狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

久間防衛相発言 ねじれた沖縄メディアの「怒り」

2007-07-01 11:56:25 | ★集団自決

昨日の夕刊。

「久間発言」は琉球新報の一面トップをチャイコフスキーコンクールに譲る小さな扱いだった。

このコンクール記事の主人公はに地元沖縄には何の関係もない、大阪出身の神尾さん。

それが、一夜明けたら「久間発言」に対し一面トップを初め合計四面を使っての怒りの記事のオンパレード。

久間防衛相発言 被爆者ら怒り、失望  (7/1 9:48)

 

琉球新報が「時間差」で怒り出したのには訳がある。

6月に入ってからの「集団自決」関連記事はテーマが「日本軍の残虐性」だった。

その意味で原爆投下の残虐性は沖縄メディアにとってあまり騒ぎ立てて欲しくない問題だ。

原爆投下によって民間人を無差別虐殺したのは米軍であって、これを日本軍に求めるのは無理があるから。

原爆投下では残虐なのは米軍であって、日本軍ではない。(原爆投下まで戦争を継続したのは日本だから、「広義の残虐性」は日本にある。というサヨクの方々もいる)

折角、「集団自決」で定着しかかった「日本軍」の残虐性が「久間発言」によって「米軍」の残虐説性にすりかわっては困るのだ。

沖縄のメディアが報じる沖縄戦は、沖縄住民を残虐非道な日本軍が殺戮したと言う構図で終始描かれている。

沖縄住民を日本軍から解放するため上陸したのがヒューマニズム溢れる米軍。

このような筋書きでなくては困るのだ。

そのイデオロギー塗れの歴史観の象徴が「日本軍の命令で集団自決した」と言う教科書の記述だ。

上杉千年著『総括・教科書問題と教育裁判』(善本社)の「自序」に次のように書かれている。

<これは、日本軍対米軍という戦争の構図を、日本軍対沖縄県民、又は、ヤマトゥンチュー(本土出身者)対ウチナーンチュ(沖縄人)という構図に引き込み、さらに、こうした悲劇は、明治以来の皇民化教育ー天皇・日の丸・君が代ーの結果であるという歴史観に立脚したものである。  こうした沖縄戦史観は、一部の偏向せる思想家や活動家の政治運動の論拠をなしているものであって、それを教科書に記述することは適当とは思えない。>

原爆投下はその意味で沖縄メディアとしてはあまり大騒ぎして欲しくない問題でした。

 

で、問題のこの失言大臣、午前中のフジテレビ「報道2001」には急遽生中継で出演して強気の弁明を続けていたが、・・・。

結局、謝って発言撤回した模様。


日本経済新聞
原爆発言、事実上撤回=「大変申し…
時事通信 -
久間章生防衛相は1日昼、長崎県島原市内のホテルで記者会見し、米国の広島、長崎への原爆投下を「しょうがない」と発言したことについて「長崎、広島、全国の皆さんに大変申し訳なかった」と陳謝した。
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【再掲です】

琉球新報の言論封殺が続いて今日で13日目です。

琉球新報の夕刊で火曜から土曜にかけての長期連載特集、

上原正稔著「パンドラの箱を開ける時 沖縄戦の記録」が

掲載予定日の6月19日より

読者に何の断りも無く中止になりました。

上原さんは掲載前に知人に次のように言っていました。

≪19日付からは第2話「慶良間で何が起きたのか」が始まります。
集団自決」をテーマにしたもので、作者の上原正稔氏は圧力に屈することなく執筆する≫と。

同氏の話によると、

≪沖縄で現在展開されている運動に水をかけることになる内容になるためか≫

≪担当編集者の態度に変化があり、今回の事態に至ったらしい≫とも言っているそうです。

どんな大きな圧力が働いたのでしょうか。

琉球新報は読者に連載中止の理由を一言も言っておりません。

問い合わせても「調整中」の一言で済ましています。

読者は一方的に「知る権利」を奪われています。

沖縄では今メディアの意見と違う考えは封殺される異常な事態になっています。

これでは戦前の言論弾圧と変りません。

琉球新報が連載を再開するまでこの記事を掲載し続けます。

                              狼魔人

◆参考エントリー:

