狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「核」通過容認・ 当然のことでしょう

2006-11-27 16:33:51 | 普天間移設

琉球新報・社説 

「核」通過容認・あくまで「三原則」堅持だ

 またしても非核三原則を否定するような発言である。今度は安全保障政策の要である防衛庁の最高責任者の口から飛び出した。
 しかもテレビ番組や遊説先の講演会ではなく、国会が舞台だ。内閣や自民党の要職にある政治家らが、「核」容認としか受け取れない発言をなぜこうも繰り返すのか。非核三原則をないがしろにするものだ。
 久間章生防衛庁長官は24日の衆院安全保障委員会で、核搭載艦艇の領海内通過について「緊急事態の場合はやむを得ない」と述べ、緊急時には例外的に容認する考えを示した。
 長官は、自然災害や海底火山の爆発時などを引き合いにし、事前協議の対象についても言及。「すぐ逃げなければいけない時に、事前協議をするかしないかは、緊急事態の場合はやむを得ない。その後に、実はこういう事情だったから事前協議ができなかったという報告が日米間だからきちんとあると思う」と述べた。
 日本が他国の攻撃を防ぐためには、米軍のプレゼンス(存在)による方法しかない。米軍は日本の領海近くで絶えずアンテナをめぐらせている。「核の傘」に頼っている以上、核搭載艦艇でも緊急時なら仕方ない。
 長官はこんなふうに考えているのではないか。その認識は、中川昭一自民党政調会長らの先の核論議にも通底していよう。
 しかし国是は、核の持ち込みを明確に拒絶している。過去の国会答弁でも政府は「核の持ち込みは寄港であろうが、領海通過であろうが事前協議の対象となる」としている。
 事前協議では、領海通過は無条件に認めないのが政策だ。久間長官には三原則の重みをかみしめてもらいたい。
 政治家の不要な発言は、アジア諸国をはじめ世界に誤ったメッセージを発することになる。
 それよりも核の脅威が現実化しつつあるいまこそ、核拡散防止に向けた日本の役割は強まっていることを再認識すべきだ。三原則を空文化させてはならない。

(11/26 11:05)

 久間章生防衛庁長官のこの発言は別に問題ないというより、真剣に日本の安全保障を考えるなら当然の発言だろう。

有事の際に、わざわざ自分の味方の行く手を通行妨害する馬鹿が何処にいる。

≪しかもテレビ番組や遊説先の講演会ではなく、国会が舞台だ。≫

このように重大な問題をテレビ番組に任せる方がおかしい。

当然国会でこそ論じるべき問題だろう。

≪しかし国是は、核の持ち込みを明確に拒絶している。過去の国会答弁でも政府は「核の持ち込みは寄港であろうが、領海通過であろうが事前協議の対象となる」としている。
 事前協議では、領海通過は無条件に認めないのが政策だ。久間長官には三原則の重みをかみしめてもらいたい。≫

国是とはアンタッチャブルな不磨の大典ではない。 その時の国の政策だ。

それにしても、さすが共同通信(配信元)の琉球新報社説。

20年も前の政府答弁を未だに念仏のように唱えろという訳だ。

国際情勢は日々刻々変化するもの。

特に安全保障の問題は最近ずいぶんと情勢が変化している。

10年一昔と言うが、最近の時の流れは10年二昔とも三昔とも言える。

20年も前の政府答弁を引っ張り出しても何の意味があろう。

議論封殺などと言わずに議論をするなら、国是などと言って思考停止に陥らず、日米同盟、核の傘等を絡めて議論するのが当然だろう。

久間長官の発言を否定するなら、

日本がアメリカの傘に入ることを否定する事となり、結局これは日米同盟の否定につながる。

核の抑止力無き日米同盟⇒ 日米同盟の否定

≪日本が他国の攻撃を防ぐためには、米軍のプレゼンス(存在)による方法しかない≫

これ以外の他国からの攻撃を防ぐ方法を論議して欲しいものだ。

コメント

いじめには「加害者必罰」しかない

2006-11-27 08:52:13 | 教科書

いじめた生徒は出席停止に…教育再生会議が緊急提言へ

 学校でいじめによる自殺が相次いでいる事態を受け、安倍首相直属の教育再生会議(野依良治座長)は25日、いじめ問題に対する緊急提言を来週にもまとめ、公表する方針を固めた。

 都道府県や市町村の教育委員会に対し、〈1〉いじめた児童・生徒に出席停止など厳しい対応を取る〈2〉深刻ないじめ問題が起きた場合に備え、緊急に学校を支援する態勢をつくる――ことなどを求める。

 同会議は来年1月に中間報告を作成する予定だが、自殺問題を重く見て、法改正などが不要の緊急対策を早急に打ち出すことにした。文部科学省も速やかに対策を講じる考えだ。

 学校教育法では、「児童の性行不良で、他の児童の教育に妨げがある時」は、市町村教委は保護者に対し、その児童の出席停止を命じることができると定めている。具体例として、傷害、心身の苦痛、財産上の損失などを与える場合を挙げている。
(読売新聞) - 11月25日14時41分更新


