私たちの銀行生活は、全く多忙に追いかけられ、旅という思いすら何もなかった。52歳になってようやく銀行に退職し、いわゆる第二の人生を初めて、三井ホームの中で「自ら計画をもって生きる」というゆとりを持ってきた。
「そうだ。旅に行こう」
「せめて一年に一度は海外旅行をやろう」
と動き始め、先ずアメリカに出かけた。53歳、1988年6月、北米はシカゴ、ナイヤガラ、ニューヨーク、ニューオーリンズを出かけた。そして最後は、76歳、2011年、オーストラリア(シドニー、メルボルン)までが海外旅行の記録であった。
23年間、北米・中米、西欧・中欧・北欧、アジア一帯(含む豪州など)に及び、海外旅行数としては、22回、25か国、75か都市を回った。
23年間、北米・中米、西欧・中欧・北欧、アジア一帯(含む豪州など)に及び、海外旅行数としては、22回、25か国、75か都市を回った。
出版物としては『旅のプラズマ~心に残る街・人・言葉』と『旅のプラズマパートⅡ~世界の酒と日本酒の未来』である。
日本の各地を回った旅は、県別の最後となったのは青森県であった。1999年6月19日、私は秋田県側から発荷峠を超えて十和田湖畔に降り立った。奥入瀬渓谷を下って、蔦温泉に宿泊。これをもって一道一都二府四三県のすべての県に「その地に行った」ことになった。(その地に宿泊、酒食をもって旅とする定義)
もちろん、その旅も数多く重ねてきたが、また膨大な記録と書き物を抱えてはいるがそれはさておき、コロナに出会い、旅も終末を向かえてしまった。2020年、実弟の七回忌もあって、ささやかな旅に出かけた。「臼杵(フグを食べる)…九重高原(ブナの山小屋)…杵築(坂の道を歩く)…日出(カレイを食べる)」という旅であって、正に「ささやかな風情」を味わったものであった。
旅もこれでオシマイ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます