狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

中国産業界が県内視察 「自治区」の視察?

2007-07-16 16:37:32 | 県知事選

中国産業界が県内視察 中華街、ホテル、加工工場 (7/12 9:52)

安里副知事と会談する中国商業連合会の齊淑潔商品交易市場専業委員会市場発展処処長(左から2人目)ら視察団=11日、県庁

 中国の産業界が沖縄に別荘やホテルなどの宿泊施設、加工工場、中華レストラン街の建設を検討している。時期や場所など詳細は未定だが、構想実現に向け、8日から中国商業連合会(社団法人)の齊淑潔(さいしゅくけつ)商品交易市場専業委員会市場発展処処長(課長)や青果加工会社の担当者ら4人の視察団が来県している
 11日、県庁に安里カツ子副知事を訪ねた視察団が沖縄進出の構想を明らかにした。
 中国商業連合会は生産、流通、飲食業など約2千社の会員企業からなる。齊課長は沖縄への投資計画として(1)自由貿易地域に加工工場(2)那覇市内に中華レストラン街(3)海の近くに別荘かホテルなどの宿泊施設(4)交通の利便性が高い所に中国商品の卸売りセンター―など複数の開発案を紹介。
 沖縄を選ぶ理由を「沖縄はまず観光地として魅力的。そして、今の中国の経済成長を支える民間企業には資金が豊富にある。彼らは海外投資に意欲を示しており、その中でも沖縄への関心が高い」と説明した。
 安里副知事との会談で、一行は沖縄―中国間の交流促進にはビザ問題の解消が不可欠だとし、優遇特区の制定など県へ協力を求めた。安里副知事は「ビザの問題は解決しないといけない。いろいろな間口を準備しているので、ぜひ沖縄へ来てください」と歓迎した。
 視察団は13日まで県内に滞在し、特別自由貿易地域や那覇港国際コンテナターミナル、西海岸のリゾート地や豊崎タウンなどを視察する。

(琉球新報 7/12 9:52)

                     ◇

その中でも沖縄への関心が高い

中国は沖縄のことを「ネギを背負った鴨」だとおもっている。

獲物を狙う狩人に無用心に擦り寄る鴨が沖縄なら、

背負ったネギは勿論、ガス田埋蔵の尖閣諸島だ。

因みに参院候補の糸数慶子氏はノーテンキにも沖縄を「無防備地域」にすることに熱心のようである。http://blogs.yahoo.co.jp/muboubiokinawa/MYBLOG/yblog.
html

もう一人の革新候補・山内徳信氏も「無防備地域宣言」を支持すると言う。http://www.y-mainichi.co.jp/?action_article_show=true&article_id=2823

沖縄の革新候補のノーテンキぶりもここに極まれり、だろう。

 

「沖縄県民の4人に1人が日本から独立すべきだと考えていることが、琉球大学の林泉忠助教授(国際政治学)の調査チームが行った県民意識調査で分かった。」

こんな記事が一時マスコミを騒がした。

ウソだろう!

と言うのがそのときの感想。

沖縄に住む自分の周囲を見ても

4人に1人が独立を望んでいるとはとても思えない。

居酒屋で酔った勢いで無責任な論議は、時々あるが、

・・・と言うより、何かの拍子に「居酒屋独立論」として話題になること偶にはある。

そもそもアンケートの責任者の林泉忠助教授がいかがわしい。

この教授だか助教授だかわからん紛らわしい名前のこの方、


自分のサイトをお持ちでした。
林泉忠 (リン センチュウ)本籍:中国

一目瞭然、トップに日本、中国などの国旗と一緒に

北朝鮮の国旗を掲げておられる変わった思想の持ち主ようだ。

JIJI PRESS NEWS(時事通信)

まず、このアンケートの設問などは一切不明。

まさかこの先生、沖縄を日本から分断して、

「沖縄自治区」にするための事前工作をしているのでは無いでしょうね。

そういえば民主党も沖縄を中国に売り渡す政策を考えていた。

一行は沖縄―中国間の交流促進にはビザ問題の解消が不可欠だとし、優遇特区の制定など県へ協力を求めた

中国とのノービザ制度も民主党の政策に連動しているのでは?



