この日を悲しい日として記憶し続けることになるだろう。


 
    
     蘆花公園の紅葉

  

           
        わが庭のもみじも真っ盛り

 


秋の京都、奈良を歩く③ … 和辻哲郎『古寺巡礼』に学ぶ

2017-11-24 11:21:16 | 



 そもそも、この旅の発端は和辻哲郎の『古寺巡礼』にあった。K先輩は、和辻が同署の中に書いている「宗教心で寺を回るのではない。仏像を中心とした美術、文化を求めて行くのだ」という言葉に共鳴する。K先輩は「私は無神論者だ」と言い切る。百済観音像の前に2時間立ち尽くすのは、宗教心からではなく美と求めてのことだ、と言う。私は、自分を仏教徒だと思っている。寺に行けば賽銭もあげればお祈りもする。しかし熱烈な信仰心は、申し訳ないが持っていない。神頼みはするが神の存在は信じていない。先輩と何がどう違うのだろうか?
 それはさておき和辻であるが、私は和辻の『イタリア古寺巡礼』を思い出し、その「シチリアの春」という項にギリシャ神殿について書いていることを話した。アグリジェントのコンコルディア神殿につき、概略次のようなことが書かれてある。
「ギリシャ建築を見てまず第一に受けた印象は、その粛然とした感じである。…それは単純さに起因するが、単に簡単だということではなく、豊かな内容を持ちながらそれに強い統一を与え、その結果結晶してくる単純さである。この粛然とした感じを味わって、それに比べることのできるのは唐招提寺の建築だと思う」
 この話をする中で、訪問する寺に唐招提寺が加えられた。当初の予定から薬師寺を外し唐招提寺としたのである。確かに唐招提寺の静謐感は、和辻が「比類なき静寂感」と感じたギリシャ神殿のそれに匹敵するものがあるのであろう。和辻はもう一つ重要なことを言っている。それは両者の同一性(静寂感)と同時に、その差異についてである。概略以下の通り。
「静寂という点で同一性を持つが相違点もある。ギリシャ神殿の屋根は直線、日本の仏寺のそれは曲線…、木材と石材という材料の相違も重要。木材は本来生き物であるので、生き生きした感じを出すのにさほど努力を要しない。石は、材料としてそもそも死んだ感じであるので、それに生命を吹き込まなければならない。ギリシャ建築では、石材を完全に征服して生き物にしている。柱の円み、そこにつけた竪溝(たてみぞ)、軒周りの三条の竪線などで、不思議に石を生き生きしたものにしている」(同署岩波文庫144頁より抜粋)

 私は、2005年になるがシチリア訪れ、その時見たセジェスタの神殿の「恐ろしいほどの静寂感」を想起した。セジェスタの神殿は未完成とも言われ、円柱に未だ竪溝は施されていなかった。

  
 セジェスタの神殿。人里離れた丘に忽然と立っていた
    
    唐招提寺の正面の円柱

 最後に下世話な話を一つ。
 夕食は再び京都に帰り、有名な『わらじや』で雑炊を食べようとコースを予約しておいた。ところが、寺まわりに熱が入ったのと日曜日で車も混み時間が無くなった。新幹線の時間で尻が切られているのでどうにもならない。本来は「う鍋(ウナギ鍋)」、「う雑炊(ウナギ雑炊)」とゆっくり食べていくのだが、全ての料理を一緒に並べさせ、左手で酒をあおり右手で料理をかきこむが、それでも「う雑炊」の半分は食べ残した。有名店だけあってお値段も立派で一人8千円(酒込み)、「8千円雑炊の立ち食い」という有様であったが、まあ、それだけ寺まわりに時間を費やしたのだから、ご利益は大きかったと思うべきであろう。

  う鍋
   う雑炊

        



