狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

いじめは卑劣で卑怯な犯罪  卑怯者恥を知れ!

2006-11-14 08:57:40 | 教科書

中学生の自殺が相次いでいる。

その度に全校生徒を講堂に集めて校長が「命の尊さ」を訴える。

お定まりの行事だ。

命の尊さを訴えること、それはそれで結構だ。

だが、これを念仏のように唱えるだけでは問題は解決しない。

その証拠に命の尊さを訴えていた張本人の校長が相次いで自殺している。

今朝の全国紙では読売、毎日、産経がいじめについて社説を書いた。

夫々事態が緊急を要していることを訴えており主旨は納得できるが、毎日の「いじめ自殺 追い込む側にも目を向けよう いうタイトルには納得できない。

 「追い込む側にも目を向けよ」だって?

それを言うなら
「追い込む側こそ厳しく追及すべき」だろう。

追い込む側こそ100%悪いのだ。

その点についてTBS「朝ズバッ!」でみのもんたが吼えていた。

「いじめる側が悪いのだから、いじめるヤツをつぶせ!」

そう、「いじめられる側に学校を休んだり転校を勧める」という現在の指導法が間違っている。

いじめる側こそ退学、放校にすれば問題は即解決する。

何故か学校側はいじめる側に及び腰だ。

埼玉県の場合もそうだ。

埼玉県の本庄東中学校の男子生徒が自殺した事件で、同級生による金銭の要求があったことが分かった。

この男子生徒は6日に「借りてもいない500円を返せと迫られた」「『利子がつくので2万円返せ』と要求されている」と学校側の相談員に相談していたという。

これを聞いた学年主任は被害者側の少年に、「お金は渡さないように」アドバイスしたが、

金銭を要求した生徒に対しては何も指導することは無かった。

金銭の要求だけではなく、暴力行為もあったようだ。

課外授業中に後ろからけったり、殴ったりしていたことも確認されていたが、現場にいた教諭は特別に注意することもなかったという。

同校出身者の話では、数年前は靴が燃える、先輩が後輩へ金銭を要求するなど「荒れていた」というが「(最近は)目立ったことはなかった」と話す。

このような学校側の態度を「不作為」の犯罪と言う。 

学校側の立場を考えれば、何もしないのも犯罪なのだ。

相談員に相談した翌日、被害者の少年は母親に「相談員の先生に相談したからもう大丈夫」と言っていたと言う。 

県から派遣された専門の先生に相談したから救われると思っていた少年の心情を考えると、・・・不憫でならない。

 今朝の社説

◆毎日新聞:いじめ自殺 追い込む側にも目を向けよう

◆読売新聞:いじめ自殺]「連鎖を今すぐに断ち切らねば」

◆産経新聞:いじめと自殺 卑怯を憎む心を育てよう

 

◆平成18(2006)年11月14日[火]
■産経新聞 【主張】いじめと自殺 卑怯を憎む心を育てよう

 いじめによる自殺が相次ぐ中で、また大阪府と埼玉県で中学生が自ら命を絶った。

 大阪府富田林市で自宅ベランダから飛び降り自殺した中学1年の女子生徒は、小学生のころから「チビ」などといわれて悩んでいた。最近も、同級生らがこの女子生徒を取り囲んで「ごめん」と叫ぶ悪ふざけをしていたため、担任らが指導したという。

 埼玉県本庄市の自宅倉庫で首をつって自殺した中3の男子生徒の場合、県から派遣されている相談員に「同級生から、借りていない金の返済を迫られた」と訴えていた。相談員から連絡を受けた学年主任の教諭は男子生徒と面談し、金を要求したとされる生徒からも近く話を聞く予定だった。

 いずれも、学校がいじめの事実をある程度把握し、対応措置を取っていたときだけに、残念な事件だ。

 北九州市では、女子児童が同級生から多額の現金を脅し取られていたことが発覚した小学校の校長が、首をつって自殺した。この校長は毎朝、校門で登校する子供たちを迎えるなど教育熱心な校長だったという。どんな事情があったか分からないが、子供たちに命の大切さを訴えなければならない立場であり、生きて責任を全うしてほしかったと思わずにはいられない。

 いじめのような問題が起きると、学校が矢面に立たされるケースが多い。特に、校長に対して責任追及の矛先が集中しがちだ。しかし、それだけでは問題の解決にならない。子供のことを最もよく知る立場にある親を含め、教育委員会や地域社会なども、大きな責任を担っている。学校だけで問題を抱え込むべきではない。

 いじめの問題で大切なことは、いじめを受けている子供の心のケアと同時に、いじめる側に対する厳しい指導である。時には、親を呼び出して指導することも必要だ。いじめが深刻な場合は、出席停止などの措置や警察への連絡を躊躇(ちゅうちょ)してはならない。

 数学者の藤原正彦氏は著書『国家の品格』で、父親(作家の新田次郎氏)から「弱い者がいじめられているのを見て見ぬふりをするのは卑怯(ひきょう)だ」と武士道精神をたたきこまれたエピソードを書いている。家庭でも、小さいころから、この卑怯を憎む心をはぐくんでおくことが大切である。

 

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