狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

石原慎太郎 「核開発の是非」を語る 

2006-11-06 08:59:29 | 普天間移設
◆【日本よ】石原慎太郎 核開発の是非 (産経 06/11/06)

 最近になればなるほど、昔司馬遼太郎氏がよく口にしていた言葉を思い
出す。「日本人というのは不思議な人種やなあ。多くの連中にとってある
種の観念の方が目の前の現実よりも現実的なんやから」と。

 国家民族の存亡に関わる「平和」についての日本人の考え方捉え方につ
いてもしみじみそう思われる。

 平和を望まぬ者などどこにもいはしまいが、「平和」とはある国家なり
社会の現実に在る姿であって、その安定した姿が確立されていなければ
「平和」は平和として成り立たない。

 平和を願って成立させるためには、現実的なさまざまな配慮手立てなく
しては有り得ない。

 田中美知太郎氏の至言に、「憲法で平和をいくら唱えてもそれで平和が
確立する訳はない。ならば憲法に、台風は日本に来てはならないと記すだ
けで台風が防げようか」とあったが、平和にしろ何にしろ、多くの人間が
願う理念の実現には現実的な手立ての積み重ねが要るし、それを脅かしか
ねぬものが在るとするならその排除、防御が現実の手立てとして必要とな
る筈だ。

 多くの同胞を誘拐拉致し、多量の麻薬を持ちこんで売りさばき、多量の
偽ドル札を横行させている、まさに強盗に匹敵する隣国がさらに加えて核
兵器を開発して、それをかざし日本を瞬時にして火の海にもして見せると
我々を恫喝(どうかつ)している時、それを防ぐ日本なりの手立てとして
日本の核開発について議論せざるを得まいという、与党の政策責任者の中
川昭一氏の発言が、非核という理念をかざして非難されるという現象は司
馬氏の慨嘆を借りるまでもなく滑稽、愚かとしかいいようない。

 ある種の理念の前では自由な現実的議論さえ封じられなくてはならぬと
いうのだろうか。

 そうした非難の前提にはアメリカの核の抑止力への盲信が透けて見えもする。

 核戦略の技術は刻一刻変化進歩しているが、日本人の核に関するある理
念を表象している、佐藤内閣時代にいい出された非核三原則なるものが踏
まえた当時のアメリカの核戦略の抑止力のメカニズムそのものも、NOR
AD(ノース・アメリカ・エア・デイフェンス)とSAC(ストラッジ・
エア・コマンド)の仕組みからして当時の日本には全く及ばぬものだった。

 沖縄返還の際に言い出された非核三原則なるものの空虚さについて、驚
くことに日本の政治家としては初めて現地を視察した私にNORADの司
令官が明言した通り、アメリカの核戦略に関する警備体制はその名の通り
北米大陸のみを対象としたもので日本への攻撃の察知には全く役に立たな
いものでしかなかった。

 当時の参院議員予算委員会で「核は作らず、持たず、持ちこませず」と
いう三原則は語呂合わせの阿呆陀羅経のようなもので、作らぬ、持たぬが
故に持ちこまさせるべきはないかと質(ただ)した私に佐藤首相は、「こ
れは国是だ」とつっぱねたが、佐藤氏の兄の安保を相務条約として改定し
た岸信介首相の所信はあくまで核二原則で、故にも日本への核の持ちこみ
是としていた。

 ごく当たり前の話しで、従来現実日本に寄港するアメリカの重要艦船が
搭載している核兵器を、寄港の前にどこで外して下ろすかなどという話は
聞いたこともないし有り得る話しでもありはしない。

 しかし種々技術の進歩で核兵器の運搬手段も変化し、現に支那海に遊弋
しているアメリカ原潜には迎撃困難な強力な巡航ミサイルが搭載されるよ
うになりはしているが、当のアメリカの国力の減退、孤立化傾向の中でそ
れでもなおアメリカの日本防衛のための十全なパートナーシップが期待で
きるか出来ぬかは将来論のあるところに違いない。

 前にも記したが、アメリカは多量の人命の喪失に繋がる軍事的コミット
メントにはますます躊躇するだろうし、その一方中国は毛沢東以来の伝統、
半ば国是として、千万単位の人命の喪失には無頓着でしかない。

 そうした状況の中でさらに強盗国家の北朝鮮までが核兵器の開発を提言
着手している現実に、日本が自力でどこまでどう対処すべきかを論じるこ
とそのものを非難するという神経は売国的とすらいえそうだ。

 私がかつてアメリカの核戦略基地を視察した頃、当時の沖縄返還を巡っ
ての非核三原則とアメリカとの繊維交渉のもつれを踏まえて、毎日新聞が
日本の核保有について世論調査った結果は、その是非の数値が35対36
という際どいものだったのに驚かされた。

