狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

中国伝統の「究極のチン味」 臭いものには味がある 

2007-07-22 19:36:37 | 食文化

 

7月23日付 編集手帳

 日本で「八」は、末広がりの字形から縁起の良い数字とされてきた。では、漢字の本家、中国の吉数は? 答えはやはり「八」だが、理由がまるで違うところがおもしろい◆中国語で「財をなす」「金持ちになる」を意味する「発財」の「発」と「八」は、広東語では同音。商才にたけた広東や香港の人々が「八」をとりわけ好んだことから、吉数の代表格になったようだ◆北京五輪が1年後に迫ってきた。開幕は2008年8月8日午後8時(現地時間)と、8が四つも並ぶ。その効用でもあるまいが、ホテルの建設ラッシュなど、北京は五輪特需に沸いている◆ただし、ルール違反、モラル欠如の「発財」主義はもってのほかだ。有毒物質を含む食品や日用品が中国から大量輸出され、世界中で問題になっている。北京での「段ボール入り肉まん」報道もねつ造だった。視聴率稼ぎという点で、「発財」主義と同根と言えるだろう◆今年春に北京市は毎月11日を「列に並ぶ日」に制定した。「11」は人が2列に並ぶ様だ。駅や停留所で割り込まない。痰(たん)は吐かない…。五輪開催国にふさわしいマナーを市民に浸透させるのだという◆1988年のソウル五輪は、韓国国内では88(パルパル)五輪とも呼ばれ、モラルやマナーが向上した年として記憶されている。中国の08年8月8日は――。

2007年7月23日1時44分  読売新聞)

                                              ◇

北京オリンピックを前にして、食品を中心に中国の不適切な伝統文化が、一気に噴出して世界中のヒンシュクをかっている。

だが、伝統文化と言うだけあって、これは昨日今日、急に起きた出来事ではない。

ネットの普及によって最近になって世に知られるようになっただけの話。

なにしろ中国は「四足はテーブル以外、二足は梯子以外、飛んでるものも飛行機以外は食べる。」と言われるほどの国。

ダンボール肉まんなんて可愛いほうで、どうしても究極のチン味に話は向かう。

日本でも究極の美味は臭いもの、といわれるくらいでクサヤや鮒寿司がよく話題になる。

中国の臭い食べ物といえば、ピータンが日本でも馴染み深い。

ところが究極の中国のチン味「臭豆腐」となると、その実態を知るものは少ない。

以下の引用記事は、心臓の弱い方に配慮して肝心(強烈)な部分は省略してある。

気分の悪くなるのを承知で、タイトルをクリックの上自己責任で全文読んでください。

なお、お食事前の方は遠慮した方が良いかも知れません。

 

【時事報道】中国南部の「臭豆腐」、ふん尿添加する闇業者(写真) 07/07/18

 【大紀元日本7月18日】 中国の上海や広東州などの南部沿岸地域では、「臭豆腐」は伝統美食の一つ、臭ければ臭いほど美味しいとの説がある。最近では、ある中国のメディア記者が情報提供者に案内され、広東省深セン市の露店業者の臭豆腐の製造現場をおとり調査し、ふん尿などの様々な汚物で臭豆腐を作る現場を目撃し、ネットで暴露した。「現地政府が取締りを行っているが、違法業者は後を絶たない」という。(中略・・・全文読みたい方はタイトルをクリック)

  臭豆腐は名前通り、臭い匂いを発するが、非常に美味しい。中国南部地域では人気の食べ物である。業界関係者によると、「本物」の製造は、手順が非常に複雑で、多くの手間と長い時間をかけて、じっくりと発酵させる。その間、温度と湿度を厳密に管理しなくてはならないという。 (大紀元時報 07/07/18 09:43)
 

                    ◇

沖縄には伝統食「豆腐よう」があるが、

中国四千年の歴史?を誇る「臭豆腐」とは一体ナンだろうか。

先ずは、「臭豆腐」ウィキペディアWikipediaから概要を引用します。
臭豆腐とは、植物の汁と石灰等を混合し、納豆菌と酪酸菌によって発酵させた漬け汁に豆腐を一晩程度つけ込んだ物。
豆腐の植物性タンパク質が漬け汁の作用で、一部アミノ酸に代わって、独特の風味と強烈な臭気を発するようになる。中国、台湾、香港などの地域では広く食べられているが、人によって好みが分かれる食材である。地元民であっても食べられない者も少なくない

これが中国伝統の手法で製造されているのならまだしも、中国得意の偽臭豆腐だという。

その究極の製造過程には、その品性の無さでは人後に落ちない当日記も、さすがにコメントの言葉を失う。

中国さん、勘弁してよ!