学校は神聖な場所なので、警察の出入りは拒否すると言った風潮が続いていた。

だが、よく考えて見よう。 警察は国民を犯罪から守るための組織ではなかったか。

今学校で行われているいじめは紛れも無く犯罪だ。

だとしたら学校側が手に余るような犯罪なら、大人が介入し刑事及び民事で加害者に対して法的措置を取るのは当然だろう。

我が子が自殺しそうになるほど追い詰められているなら、加害者にそれ相応の報復は正当防衛とも考えられる。

いじめがいやなら「登校しなければよい」という、あくまで加害者には目を背けた奇麗事を言う人がいる。

次の産経コラムがその例。

11/22 16:24

【季節風】逃げるが勝ち

  面目を失えば人は死を選ぶ。150年ぐらい前は当然だった風潮が民主日本を席巻している。非戦を誓った平和愛好国の輝かしい成果が、この遺風への回帰といえまいか。
 
 本紙16日付25面の記事によると、新潟の中2男子は自殺直前に同級生にズボンを脱がされた。下着も下ろされたという報道もある。校長のコメントが素晴らしい。「断定的にいじめと結論づけるのは控えたい」。まさにその通り。これはいじめではない。性暴力だ。男子が口外できるはずがない。「誰かに相談すればよかった」などという後付けの同情はセカンドレイプといえる。「私、性犯罪を受けました」と公表するのが可能だという考え方は、戦中の性奴隷制度の宣伝に慣れすぎた結果としての錯覚だろう。
 
 いじめと一括(くく)りにされる「人道に対する罪」にいかに対処すべきか。「命の大切さ」を説いても無駄だ。自殺する生徒は、命が軽いと思ったから死んだのではない。危害を加えた側も、命まで奪おうとして苦痛を与えたわけではないだろう。死ぬほどの恥辱を受けたから死に、その重みを知らないから自尊心を傷つけたとみるのが自然だ。だから「名誉の大切さ」こそ説くべきだ。だが死者にすらA級・BC級とレッテルを張って差別し陵辱するご時世ではとても口にできない。
 
 反撃を勧めることもできる。しかし、教師や親が責任を負うだろうか。「死ぬ覚悟があるなら、いじめに立ち向かえ」と鼓舞し、子供が自衛の結果として相手を殺傷したとする。「お前の行為は侵略だ」と責められたら、その子の名誉は2度傷が付く。
 
 結局、残された方策は逃避しかない。登校するからいじめられるのなら、行かないという選択肢があってもいい。選択できない子供には学校や親が勧めるべきだ。学校に行っていさえすれば安心という親、登校さえすれば了とする学校は子供にとって必要ない。経済的支援と卒業証書の発行に専念してほしい。履修逃れ問題では、多くの学校が必修科目からの逃避を認めた。要領よく立ち回ればよしとしてくれたのだ。この珍しくありがたい教訓を生かしたい。(千葉総局 河野弥一郎)

 

いじめの魔の手は学校の枠を超え家庭まで友人の素振りをして入り込んでくることを知らない人の弁だ。

いじめられて自ら死を選ぶ人に「命の尊さ」の軽重に考えを及ぼす心の余裕なんて
あるはずは無い。

逃げ場所を失って自殺に追い込まれたのだ。

そんな逃げ場の無い人に「逃げるが勝ち」てか?

学校側も警察も救ってくれない場合はどうする。

そんな場合、次のコラムが説得力を持つ。

 

【コラム・断】イジメで自殺するくらいなら
11/26 11:24 
 
 イジメ自殺が社会問題となっている。新聞でもテレビでも識者と称する恥知らずたちが、おためごかしの助言を垂れ流して小銭を稼いでいる。イジメに苦しむ少年少女よ、あんなものが何の役にも立たないことは、君たち自身が一番良く知っている。唯一最良のイジメ対処法は報復に決まっているではないか。
 実はイジメ自殺は何年かごとに社会問題となり、そのたびに真実の声が良識という名の愚論によって圧殺されてきたのだ。十一年前にもイジメ自殺が相次ぎ「少年ジャンプ」が悲痛な叫びを特集連載した。それをまとめた『いじめレポート』(集英社)にこんな声がある。「徹底的に体を鍛えた。復讐(ふくしゅう)のために…。やられる前にやれ!」(A男)。A君は拳法、柔道で「歩く凶器」となり、イジメを粉砕した。睡眠薬自殺未遂のC子さんは、死を思う気持ちよりも「憎しみの方が強くなった」「私もガンガン殴り返す」「女でもやるときはやるんだ!」。別の女児もこう言う。「どうしても死ぬっていうんなら、いじめた奴に復讐してからにしなよ」
 学校では報復・復讐は道徳的な悪だと教える。しかし、それは嘘だ。人間が本来的に持っている復讐権を近代国家が独占したに過ぎない。大学で法制史を学べばすぐわかる。復讐は道徳的には正しいのだ。現に、ロシヤに抑圧され続けたチェチェン人は果敢に復讐をしているではないか。
 被害者が自ら死を選ぶなんてバカなことがあるか。死ぬべきは加害者の方だ。いじめられている諸君、自殺するぐらいなら復讐せよ。死刑にはならないぞ。少年法が君たちを守ってくれるから。(評論家・呉智英)

 

 

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