 そしてNORADとSACの体験事実を踏まえて「非核の神話は壊れた
か」という論文を書いたことがある。

 その時点では、私は条件つきで日本の核保有は得策ではないとしていた
が、日本に決して好意的とはいえぬ中国の得体の知れぬ核軍備拡張と悪意
むき出しの北朝鮮の核開発という現況の中で、その気になれば簡単に成就
可能な日本の核保有の是非について、まず議論をしてみるというのは日本
の平和と安全の確保のために当然の姿勢と思われる。

 ちなみに中川氏の提言が、日本の核保有の可能性を熟知し一番恐れてい
る中国外交上にどんな影響を与えたかを眺めるがいい。

 中川発言は当然のこととして中国の北朝鮮の核保有に関しての姿勢を大
きく規制したし、今後も深い影響を与えるだろう。

 発言は平和という一つの重要な「現実」を形成していくために、現に強
いインパクトをもたらしているということを、平和を願う者たちこそが知
るべきなのだ。



                ◇



産経新聞

核論議、二階国対委員長が首相の責任論に言及 

 中川昭一政調会長や麻生太郎外相が核論議を提起した問題で、自民党の二階俊博国対委員長は5日、NHKの討論番組で、「誤解を招きかねない発言であり、重要な立場の人は慎むべきだ」と批判、「任命権者の責任を問われる事態になりかねない」と述べた。安倍晋三首相の任命責任に言及することで、中川氏らを強く牽制したものだが、臨時国会への影響を考慮し、核論議を押さえ込もうとする与党内の動きは週明けからさらに加速しそうだ。

 「非核三原則は国是だ。日本は好戦的な国ではないとようやく理解されるようになったのに、国会中に急にこういう議論を持ち込むことについて少し考えてほしい」

 二階氏が番組でこう切り出すと、公明党の漆原良夫国対委員長も「首相の指導力が問われることになりかねない」と同調。これに意を強くした野党側も「日本が核保有すべきだという誤ったメッセージを国際社会に大きく広げる」(高木義明・民主党国対委員長)、「安倍内閣は核武装検討内閣だ」(穀田恵二・共産党国対委員長)などと中川バッシングを繰り広げた。さらに野党側はこの問題に関して衆院予算委員会での集中審議を求めた。二階氏は集中審議の開催は拒否したが、「自民党は『自浄作用』を必ず発揮する」と述べ、核論議そのものが、「不浄なもの」との考えを抱いていることをうかがわせた。

 核論議をめぐって、安倍首相は政府・与党内で正式に議論することはないとしながらも「議論を封殺することはできない」と述べ、自民党の中川秀直幹事長も「中長期の意見を封殺してはいけない」と同調している。

 二階氏の発言は、佳境を迎えている教育基本法改正案の審議などへの影響を最小限に抑えようとの意図があるものとみられるが、逆に野党側に格好の攻撃材料を提供した形になった。

 二階氏と安倍首相は、かつては対中外交や人権擁護法案への対応をめぐり対立したこともあり、「二階氏は存在感を示すために計算ずくで発言した」(自民中堅)との見方も出ている。

 二階氏は5日、記者団に「国会議員に言論の自由が保障されるのは当然だが、何を言ってもいいわけではない。まあ賢明なリーダーたちなので心配ないでしょう」と語ったが、核論議で自民党幹部が野党と同調したことは、与党内の新たな波乱要因となりそうだ。

(11/05 23:08)

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幻の討論会 「小林よしのりvs糸数慶子(沖縄県知事候補)」

2006-11-06 08:08:57 | 未分類

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話は一年以上前にさかのぼる。 
  
昨年の8月14日「小林よしのり対糸数慶子」の生討論を聴く予定だった。

予定だったというのは、大枚2000円を支払って宜野湾市のコンベンションセンターまで聴講に行ったのだが、当日になって糸数慶子氏が出演をドタキャンし結局「生討論」は幻に終わったからだ。

 「※ゲスト出演を予定していた参議院議員の糸数慶子氏は本人の都合により出席出来なくなりました。 ご了承ください。」

という簡単な二行の告知文でドタキャンの理由は記されていなかった。

当日、会場には開演一時間前には既に行列が出来るほどの人気振りだった。

左翼が多いと思われる沖縄で、入場料まで取る右翼漫画家の講演会に聴衆が集まるだろうか、と主催者側は心配したらしいが杞憂だった。

会場は二階席を含めて満員で若い人が多く、筆者が一番年長かと思えた。

沖縄の宜野湾市にある会場のコンベンションホールはおそらくは沖縄で一番収容人員の多い講演会場だろう。 そこが満員の若者で溢れた。   

地元メディアは早々と小林氏の沖縄講演会の報せを察知し沖縄タイムスを中心に、大々的に「反小林よしのりキャンペーン」を打っていた。

だが同じ日に小林氏に対抗して開催された左翼集団の「平和シンポ」は無料であったにも関わらず100名足らずの参加者だったという。

 結局糸数慶子さんの当日になってからの敵前逃亡にも似たドタキャン騒動は一体何だったのだろう。

 
◆ 沖縄タイムス <2005年8月15日> 朝刊 1版 社会22面(月曜日) カラー
軍事政策に危機感/目取真さんら 平和シンポ
 
 日本が戦争のできる国へ変わっていくことを懸念し、あらためて平和について考えようと「日本の潮流と沖縄の戦後六十年」シンポジウム(同実行委員会)が十四日、那覇市内で開かれた。約百人が集まった。