「パンドラの箱」  カギを握る上原正稔氏

沖縄のマスコミは大政翼賛会か

琉球新報によって削除された「沖縄戦記」

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【お知らせ】


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拙ブログも微力ながら署名活動を支援しています。

下記のページから「河野談話」の白紙撤回署名にご協力をお願いします。
画像

 

コメント (2)

大臣:「原爆投下、しょうがない」 教授:「よくぞ落としてくれた」

2007-07-01 06:42:32 | 県知事選

原爆投下「しょうがない」久間発言、野党が辞任求める構え
 久間防衛相が30日、米国の原爆投下に関し「しょうがない」と発言したことに対し、広島県被団協(坪井直理事長)の畠山裕子事務局次長(68)は「原爆で亡くなった人々は仕方なく死んだのか。被爆者の気持ちが日本政府に伝わっていなかったと思うと、悲しくて言葉が出ない」と述べた。

 こうした声を受けて社民党の福島党首は久間防衛相の辞任を求める談話を発表した。

 民主党の菅代表代行も島根県出雲市で、国民新党の亀井久興幹事長と共に記者会見し、「防衛相として全くふさわしくない」と述べた。

 これに対し、自民党の中川幹事長は遊説先の奈良市内などで、記者団に、「原爆投下とソ連参戦の関係などは、歴史観の問題で、一個人の意見だ。久間氏も(補足の)コメントをしたようなので、これで誤解が解けると思う」と述べた。

(2007年7月1日1時2分  読売新聞)

                    ◇

「久間発言」に琉球新報が、“時間差ギレ”したようだ。

昨日の夕刊ではチャイコフスキーコンクールより小さい扱いだったが、一夜明けて今朝の朝刊でやっと怒りがに滲みだしてきた感じ。

尊敬する大江健三郎先生の「怒りのお言葉」を一面の見出しに使い、1,3,30,31面の四面を使う大盤振る舞い。

 

それにしても、この久間という男、自分が閣僚の一員であり、しかも防衛庁のトップである認識が有っての発言なのか。

過去にも数々の失言で知られるダメ大臣。

今年初頭、「イラク進攻を決定した米政府の判断は間違い」と語り、

「航空自衛隊のイラク駐留は自動的には延長されない可能性もある」と警告して物議をかもしていた

ところが政府は3月、航空自衛隊のイラク駐留を2年間延長することを閣議決定している。

2月に来日したチェイニー米副大統領は、久間防衛相とは会談を拒否し、防衛大臣としての醜態を晒している。

柳沢厚労大臣の「子供を生む機械・失言」で辞任騒動がおきたが、失言の質、内容から言ったら久間防衛大臣こそ即時辞任すべきだ。

加藤紘一や山崎拓のように、敵か味方か訳のわからない人物を閣僚には入れるべきではない。

 

「原爆投下はしょうがない」と講演する大臣がいる一方、

よくぞアメリカは日本に原爆を落としてくれた、これで仇が討てた」

と仰る国立大学教授もいる。

高嶋琉球大学教授のトンデモ講演会。

JANJAN
消せるものか沖縄戦「集団自決」 高嶋琉球大教授が講演 2007/06/12
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阿佐ヶ谷市民講座で6月8日、高嶋伸欣・琉球大教授(以下「私」)の講演がありました。一部ですがメモを元に報告します。


沖縄では憲法をゼロから勝ち取った

 文部科学省の検定で高校の歴史教科書から沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に日本軍が関与したとする記述が削除された問題について、検定意見の撤回を求める意見書が、沖縄の41市町村のうち38で議決されています。県議会では、公明党は先に決議しており、自民党だけが拒否していますが、会期末ぎりぎりに可決するのかどうか、沖縄タイムスは「流動的」としていますが、琉球新報は「確定的」としています。沖縄にはこの意見書に反対だと沖縄県民でない、「非国民」みたいな雰囲気があります。

 日本軍関与は直接でなくても、下っ端の兵隊が村民に手榴弾を2個配ったなどという証言はたくさんあり、当時は「自決」とは言わず、「玉砕」でしたが、「玉砕」するようにと指示したのです。下手に生き残ったらスパイと言われるとか足手まといになるとか言われ「玉砕」したので、遺族が強く反発しています。