 

◆参考:沖縄の人気土産ランキング 1位は泡盛  豆腐ようは?


 

 


沖縄タイムスの「大きな捏造記事」と「小さな訂正記事」

2007-07-22 18:37:55 | ★集団自決

 

読者の前慶良間人さんから、沖縄タイムスの捏造記事に対する「お詫びと訂正」記事のコメントがありました。

 

捏造記事とねじ曲げの実態 (前慶良間人)
 
2007-07-22 10:34:13
 
7月21日(土)タイムス朝刊の社会面の一番下「おわびと訂正」を見て下さい。ひどい捏造の実態と、タイムスの願望が明らかです。渡嘉敷島の取材記事についても非常に疑問です。 

 

                     * 
 
沖縄タイムスには呆れる! (狼魔人)
 
2007-07-22 18:16:04
 
前慶良間人さん

コメントありがとう御座います。

>「おわびと訂正」

県議団の現地調査がデタラメなのを白状した訂正記事ですね。

「軍命令はなかった」と断言している金城武徳さんの証言も、沖縄タイムスの記事にかかると

≪金城さんは「軍の命令があり、村民は集落から移動した。・・・・」≫ー沖縄タイムス6日夕刊

と、いかにも「軍命令があった」と印象操作する沖縄タイムスはもはや、新聞の名に値しないですね。

又貴重な意見を聞かせてください。 
 
 

この沖縄タイムスの捏造記事は次のようになっていました。

見出しが、

隊長「死になさい」

<軍命ない限り悲劇おこらぬ>

座間味体験者、切々

これが誤報だったというから驚き。

しかもこの訂正記事が小さなベタ記事で、よっぽどで無いと気がつかない。

こうなると、沖縄タイムスの確信的犯行と思わざるを得ない。

【追記】7月23日

上記見出しの該当記事を下記に引用します。

《「軍の命令がない限りは、日本兵が入ってこなければ、そんなこと(『集団自決』)はなかった」。6日、県議会文教厚生委員会(前島明夫委員長)の聞き取り調査に応じた座間味村の「集団自決(強制集団死)」体験者6人は、それぞれの体験を率直に証言した。聞き取るのがやっとの小さな声で話したり、じっとうつむいたり。語り、向き合うにはつら過ぎる62年前の記憶を口にしたのは、「教科書からの軍関与削除は絶対に許せない」との思いを伝えるためだった。》《吉田春子さん(81)は1945年3月25日、妹を連れて日本兵がいる壕に避難した。翌26日になり壕が米軍に攻撃され、夜になったら脱出しようと相談し、その夜に玉砕命令を聞いた。だが「母と会うまでは死ねない」と逃げだし、助かった。》
《当時25歳だった大城澄江さん(87)は座間味島への米軍の艦砲射撃が始まり、友人4人と避難中、壕内で「忠孝碑の前に集まれ」との声を聞いた。一度は忠孝碑の前に行ったが、その後、逃げ回っている途中で日本軍に遭遇、手りゅう弾を渡された。逃げ場を失い、自決しようとしたが爆発せず、生き延びた。》 《上洲幸子さん(84)は母ら4人と壕に避難。母は殺ソ剤での自死を主張したが、上洲さんが「逃げられるうちは逃げよう」と訴え、島内を歩き回った。ため池近くに村民や日本兵がおり、梅沢裕部隊長の姿もあった。梅沢部隊長は村民を集め「米軍は上陸して、どこにでも入り込んでくるから、もし敵に見つかったら舌をかみ切って死になさい」と話したという。》(
沖縄タイムス 7月7日)

 【付記終了】

問題の記事の前日6日の沖縄タイムスでは「軍命はない」と証言し続けている金城武徳さんの県議員団の聞き取り調査も次のとおり。

集団自決」の現場では、体験者の金城武徳さん(76)と吉川嘉勝さん(68)が当時の状況を語った。金城さんは軍の命令があり、村民は集落から移動した。米軍の迫撃砲が着弾する中で村民が集合し、村長が『天皇陛下万歳』と叫び、手榴弾が破裂した」と証言した。(沖縄タイムス)「集団自決」の現場視察 県議会文厚委【写真】