一昨年ネット上を賑わした沖縄を中国に売り渡す「民主党の沖縄政策」の抜粋です。


「民主党の沖縄政策」 沖縄を中国に売ります!

・沖縄を日本から切り離して中国へ売り渡します ~正気とは思えない民主党の政策~民主党の沖縄ビジョン民主党の沖縄ビジョン:民主党公式HP

Ⅰ、「沖縄」を考える (略)

Ⅱ、私たちの目指す姿勢
 民主党は「自立・独立」「一国二制度」「東アジア」「歴史」「自然」の5つのキーワードが、沖縄の真の自立と発展を実現する為の道しるべになると考えている。つまり、沖縄において「自立・独立」型経済を作り上げるためには、「一国二制度」を取り入れ、「東アジア」の拠点の一つとなるように、沖縄の優位性や独自性のある「歴史」や「自然」を活用することである。そして、これらのキーワードを活用する沖縄を通じて、日本は目指すべき次なる姿を描けると考える。

(略)
15)ビザの免除、キャンペーンの実施などによる東アジアとの人的交流の促進

16)東アジアのエネルギー・センター
  沖縄の既存の原油備蓄能力を活かす

17)全県自由貿易地域構想
 香港、上海、台湾、釜山などの東アジア各地との経済交流拠点とする。

21)地域通貨の発行

25)本土との間に時差を設定

26)語学教育
 中国語などの学習を含め、沖縄の「マルチバイリンガル化」を促進する。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用ここまで

 自主自立? 一国二制度? ビザ免除? 備蓄原油をアジアへ放出? 中国・韓国との交流拠点? 地域通貨? 日本と時差? 中国語教育?

 読んでいて寒気のするような文章でした。一体この党は何を考えているのでしょうか。はっきり言って正気の沙汰とは思えません。 

そういえば8月1日にこんなニュースもありました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
沖縄の日本帰属に疑義=戦後の返還、根拠欠く-中国誌:時事(8/1)

 中国の国際問題専門誌・世界知識の最新号は、沖縄の日本帰属をめぐる歴史的経緯を紹介した専門家の論文を掲載。この中で、「戦後の日本による米国からの琉球接収は国際法上の根拠を欠き、その地位は未確定のままだ」と主張した。
 中国のメディアに沖縄の日本帰属に疑問を呈する論文が登場するのは異例。中国は沖縄県尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権などを日本と争っている。日本側主張の基礎となる沖縄の帰属についても問題点を指摘し、日本側を揺さぶることが狙いとみられる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用ここまで

中国は枕詞として、何にでも友好の文字を付ける。

無防備な日本人がこの友好に何度騙されたことか。

この国の友好のいかがわしさを既に明治期に看破していたのが

福沢諭吉であった。

中国産業界が県内視察 中華街、ホテル、加工工場って?

大丈夫かね。
 
消えた友好会館 沖縄と中国

友好の海は幻 中国の領海侵犯

                      ◆ 

 