 ここ(壁)に新聞を貼っておきましたが、沖縄の報道は他府県とは温度差があります。みなさんは国民投票法案の全文を読んだことがありますか? 読売はこのように少しですが、沖縄タイムスは国民投票法案全文を3ページに渡って載せました。広告代を犠牲にしてです。しかも5月15日(沖縄返還の日)付です。ジャーナリストの気概というものでしょう。

 沖縄はアメリカ軍占領下で、日本国憲法もアメリカ憲法も認められず、人権がありませんでした。ベトナム戦争の時に、嘉手納基地のゲートを封鎖してB29が出撃できないようにし、アメリカ軍によって社会大衆党の幹部が負傷させられました。沖縄の運動の盛り上がりがあったので、アメリカは基地だけにして施政権は帰そうということになったのです。沖縄に「押し付け憲法」は当てはまらず、最後はアメリカ軍に譲歩させて、ゼロから勝ち取ったものです。

 辺野古のことや自衛隊のことは「言ってもだめさ」という諦めムードになっていますが、今回の教科書のことは私が「ひっくり返せる」と話したので「やりがいがあるね」と元気付いています。東京のメディアも入っているので6月23日の慰霊の日頃に取り上げてもらえれば、沖縄に関心を持ってもらうきっかけになると思います。


海外から日本はどう見られているか

 レジュメを用意しました。全部はとてもできませんが、まず、海外から日本はどう見られているかを見てみましょう。

 最近のアジアの人は日本に警戒していますが、レジュメの1ページにあるのはフランス人が「3発目の原爆も日本に落とされるだろう」と言ったという1989年の朝日ジャーナルの記事です。日本は世界では異質で何かやらかすのでは? と見られています。エコノミックアニマルで、世界共通の倫理観が日本にはない、アジアに対する差別を戦後も総括していないと思われています。福沢諭吉を1万円札に使っていいのかという議論も、前のお札の切り替えの時はまだ少しありましたが、今回は全くありませんでした。筑紫哲也でさえが「小泉の大学の創設者だから?」などと言ってごまかしていました。

 90年5月のシンガポールの中国語紙にリー・クアンユー首相が「日本の60歳代の戦争体験世代は保革に関係なく、戦争はもうこりごりと思っているので、2度とあのようなバカなことはしないだろうが、『侵略』を『進出』と言い換えるような歴史教育で事実を学んでいない戦後世代は、軍事力の増大と共に何をするかわからない。彼らはやがて日米同盟をやめて、米国に押さえられることなく、軍事力を海外で自由に行使できることを目指す可能性さえある」と述べています。安保は日本の軍隊をびんの中に閉じ込めふたをしている役目で、安保を破棄して独自の軍隊を持つことを恐れているのです。今、この予想通りになっていますね。野中(広務)や後藤田(正晴)が戦争はダメと言っていたのに、戦後生まれの世代が権力を握るようになってきました。この90年5月というのは盧泰愚(ノ・テウ)大統領が訪日し、天皇に謝罪してほしいと申し入れて、小沢が「何度土下座すればいいんだ」と言った時です。この記事は日本でも大きく扱われていい記事でしたが、そうはなりませんでした。

 91年5月5日の朝日新聞には同じリー・クアンユー前首相がヘラルドトリビューンに語った記事が載っています。この時は1・2月に湾岸戦争があって、地雷が残っていて自衛隊が地雷の処理のためペルシャ湾に派遣された時で、自衛隊が初めて本来業務で海外に出るようになった時です。クアンユーさんは「多くのアジア人は日本が平和維持に軍事的に参加することを望んでいない、なぜならアルコール中毒者にウィスキー入りのチョコレートを与えるようなものだからだ」と述べています。アルコール中毒者とは何を指すのか、と生徒に聞くところです。つまり日本には軍国主義が残っているという意味ですね。天皇がいるということです。占領軍は日本統治のために天皇制を残しましたが、アジアの人は納得していません。アジアは日本の経済援助や日本企業に遠慮して物が言えないでいるところ、この人が代表して言ったと考えていいでしょう。

 2002年4月の東京新聞に、「有事法制関連3法案の閣議決定を受けて、与党3党が早期成立に向けて走り出す」とあり、かつては自民党の「ハト派」が一定の歯止め役となってきたが、「ハト派」は衰退し、「待った」が効かなくなったことが取り上げられています。