単に集落から移動したことを、「軍の命令があり」と印象操作する卑劣さである。

知らない人がこの記事を見たら金城さんは「軍の命令で集団自決をした」と証言したとミスリードされる。

琉球新報、沖縄タイムスが「集団自決」の生き残りで当時14歳の金城さんの証言をどのように歪曲して報じたか、つぎの【動画】で確かめて欲しい。

【動画・金城武徳さんの証言】http://www.youtube.com/v/P16oG_3X89o

                    ◇


産経新聞那覇支局長の小山さんのブログで沖縄タイムスの「誤報」「訂正記事」についてエントリーしているので、丸ごと引用させてもらいました。

以下引用。

訂正記事というのは、人ごとではないので、あまり追及したくないのですが…。

沖縄タイムス(7月7日)の1面、社会面でこのような記事が掲載されました。
見出しは、隊長「死になさい」。

座間味島の集団自決に関する県議会の聞き取り調査で、
軍命を出したと言われている梅沢裕部隊長が、
村民を集めて「米軍は上陸して、どこにでも入り込んでいるから、もし敵に見つかったら舌をかみ切って死になさい」と話した、
との証言が84歳の女性からあった、と紹介されています。

梅沢氏はふだんから、そういう言動をしていた人物であるという印象を強調する効果のある記事です。




ところが7月21日朝刊には、次のような「おわびと訂正」が掲載されました。
要するに「舌をかみ切って死になさい」と言ったのは、
梅沢氏ではなく、別の日本兵であり、記者が聞き間違えたという内容です。

梅沢さんの人権にかかわる胸の痛む誤報です。



それでも当然とはいえ、訂正記事を出したことは評価していいです。
「鉄の暴風」ではもう1人の赤松氏がいまだに実名で鬼のような隊長として描かれたまま、書店に並んでいることに比べれば…。

ただし、問題があります。
沖縄タイムスのデータベースを検索したら、ほぼ2日経過した今も、誤報記事がそのまま出てきました。
何の注釈もなしです。
これをもとに、やはり梅沢氏は非情な性格だったという人物像が、ふくれあがっていき、
集団自決の軍命を下したに決まっている、という世論誘導につながっていくとしたら、心配です。

早急なデータベースの対処を望みます。

 

 

 

 


母は軍命令がなかったと証言したために、島で攻撃を受けた。

2007-07-22 05:36:57 | ★集団自決

  ■「不都合な真実」を証言した為、
                  母は島で攻撃を受けた■

隊長の命令がなかったと証言したために、母は島で攻撃を受けた。それから母はすごく落ち込んで、結局はがんで亡くなってしまうが。母は歴史を曲げてきたという思いがあって隊長が生きている間に、きちんとしたいという思いがあった。>(沖縄タイムス 2005年6月10日)

座間味島の「集団自決」の生き残りだった故宮城初江さんは遺族に援護近を適用する為島の長老たちと口裏を合わせて「集団自決は梅沢隊長の命令でやった」と証言した。

そのため梅沢元隊長が世間のバッシングを受けて悲惨な人生を過ごしていると聞き知って自責の念にかられた。

その後宮城初江さんは証言を翻して「隊長の命令はなかった」と証言した。 今度は初江さんが島で攻撃を受けた。

宮城初江さんがノートに書き綴った「集団自決に関わる遺言」を、娘さんの宮城晴美さんが「母の遺したもの」として出版した。

沖縄タイムスに連載された宮城晴美氏自身の文章から「証言」の経緯を辿って見たい。http://www.zamami.net/miyagi.htm

 <「援護法」とのはざまで

  話は1956年にさかのぼった。
  沖縄への「援護法」(正確には戦傷病者戦没者等遺族援護法)の適用を受け、座簡味村では1953年から戦没者遺家族の調査が着手されていたが、それから3年後、村当局は、戦争で数多く亡くなった一般住民に対しても補償を行うよう、厚生省から来た調査団に要望書を提出したという。
  この「援護法」は、軍人・軍属を対象に適用習されるもので、一般住民には本来該当するものではなかった。それを村当局は、隊長の命令で「自決」が行われており、亡くなった人は「戦闘協力者」として、遺族に年金を支払うべきであると主張したというのである。つまり、国のシステムから考えれば、一般住民に対して「勝手に」死んだ者には補償がなされず、
軍とのかかわりで死んだ者にだけ補償されるという論理を、住民たちは逆手にとったことになろうか。
その「隊長命令」の証人して、母は島の長老からの指示で国の役人の前に座らされ、それを認めたというわけである。
  母はいったん、証言できないと断ったようだが、「人材・財産のほとんどが失われてしまった小さな島で、今後、自分たちはどう生きていけばよいのか。
島の人たちを見殺しにするのか」という
長老の怒りに屈してしまったようである。
  それ以来、座間味島における惨劇をより多くの人に正確に伝えたいと思いつつも、母は「集団自決」の個所にくると、いつも背中に「援護法」の“目”を意識せざるを得なかった。> (沖縄タイム)