【再掲】

指桑罵槐の裏を読めば

☆★☆★2006年07月25日付

 よくやるよ――と思うのが中国の日本懐柔策あの手この手である。産経新聞が昨日付から中国の対日宣伝工作について特集を始めたが、そのタイトルに「友好の舞台裏」とあって、まさに表では友好を口にしながら、裏ではいかに日本国内世論を分断するかと秘術を巡らす中国政府の手口を紹介している。
 内容を要約すれば、要するに中国政府は利用できるものは徹底的に利用し、利用できないと分かる相手はこれまた徹底的に排除し、日本国内に親中派を増殖するため戦略的に宣伝工作を続けているというものである。
 こうした工作は中国のお家芸で、むろん相手に気づかれてはならない。さりげなくしかも当地方言でいえば「こそろに(こっそりと)」やるのをよしとする。これは情報戦の常道で、戦前から今日にいたるまでこうした老獪なやり方で日本はずいぶん煮え湯を飲まされてきた。なにせお人好しの国民性だから、あっさりとだまされる。日中友好とは決して互恵ではなく、あくまで中国を利するものでなくてはならないという原則を見抜かないとあとでホゾをかむことになりかねない。
 だが、現実には相手の思うツボにはまりつつある。これは中国四千年の歴史が育んできた生き残り術の精華であって、いかに相手を幻惑するか、戦わずして勝つかは「孫子の兵法」を生んだ国らしく極意に富んでいる。それに気付かず「日中間のノドに突き刺さった骨を取り除かなければならない」などと善意オンリーで取り組んでいると、しらず国益をおかす結果を招くことがあり得るのである。
 しかし日本人とてそこまで極楽とんぼでいられない。多くの識者(ここでは保守的といわれる人々で、むろん進歩的文化人はその範疇外である)が、中国政府のそうした高等戦術を見抜いてしかるべき対応を説いているが、なにせわが国のマス・メディアというのは反日・親中的だから中国のご機嫌を損ねるようなことは避けて書かない。ゆえに世論は素直に信じて、小泉首相の靖国参拝が友好を妨げていると考える。この問題に世論が二分しているのは、まさに婉曲な日本包囲網が徐々に広がっている証左であろう。つい先年までは中国が参拝云々を持ち出すことはなかったことからも、これは明らかに宣伝戦の効果である。
 中国には「指桑罵槐(しそうばかい)」ということわざがある。桑を指さしてエンジュをののしるということで、これは中国の遠交近攻戦略や、間接外交を表す言葉として最近とみに使われる?代名詞?となった。つまり「日本政府はけしからん」と直接指さすのではなく、周囲にそう思わせるようにすることだ。周囲とはむろん日本国民であり、みごとその術中にはまりつつあるのが国内世論というわけである。試しにポスト小泉の三候補(福田氏が一抜けたから)が揃って訪中したとする。
 胡錦濤主席が会うのは谷垣氏だけで、安倍、麻生両氏は冷淡にあしらわれるであろう。それは利用価値があるかないかが判断基準となるからである。実際「首相になっても靖国参拝はしない」と言明している谷垣氏を持ち上げることは中国の国益にかなうからである。その谷垣氏がハニートラップ(蜜の罠=色仕掛け)に引っかかったことは記憶に新しいが、その負い目がなお続いている印象を与えるのはマイナス要素であろう。
 いずれ中国が深刻な内政問題を抱え、いかに国内のガス抜きをするか国外にその利用材料を求めているのは明白で、この辺の事情を詳しく綴った杉本信行元上海総領事著「大地の咆吼」を読めば指桑罵槐戦略のすべてが氷解する。一筋縄ではいかないその外交、とりわけ対日宣伝工作が、国内の不満要素を取り除くためのきわめて必要性にかられた結果であることを思い知らされる。
 だが、そこは儒教の国である。戦略として必要ではあっても、向こうから近寄って来る人間は信用しない。利用するだけである。逆に信念を曲げない人間に裏では密かに信を置いているはずだ。媚びず、阿らず、諫言、直言することこそが互恵・平等、真の日中友好のカギであろう。     (英)

 

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それぞれの戦争体験 残虐な米兵

2007-07-16 08:45:06 | 歴史

琉球新報 南風
私の戦争体験  
 軍国少年に育った私は昭和19年に小学生になった。そして7歳で団体行軍の洗礼を受けた。自分より大きなランドセルを背負って夜明けの4キロの行軍は苦痛で、走りながらのどの奥でかすかに泣いていたように思う。ランドセルは兄が見かねて持ってくれたのかもしれない。
 
10月10日の朝、学校へ行く途中であったろうか、なぜか学友4、5人で井戸端で遊んでいた。飛行機の爆音が聞こえたかと思うと突然、機銃掃射の大きな音が身近に起きて数機の戦闘機が現れた。操縦士の顔も見えるくらいの低空を飛んでいた。私たちは演習だと思い、万歳万歳と叫んで飛行機に向かって盛んに手を振った。
 その時父が現れて大声でこれは演習ではない、敵の空襲だと叫んだので私たちは泣き叫んで逃げた。やがて空襲は日常化した。敵機の襲来は朝の太陽を背にして襲ってきた。そのたびに私たち家族はつぎつぎに壕の中にスライディングして入る日課を過ごした。(略)
 (与儀 一夫、宮古写真愛好家協会長)