秋の京都、奈良を歩く② … 観音像を求めて奈良の寺を回る。

2017-11-22 14:53:02 | 



 翌日も好天に恵まれ、奈良の寺を、法隆寺、中宮寺、唐招提寺、秋篠寺と回った。唐招提寺は急遽予定を変更して行くことになったのであるが(理由は後述)、この寺巡りの目的は「観音像を求めて」というものであった。
 まず法隆寺も、「…つぶさに見れば一日かかっるので、全て省略して観音像に集中する」というのがK先輩の計画、そして案内されたのが「百済観音像」。なにせこの像は、K先輩が二十歳のころ、当時前に置かれてあったベンチに腰を下ろし、2時間動かずに眺めつくしたという仏像である。しかも、90歳を前にして未だ魅力を失わず我々を案内しようというのだから、その思い入れの深さは測り知れない。寺のリーフレットにも次のように書かれてある。
「法隆寺に伝わる百済観音像(飛鳥時代)は、わが国の仏教美術を代表する仏像として世界的に有名…、また日本の仏像には珍しい八頭身のすらりとした姿と、優美で慈悲深いその表情は、多くの人を魅了しています」

 このように一つ一つ説明していくと、とてもこのブログには収まり切れないので省略するが、続いて、同じく法隆寺の夢違観音像(白鳳時代…この像に祈ると、悪夢が善夢に変わると伝えられる)、中宮寺の如意輪観音像(白鳳時代)など、また、首のない像や首をすげ替えた像などいろいろと続く。中でも、首のない像については、「どのような美人であったのか」が話題となり、首をすげ替えた像については、ちょっと傾いだ首がなまめかしさを感じさせ人気がいいという。昨日の永観堂の「みかえり阿弥陀」にせよ、前記如意輪観音の右手をほほに寄せた様といい、女性はやはりちょっとしたしぐさに魅力が現れるものであろう。
 ということで詳細は避けて、ここでも寺の写真のいくつかだけを掲げておく。

  法隆寺
       

     
      中宮寺


   唐招提寺
         


  
     秋篠寺への参道をたどるK先輩           秋篠寺




 




秋の京都、奈良を歩く … 先ずは、永観堂の紅葉の美しさに驚く

2017-11-20 22:45:37 | 

 

 

 仏像に詳しいK大先輩に、いつか奈良の仏像を案内してほしいと、予てから依頼していた。それがようやく実現して、先輩のご家族とわが夫婦の、5人の小旅行が実現した。小旅行と言っても、K氏のお嬢さんにレンタカーを運転して頂くという大変なご負担をかけることになったのだが。
 折角の機会だから、奈良を回る前に、懐かしい京都の「新町クラブ」(三井銀行の昔の保養所)に泊まり、ついでに京都の寺もいくつか回ろうということになった。訪ねたのが、永観堂、南禅寺、光台寺。ところが、この紅葉が素晴らしかった。特に永観堂の紅葉が素晴らしく、観客の多さにも圧倒された。過去に1、2度訪れたことがあるが、どちらかと言えば「寂しげなお寺」といういう印象を抱いていたが、紅葉の鮮やかさと長蛇をなす観光客に印象が一変された。
 その後訪ねた南禅寺の方がむしろ静寂感があった。ライトアップされた光台寺の紅葉を含め、「京都のもみじ」がこのように美しいものであったのかと、改めてその存在を認識した。言葉は必要ないと思うので、以下に写真だけを掲げておく。

  
    
 
     
               

     
     
 有名な「みかえり阿弥陀」も、人の多さに驚いたであろう。

 
 
ライトアップされた光台寺の紅葉 … 北政所ねねさんは、この程度では驚かないか?
         

 

 

 

 

 

 


弟、淳の三回忌で帰郷(つづき) … 国東半島の両子寺を訪ねる

2017-11-09 15:25:14 | 



 鶴見岳の景観を愉しんだ昨日に続き、今日(6日)も快晴無風。この機を逃すまいと早めに臼杵を発って大分空港に向かい、フライト前の時間を利用して両子寺に向かう。両子寺は、国東半島の中央にそびえる両子山の山麓にあり、空港より車で40分で行ける。
 この寺は「六郷満山両子寺」と呼ばれ、天台宗別格本山。リーフレットに次のように書かれてある。
 「AD718年(養老2年)に仁聞菩薩が開基。六郷満山の中では中山本寺、すなわち山岳修行の根本道場に当たり、特に江戸中期より六郷満山の総持院として全山を統括してきた…」