 パネリストは石川元平さん(普天間基地爆音訴訟原告)、目取真俊さん(小説家)、安里英子さん(ライター)。コーディネーターは沖縄大学助教授の屋嘉比収さん。

 宜野湾市で同じ時間に開かれた小林よしのりさんの講演会に対抗した。

 目取真さんは「日本の軍事政策は南西諸島に向いており、着々と準備が進んでいる」と指摘。安里さんは「沖縄の特に若い人たちが小林氏の『沖縄論』を読んでいることに驚いている。氏の反米愛国主義は、きちんと見定めなければならない」と話した。

 

沖縄タイムス記事は正直にも≪同じ時間に開かれた小林よしのりさんの講演会に対抗した≫と書いているが、沖縄のメディアには声が反映されないサイレントマジョリティーが「小林よしのり講演会」に集結するのを恐れたのだろう。

事実、会場いっぱいに声なき声を持つ若者が集結した。

他にも沖縄タイムスが8月14日の「小林よしのり講演会」を前にして行った「反小林キャンペーン」記事の一部を下記にリンクする。

 
[新しい同化主義](上)/『沖縄論』を読む/渡名喜守太/狙いは愛国心植え付け/沖縄独自の価値観を否定
<2005年8月8日> 朝刊 1版 文化7面(月曜日) カラー
 六月に小林よしのり氏が、沖縄を論じた『沖縄論』を出版した。これを受けて、沖縄でファンらによって「小・・・
 
[新しい同化主義](中)/『沖縄論』を読む/渡名喜守太/価値観転換させ国民化/「命どぅ宝」を執拗に攻撃
 
[新しい同化主義](下)/『沖縄論』を読む/渡名喜守太(下)/県民の命守る発想なし/「国民化」すべく思想改造

 

自社が応援する参加者100人足らずの「平和シンポ」を記事にして、2000人も集まった人気漫画家の講演会を無視するわけにはいかず、下記のようなお付き合い記事で「約1200人参加」と書いている。

沖縄タイムスも糸数慶子さんも悔しかっただろう。

 
◆沖縄タイムス  <2005年8月15日> 朝刊 1版 社会22面(月曜日) カラー
自社
県内の論調を批判/小林さん講演会
 
 「沖縄論」などの著作がある漫画家小林よしのりさんの沖縄講演会が十四日午後、宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで開かれ、若者を中心に約千二百人が参加した。小林さんは「沖縄の基地の危険性をヤマト(本土)に訴えたい」と沖縄に関する執筆を続けていく考えを示した。

 基地について「県内たらい回しでは決着がつかない。歴史的経緯を見ても、本土で引き受けるべきだ」と主張。歴史を歪曲しているとの批判に「沖縄戦で壕からの追い出しや集団自決、(日本軍が)住民を殺すことがあったと確信している」と、今後取り上げるとした。一方、「沖縄は同調圧力が強く、基地反対や反戦といった特定の観念しか許さず、ほかは排除しようとする力が強い」と県内の論調を批判した

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タブーを日本語になおすと「禁忌、忌み言葉」

2006-11-06 07:31:59 | 普天間移設
東海新報

☆★☆★2006年11月05日付


 タブーを日本語になおすと「禁忌、忌み言葉」などとなるが、英語の方がわかりやすい。戦前ならタブーという英語そのものの使用がタブーだったから、タブーと言われるものは戦後生まれの方が多いのかもしれない▼その一つが「核」で、世界唯一の被爆国ゆえ国民にアレルギーが強いのは当然だが、しかし国防というものを考える時、この大量殺戮兵器の持つ抑止力というものを直視することはまた別問題であり、良かれ悪しかれその論議まで封殺することはおかしい▼自民党の中川昭一政調会長が、北朝鮮の核実験に関連して「核保有の議論はあっていい」と発言したことから、「けしからん」と与党内部からまで非難が上がっている。マスメディアも大きく取り上げ、「論議まで封印するのはおかしい」と援護した麻生外務大臣もヤリ玉に上げている。中川氏はその後発言を修正したが、「撃たれないようにする議論をなぜしないのか」と核攻撃に対する防衛論の必要性を強調した▼国防というのは、国という抽象概念を守るのではなく、そこに住む人間の生命財産を全うするための備えであって、隣人が核という凶器をもつに至った事態にどう対処すべきかを考える際、抑止方法の一つとしてこの問題も選択肢の中に加えられよう。しかし「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿主義を決め込んで論議までタブー視するというのは、危険な隣人の思うツボである▼核廃絶を先頭に立って訴える国が核を保有することは矛盾であり、実際上不可能だが、しかしその手の内までさらすことはない。大いに論議だけはして、「相手の出方次第では即座に保有する能力があるぞ」という無言の圧力を“保有”することまで放棄する必要はあるまい。
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