(6/8 16:13)

                     ◇

 

>機銃掃射の大きな音が身近に起きて数機の戦闘機が現れた。操縦士の顔も見えるくらいの低空を飛んでいた。

制空権を失っていた沖縄で、米軍は沖縄住民を無差別で攻撃した。

顔の見えるくらいの低空飛行で機銃掃射を受けた少年の話は沖縄では珍しくない。

戦時中、石原都知事も小学生の帰りに、顔の見える至近距離で米戦闘機の機銃掃射を受けた、とどこかで体験談を語っていた。

米軍はヒューマニズムに溢れていたというのは神話に過ぎない。

米軍の沖縄占領から数年間の米軍の沖縄での蛮行はマスコミには封印されたままである。

現在70歳以上の女性なら、1945年の終戦当時から数年間、各集落の入り口にぶら下っていた米兵監視用の「鐘」のことを覚えているはずである。

この「鐘」の警戒警報により当時の沖縄の婦女子は自分の身を護ったが、

犠牲者の数は多く、その実体はあまり語られていない。

何時の頃からか「沖縄戦の残虐行為」の代名詞は米兵から日本兵にとって変られるようになった。

繰り返し語られる小さなウソが大きなうねりとなる。

そして、それが何時しか“真実”の衣をまとうようになる例は、

けして珍しいことではない。

米兵の残虐行為を沖縄のマスコミが大々的に報じるようになったのは終戦10年目、1955年に起きた米兵による暴行殺人事件・「由美子ちゃん事件」以後のことである。

 

◆石原東京知事の東京空襲についての動画:
「沖縄県民斯く戦へり」さん
http://kakutatakaheri.blog73.fc2.com/blog-entry-357.html#more(東京空爆については後半)

                      ◇

 

沖縄戦を語るとき、先の大戦のことを大東亜戦争でも、太平洋戦争でもなく、

15年戦争と呼ぶ人々がいる。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%94%E5%B9%B4%E6%88%A6%E4%BA%89

15年戦争はサヨクの歴史観と言うのが相場だが、

この思想で貫かれた代表的モニュメントが「沖縄県平和祈念資料館」だ。

各都道府県別の沖縄戦戦死者数が分かるサイトがある。

昭和50年発足、平成12年新館開館の「沖縄県平和祈念資料館」のサイトだ。
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/htmls/senbotsu/SN01EXPL100.htm
 

この資料館の沖縄戦・戦死者の数字に疑念を抱いた人がいた。

メルマガ「商社マンに技あり!」http://www.f5.dion.ne.jp/~t-izumi/index.htmlの発行者泉幸男さんだ。

以下は、そのメルマガからの引用。
 
< 
昭和6年9月18日(柳条湖事件)から昭和20年3月25日(沖縄戦前日)までの沖縄県出身の日本軍将兵の戦死者が、「沖縄戦の戦死者」に勘定されている。
 
■ 沖縄戦は昭和6年に満洲で始まった? ■

 
 13年半にわたる沖縄戦開始前の沖縄県出身戦死者の数を、「沖縄戦の戦死者」に勘定する言い分がふるっている。
 
 ≪沖縄戦が昭和6年の満州事変に始まる15年戦争の帰結であることから≫昭和6年9月以降の戦死者は「沖縄戦」の戦死者として勘定するのだそうだ。
 
 これが許されるなら、日露戦争はおろか、日清戦争や戊辰(ぼしん)内戦の戦死者も、第二次世界大戦の戦死者の数に含めうるであろう。
 歴史を語ろうとするときに必要な真摯さを欠いているのではないだろうか。
 
 なぜこのようなことを沖縄県の公的機関が平然と行うのか。
 
沖縄県出身の「犠牲者」の数をできるかぎり多く書くことを称賛する勢力がいるからではないのか。>

                    ◇

 