 (教科書を開いて見せ)これはシンガポールの小学校4年生の社会科後期用の教科書です。「The Dark Years」とあります。日本占領時代です。シンガポールの社会科は丸暗記で、小学生にはむずかしいので去年12月に打ち切りになったそうです。90年代まではこの内容は中学校でやっていました。なぜ小学校になったのかと質問したら、「言えない」という答えだったので、「日本の政治動向が気になるのですか?」と聞いたら「半分はそうだ」と言っていました。おそらくそうなのでしょう。

 レジュメ3ページ目は原爆投下についての教科書の記述です。「The End of the War」というタイトルで2つの原爆の絵が大きく載っており、焼け野原となった広島ときのこ雲の絵があります。よくぞアメリカは日本に原爆を落としてくれた、これで仇が討てたという内容で、被爆者にとっては大変な説明です。シンガポールでは「No More Hiroshima」ではないのです。シンガポールだけでなく、日本が占領した地域の人々はほとんどが同じ考えです。広島の人にそう言ったら、「やっぱりそうですか」と言っていました。広島の慰霊祭でアジア代表団は「No More Hiroshima」に拍手しないそうです。自分たちは被害ばかり言っているが、本当にそれでいいのかと内々に議論していたそうです。マレーシアの戦争記念館で戦争の最後の説明が広島でした。どうして広島なのかと質問したら、ガイドさんが逃げてしまいました。次に行った時には絶対に答えてもらおうと、ガイドさんをみんなで取り囲んで質問したら、日本のみなさんは気を悪くすると思うが、と前置きして、上記のようなことを話してくれました。学校でそう教えているそうで、みんなそういう考えだということでした。これはシンガポールだけではなく、日本に侵略された国はどこでもそうなのです。このことを被爆者に言わなければと思い、言いました。冷静な受け止めもありましたが、家族の死などを思い出すと、やはり抵抗感があるようでした。個々の被爆者の捉え方と社会全体の捉え方とは違って当然だと思います。

 私はマレーシアで住民虐殺について調べています。林博史さんが日本側の資料に裏づけがあるかを調べていて、防衛庁の資料館で42年3月16日に駐屯地のそばの村で160人を刺殺したという記録を見つけました。具体的事実が出てきたということで、資料はコピーサービスで手に入りました。このことについて横浜でしゃべっていたら、共同通信の記者が特ダネにしたいということで、12.8にちなんで87年12月8日に公式記録として出しました。広島中国新聞に載ったので大騒ぎになりました。それは広島の第5師団第11連隊という歴戦の部隊で、広島に碑もあります。シンガポール陥落の後、ゴム園に1軒ずつ離れてあった家をゲリラと思い込み、刺殺したのです。「すべて殺せ」という文書が残っています。

 南京事件が組織的かどうかは不明ですが、マレーシアははっきりしています。戦友会に聞こうと思うのですが「高嶋」という名前を出すと断られてしまいます。広島の部隊なので、広島は原爆の被害者だと言ってもマレーシアの人たちには納得してもらえないでしょう。アジアが日本の経済力に遠慮しなくなって本音を言うようになってから、初めて「そうだったんですか」というのでは恥です。議論の必要があると思います。私は憎まれ役になってもいいと思っています。 (以下略)  (渡辺容子)

 

>沖縄にはこの意見書に反対だと沖縄県民でない、「非国民」みたいな雰囲気があります。

記者の渡辺容子さん、

沖縄のメディアの異常な雰囲気を良く見ている。

沖縄タイムス、琉球新報の意見に反対するものは「裏切り者」扱いだ。

その裏切り者扱いをされているのが上原正稔さん。

琉球新報に長期連載中の「パンドラのはこは沖縄の戦争」が、理由を読者に説明も無く中断させられている。

 

それにしてもこの高嶋伸欣・琉球大教授、平気でこんな恥ずかしい内容の講演を良くぞネットに晒してくれますね。

この先生、よっぽど日本人が憎いようで大学教授なら知っているはずの事実も日本攻撃の為なら全て頬被り。

一々突っ込むのもバカバカしいが、これ本当に信じているの?