 

ところが、皮肉にも著者の晴美氏は沖縄の「平和運動」のリーダーだった。

母、初江さんが「真実の証言」をした1977年には、娘の晴美氏は既に28歳。 

立派な沖縄の「平和運動」の指導者に育っていたのだ。 

沖縄の“世論”と母の証言の狭間で、ねじれた立場の晴美さんにも攻撃の矢は飛んでく来たという。

晴美氏は今でも「軍命令あり派」の講演会で「軍の関与はあった」の主旨で講演会をしている。

自責の念で証言を翻して「軍命令はなかった」と証言した実母とは反対の立場で。

母は、事実を隠蔽しようとする人々の攻撃を覚悟してまで真実を証言した。

晴美氏は「集団自決」の生き残りだった実母とは反対の立場(「市民団体」の立場)で講演をしている。

だが、晴美氏の「私の著書は誤解されている」というその講演に説得力はない。(「集団自決」の証言者  宮城晴美さん講演

 

<渡嘉敷島の「集団自決」の生き残りである金城重明さんは、肉親を米兵にじゅうりんされるより、愛するがゆえに自分自身で手をかけたことを証言している。>( 沖縄タイムス 2005年6月10日)

「軍命令あり」側の証言者として度々登場するのが渡嘉敷島の「集団自決」の生き残り金城重明さん。

確かに金城さんの証言は生生しく聞いて胸が傷む。

だが、金城さんは、「悲惨な事件」の証言者ではあっても、「軍の命令があった」とは証言していない。

金城さんの証言を都合の良いように料理しているのがサヨク学者や沖縄のマスコミである。

                    ◇

沖縄タイムス <2005年6月10日 朝刊15面http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu.htm

[座談会・戦争と記憶―戦後60年](5)

 (5)集団自決

証言者の表現大事に・宮城 (宮城晴美氏 引用者注)
共有することが大切・比嘉
当事者の矛盾に思い・屋嘉比

(前略)

  宮城 隊長の命令がなかったと証言したために、母は島で攻撃を受けた。それから母はすごく落ち込んで、結局はがんで亡くなってしまうが。母は歴史を曲げてきたという思いがあって隊長が生きている間に、きちんとしたいという思いがあった。

 私は、隊長の命令はなかったと書いたが、その本には当時島がどういう状態であったかも具体的に書いてある。それを読めば、読者は、島の人たちが勝手に死んでいったとは思わないはず。「玉砕するから集まれ」と各壕を回る伝令の役場職員がいて、彼が来たことで、島の人は隊長命令だと思った。それまで陣地を構築するとか、食糧増産など島の人を集めるときはその伝令が来たから。激しい砲弾の中で伝令が来たことは、隊長の命令だと島人に理解された。しかし、命令があったかどうかというより、皇民化教育は国のためには「死」を惜しまないことを教えており、「集団自決」は敵を目前にした住民の必然的な行為だった、つまり国家によって殺されたといえる

 命令しなかったという隊長はそれじゃ許されるのかというと、そうではない。彼の戦後の生き方が問題だ。自分の身の“潔白”を証明しようと、手段を選ばず、えげつない方法をとってきた。

 屋嘉比 「集団死」という用語については、八〇年代の教科書裁判で事実性が争われた中から構築された意義を認めながらも、「集団死」という用語を使うことで、逆に見えなくなる部分があるのではないか。

 例えば、渡嘉敷島の「集団自決」の生き残りである金城重明さんは、肉親を米兵にじゅうりんされるより、愛するがゆえに自分自身で手をかけたことを証言している。体験者でない私たちが「集団自決」を考えるとき、自分がその場にいたらどうするかと、考えることが重要だと思う。そして、愛するが故に手をかけたという当事者の矛盾した行為の意味を考え続けることが必要だ。その矛盾の意味を考えるために、非体験者の自覚として「集団死」ではなく、あえて形容矛盾を含んだ語句である「強制的集団自殺」という用語に私はこだわりたい。(略)

 

「母の遺したもの」  宮城初江氏の証言

「集団自決」の証言者  宮城晴美さん講演