同メルマガは次の記事も紹介している。

http://www.mag2.com/m/0000066872.htm
「ウィークリー沖縄 ― 本土に伝わらない沖縄の真実 ―」。
 
  平成14年2月25日号のレポートが衝撃的だったので、読者の皆さんにぜひご紹介したい。

■沖縄レポート

◎「反日展示物」並ぶ平和祈念資料館
 
 沖縄本島南部の糸満(いとまん)市摩文仁(まぶに)にある「沖縄県平和祈念資料館」は沖縄戦の実相を次世代に伝えることを目的に、二〇〇〇年四月にオープンした。
  しかし、展示物は旧日本軍の残虐さを強調する反日的なものばかりで、修学旅行生をはじめ全国から訪れる見学者は、反日感情を植え付けられている。
 
◎生徒の反日感情を醸成
 
 「一番印象に残った事実は、アメリカ兵は民間人だと分かれば殺されないということでしたが、日本兵は自分達が生き残るために民間人をも殺すということです」
(二〇〇一年十一月二十五日、女子高校生)
 
 「いくら戦争中だからといっても、人間のすることではないと思った。人間がゴミのように扱われていて、特に、日本兵の住民に対する態度は最悪だと思った」
(同十一月八日、神奈川県の女子高校生)
 
 これは平和祈念資料館に寄せられた見学者の感想文だ。資料館を訪れた生徒が旧日本軍に対して強い反感を抱いていることが分かる。
 
 資料館は老朽化した旧資料館の代わりとして、大田昌秀(おおた・まさひで)前県知事時代に計画され、沖縄戦の犠牲者の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」に隣接する形で建設された。
 屋根は全て沖縄の伝統的な赤がわらを使用するなど豪華な造りで、七十四億円もの事業費がかかっている。
 
 二〇〇〇年度は四十八万人以上が来館。
 二階が常設展示室で、 (1)沖縄戦への道  (2)鉄の暴風  (3)地獄の戦場  (4)証言  (5)太平洋の要石(かなめいし) の5つのセクションに分かれ、沖縄戦のパネル写真や模型・資料などが並べられている。
 
◎ジオラマ展示で「残虐さ」を強調
 
 中でも反日的展示の象徴ともいえるのが、沖縄戦当時のガマ(洞窟)の様子を再現した模型だ。
 
 銃剣を持った日本兵の前で住民がおびえているという構図で、住民の中には泣く赤子の口を手で押さえる母親の姿もある。人形は小学生くらいの大きさでリアル感が漂う。
 模型に説明文はないが、日本兵が住民を虐げていたことを連想させるものであることは間違いない。
 
 このほか、左足を失った負傷兵とそれを看護する衛生兵の横で、日本兵が青酸カリ入りのコンデンスミルクを作る場面や、投稿ビラを取ろうとする住民を日本兵がスパイ視して銃剣を向けるという模型もある。
 
 ガマの展示をめぐっては、検討段階で"騒動"が起きている。九八年十一月の知事選で大田氏を破って稲嶺恵一(いなみね・けいいち)知事が誕生すると、県は日本兵の人形から銃を取り外させるなど、展示内容の変更を進めた。
 
◎沖縄戦は「米国との戦い」ではなかった?
 
 だが、これに対して大田前県政時代に任命された資料館の監修委員や市民団体などが猛反発。
  結局、県は左翼勢力の反対キャンペーンに屈する形となり、銃剣を元に戻すなどほぼ原案通りとなった。
 
 また、館内に掲示されている解説文も「反日」のオンパレードだ。
 
「日本軍は沖縄住民をスパイ視して拷問や虐殺をしたり、壕追い出しや、米軍に探知されないために乳幼児の殺害などをおこなった」
「食糧を入手できなくなった地域では、日本兵による住民の食糧強奪が相次いだ。なけなしの食糧を強制的に提供させられたり、拒否する場合には殺害されることもあった」──等々。
 