   
               

 護摩堂(本堂)に上がると和尚らしき人物が案内をしているので、「東京から来た。大分に行けば何としても両子寺に参れ、と言われているので参上した」と告げると、「それはようこそ……、それでは鐘を鳴らして厄払いをしよう」と、我々を中央に座らせ、鐘や太鼓をを打ち鳴らして祈ってくれた。
 続いて「干支は何か?」と問うので「イノシシだ」と告げると、「イノシシ生まれの人は阿弥陀如来が司る。阿弥陀如来の御真言は『オンアミリタテイセイカラワン』というので、今後お祈りの前に必ずこの真言を唱えよ。決して干支を間違えてはいけない」と諭された。御真言の言葉を覚えていられるかなあ、と思うと身の引き締まる思いであった。

  
 不動明王を祀る本堂                    阿弥陀如来のお札

 それはさておき、この寺の一番の有名スポットは仁王門。赤い橋を渡ると巨大な仁王様が両脇に立ち、その間の階段を上がると山門へと続く。この苔むした階段が、周囲の樹々と仁王像と調和して、そこに立つ人の心を鎮めてくれる。
 早速、仁王様にあやかって余生の安寧を祈ろうとしたが、ついさっき和尚に教えられた阿弥陀真言が思い出せず、仁王をまねしたポーズも様にならず、悟りの境地などほど遠いことがよく分かった。

  

 
            
 折しも現れた狸が、人の浅はかさをあざ笑って通り過ぎた。

 むしろ、最も御利益を感じたのは、空港で健次(弟)にご馳走になった「関アジ関サバ」と純米酒「鷹来屋」であった。情けないことだ。

  
   弟親子と、手前が「関アジ、関サバ」の盛り。美味しかったなあ!
      



  

 


弟、淳の三回忌で帰郷 … 臼杵の竹宵、鶴見岳の展望

2017-11-07 17:21:39 | 

 



 早いもので淳の死から2年が経った。一周忌に続き三回忌も「うすき竹宵」に合わせ行った。幾人かの人が病気や加齢で参加できなかったが、相応の人の参加を得て淳の在りし日を偲んだ。
 家で法要を済ませ、うちそろって龍源寺の墓地に向かう。父や母とともに淳も眠るこの墓地は、鎮南山に向かい立って周囲の展望もよく、臼杵で一番懐かしい地となった。

   

 法要を終えると、これまた恒例によりフグ料理屋『高島』で「フグコース」を食べる。臼杵の味を満腹して竹宵の街に繰り出すのがお決まりのコースだ。昨年に比してやや寂しい感じを受けたが、今や臼杵の名を全国に伝える大きな行事となった。

          
          臼杵のフグ
 
  龍源寺の竹宵



 開けて5日。私は旧友二人と計画して鶴見岳に上った。上ったといってもロープウエーで山頂近くに立っただけだ。鶴見岳は、別府市の真裏に聳え標高1375m、若いころは苦労して登ったものだが、今や標高約500mの高原駅から(もちろんそこまでは車で乗り付けるのだが)、線路全長1816m、線路高低差792.5mのロープウエーで頂上に立てる。
 その日は快晴無風、頂上を巡る数か所の展望台から周囲の景観を満喫した。眼下に広がる別府市街から別府湾がつづき、その彼方に豊後水道を望む。翻れば由布岳の双耳峰がその美しい姿を誇り、南に目を転ずれば祖母・傾の連山が雲海の上に浮かんでいた。思いもよらない景観に、ふるさと大分の素晴らしさを再確認。

  
    旧友二人(眼下は別府市街)
      
        紅葉で美しい鶴見岳の稜線と、由布岳の雄姿

 
      雲海に浮かぶ祖母山・傾山連峰
 
  やわらかい日差しの中を散策
   
     山を下りて、志高湖にも行ってきました

     
        

 

 

 

 

 

 


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