『侵略』を『進出』と言い換えるような歴史教育・・・

まともな人なら、この講演を聴いて、納得する人はいないと思うがね。

最後に一つだけ。

よくぞアメリカは日本に原爆を落としてくれた、これで仇が討てたという内容で、・・・・シンガポールだけでなく、日本が占領した地域の人々はほとんどが同じ考えです

朝日新聞にはこんな記事もあるんですがね。
 
朝日新聞
インドネシア残留日本兵が死去 対蘭独立戦争を戦う

 日本の敗戦後、インドネシアに残って対オランダ独立戦争を戦った元残留日本兵の藤山秀雄さんが11日、ジャカルタ市内の病院で85歳で亡くなった。元兵士の互助会「福祉友の会」によると、同国で生存する残留日本兵はこれで6人になった。

 戦後、インドネシアの独立闘争に共感して義勇軍に加わった元日本兵は約1000人いたとされるが、多くがゲリラ戦で死亡した。佐賀県の出身の藤山さんは独立戦争後、インドネシア人女性と結婚。整備兵だった知識を生かして自動車整備で生計をたてた。葬儀は13日午前、カリバタ国立英雄墓地で執り行われる。

 

◆【久間氏の発言要旨】 朝日新聞7月1日より抜粋

 日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つと分かっていた。ところが日本がなかなかしぶとい。しぶといとソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。

 幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。

 米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。

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神尾真由子さん、バイオリン部門で優勝・チャイコフスキー国際コンクール

2007-07-01 05:56:34 | 音楽

チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、笑顔を見せる神尾真由子さん=29日、モスクワ〔共同〕

尾真由子さん、バイオリン部門で優勝・チャイコフスキー国際コンクール

 【モスクワ30日共同】モスクワで29日に開かれた第13回チャイコフスキー国際コンクールのバイオリン部門本選会で、日本の神尾真由子さん(21)=大阪府豊中市出身=が優勝した。

 4年に1回開催される同コンクールは若手演奏家の登竜門として世界的に知られる。バイオリン部門で日本人が優勝したのは1990年の諏訪内晶子さん以来、2人目の快挙。演奏・声楽の4部門での日本人の優勝は4人目となる。

 また、ドイツから出場した日系の有希マヌエラ・ヤンケさん(20)が3位になった。

 優勝発表後、神尾さんは「本当にうれしい。このコンクールに自分が来るなんて思っていなかった」と喜びを語った。

 神尾さんは4歳でバイオリンを始め、10歳の時にシャルル・デュトワ指揮の交響楽団との共演でデビュー。国内外の著名オーケストラと共演し、前評判が高かった。

 ストラディバリ製作のバイオリンを使用。29日の本選では最後の奏者としてチャイコフスキーとシベリウスのバイオリン協奏曲を演奏した。

 原田幸一郎氏や、ニューヨークの名門ジュリアード音楽院プレカレッジのドロシー・ディレイ氏らに師事。桐朋女子高を経て、現在はスイスのチューリヒでザハール・ブロン氏の指導を受けている。

 バイオリン部門では2回の予選の後、神尾さんら6人が本選に進んでいた。

 同コンクールでは98年に声楽で佐藤美枝子さん、2002年にピアノで上原彩子さんが優勝している。

 昨年は会場となるモスクワ音楽院が改修中で延期され、今回は5年ぶりの開催となった。 (11:18)

                     ◇

日本人で同コンクールに優勝したのはバイオリンの諏訪内晶子さん(1990年)、声楽の佐藤美枝子さん(98年)、ピアノの上原彩子(2002年)さんに次いで4人目。

昨日の琉球新報夕刊の一面トップがこのニュース。

最近一面トップの取り扱い記事がヘンだ。

チャイコフスキーコンクール優勝がニュースバリューは有るとしても地方紙の一面トップを飾るほどなのか。

一瞬、優勝した神尾さんは沖縄出身かと思ったくらいだ。

核については議論も許さないと言う割には、

「原爆投下しょうがない」という防衛大臣談話を大阪出身のヴァイオリニストの記事より小さく扱うバランス感覚が分らない。


「原爆投下しょうがない」 久間防衛相が講演
共同
久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大で講演し、先の大戦での米国の原爆投下について「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と述べた。 ...

参考:エントリー:

チャイコフスキーコンクール トヨタが救いの神に

悪魔に魂を売った男 パガニーニ

ハイフェッツと工作員の弟と大学教授

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