 沖縄戦では米国との戦いで多くの犠牲者が出たにもかかわらず、資料館の展示は沖縄の住民は日本軍の犠牲になったかような記述ばかり。
 見学した生徒が米軍よりも日本軍に敵意を覚えるのも無理もない。
 
◎一面的な展示が踏み躙(にじ)る沖縄の心
 
 資料館の開館前に、県議会に陳情書を提出して展示内容の変更を求めた国旗国歌推進沖縄県民会議の恵(めぐみ)忠久会長は、
二十万人の沖縄守備の日本兵には、民間からの召集兵もおり、いろんな人間像があるのであり、追い詰められた死の恐怖から生じたごく一部の兵士の行動をもって、すべての日本軍の行動と勘違いさせるような展示をすべきではない」
と指摘する。
 
 日本兵の残虐さを強調する一方、県出身者を含む日本兵が沖縄防衛のために尊い命を捧げて戦い抜いたことを示す展示は一つもない。
 海軍司令官の大田実少将は
「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜タマハランコトヲ」
と、作戦に対する沖縄県民の献身的な協力に理解を求める電文を送っているが、資料館にはこの電文さえ紹介されていない。
 
 恵会長は
大田少将が訴えたように、日本兵が県民と和合一体となって戦い抜いたことは間違いない史実だ。戦死された多くの将兵や県民の犠牲のおかげで、われわれは平和を享受できたのであり、それを不確定な資料や他人からの聞き取りなどで判断してはならない」
と語る。
 
◎監修委員に一坪反戦地主
 
 さらに、「展示内容が反日に偏っているのは、
大田前知事が選任した監修委員に大きな問題がある」とも恵(めぐみ)会長は続ける。
 
 十三人の監修委員のうち、会長を務めた宮城悦二郎・元琉球大教授をはじめ、石原昌家・沖縄国際大教授、内海恵美子・雇用開発推進機構調査研究部長、著述家の安里英子氏の四人は、米軍基地内にわずかな土地を共有する一坪反戦地主だ。
 
 約三千人いる一坪反戦地主の中には、極左過激派や共産党員も多数含まれており、こうした偏った思想の持ち主たちと関係のある人が、公正さの求められる資料館の監修に携わっていたことは明らかに不適切である。
 宮城氏は現在も、資料館の運営委員として関与している。
 
 開館以来、県内だけでなく全国から児童・生徒が数多く訪れている。
 二〇〇〇年度の小中高、大学の団体見学は県内が三百七十八校、三万二千四百七人で、県外は千五校、十五万九千三百六十四人にのぼった。
 
修学旅行生の約半数が来館しているといわれ、多くの児童・生徒が修学旅行の最中、反日感情を植え付けられていることになる。
(C) 2002, 世界日報>
 

 




 

 

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中国食品の産業事情  危ない食品を笑ってる場合か!

2007-07-16 06:05:44 | 県知事選

 

中国の危ない食品事情を笑っている場合ではなかった。

そして食卓から“それ”を排除すれば済むって問題でもなかった。

今までぼんやりとしか見てこなかった問題点がはっきり見えてきた。

ダンボール肉まんは日本の食品事情にも重大な問題を突きつける結果になった。

日本の食糧自給率は、わずか、40%で先進国の中では最低。

これは分っていながら、連日のテレビ番組はグルメを扱わなければ夜も日も明けない。

その一方食品は輸入に頼りっきりのこの現実。

中国からの輸入食品は全体の2位を占めるという。

だが、中国から入ってくるのは食べられない食品ばかり。

危険なモノは食わなきゃ良い、・・・なんて言っている場合ではない。

それがストップしたら、日本は大変なことになる。

日本の格差社会は究極に到り、

持てるものは安全な日本産を食い、

持たざるものは中国産でも、と言う時代になる。

不健康でも餓死するよりマシだろう。

日本はこれを機に食品の自給率、食費安全保障について考えるべき。

真剣に食品自給率について考えさせる動画です。


【動画】中国の食品産業事情が日本に突きつけた「食品自給率」

① http://www.youtube.com/v/lxuMQq0zv9Q

http://www.youtube.com/v/4uc7qYLnOkc

 

 

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