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筆者は朝日新聞を読んでいないので知らなかったが、一年ほど前、現代史研究家上杉一雄氏が「集団自決」に関して寄稿してあるのを「考察NIPPON」さんで知り引用させて頂いた。
朝日への寄稿ゆえ、沖縄タイムスと類似の「軍命なくして集団自決は有り得ぬ」といった類の主張だろうという先入観を見事に裏切られ且新鮮な驚きに打たれた。
先ず一読して欲しい。(太字強調は引用者)
沖縄戦集団自決への歴史認識 大杉一雄氏の場合
沖縄戦集団自決客観的・冷静な歴史認識を
現代史研究者 大杉 一雄
沖縄戦の集団自決をめぐる高校教科書検定問題は玉虫色の決着がなされたが、なお議論は続くだろう。ここでは歴史認識の観点から考えてみたい。
敵が上陸したら竹槍を持って軍とともに戦うか、ひたすら逃げるか、自決するか。沖縄に限らず当時の国民は不安におののき、絶望的状態にあった。1945年2月に徴兵されて北海道旭川の部隊にいた私も3月に米軍が沖縄に上陸したと知らされ、いよいよ本土決戦かと悲壮な覚悟をした。
沖縄の小さな島を守る軍隊は援軍も期待できず、最後まで戦って玉砕する決意しかなかっただろう。一般国民にしても、米英は鬼畜であり、占領されれば男は殺され、女は暴行されると教育されていた。すぐ降伏すればよかったというのは戦後の価値観に過ぎない。
国土が戦場となれば、住民には軍のほかに頼れるものはなく、軍に協力するのが当然であるとされた。沖縄住民の協力ぶりは「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり部隊」などで周知のことである。戦闘に巻き込まれることば不可避であり、軍官民が一体化して敵に当たるほかなかった。
その意味で「軍の関与」があったことは当然である。自分たちは玉砕するが、住民にはとにかく逃げ延びろという場合もあっただろうし、一緒に死のうと手榴弾を手渡したケースもあっただろう。一億玉砕を教えられていた当時の国民はそれを受け入れる精神状態にあり、それがあの戦争の現実であった。
教科書検定についての論争はもっばら、集団自決が軍による強制=命令かどうかということだった。しかし「直接的な軍命令の根拠は確認できていない」(検定審)といわれるように、軍が強制したと一概に断定するのは難しいのではないか。命令されたという戦後の証言もあるが、遺族年金受給のためともいわれる。
戦場の過酷悲惨な極限状況とその場における人間の心理、行動の真相を、平時になってから検証することは困難である。それでも、恐怖と絶望に駆られ、絶壁から飛び降りたサイパン島の日本住民のように、集団自決せざるを得なくなったケースは十分想像し得る。
沖縄の人々が犠牲を悼み、現地軍の行動を非難する心情は理解できる。しかし沖縄の悲惨な歴史はむしろ、追いつめられた戦局、国体護持の精神、米英撃滅・尽忠報国・不惜身命の教育の徹底など、当時の客観的な事情を前提として、感情、情緒に陥らず、冷静に書かれるべきではなかろうか。戦前・戦中の歴史をすべて戦後の平和思想で判断しようとすれば、かえって歴史の真実の姿を見失う恐れがある。
悲劇の責任を問われるべきは、沖縄現地軍というよりは、敗色歴然となっても本土決戦、一億玉砕を叫んでいた軍首脳部と、終戦を積極的に推進しなかった政治家である。権力の中枢にいた人々と、第一線で戦わざるを得なかった人々の責任の軽重は、厳に区別されなければならないだろう。
25年生まれ。主著に「日中戦争への道」「真珠湾への道」(いずれも講談社)。
(2008年3月5日 朝日新聞朝刊)
◇
>悲劇の責任を問われるべきは、沖縄現地軍というよりは、敗色歴然となっても本土決戦、一億玉砕を叫んでいた軍首脳部と、終戦を積極的に推進しなかった政治家である。権力の中枢にいた人々と、第一線で戦わざるを得なかった人々の責任の軽重は、厳に区別されなければならないだろう。
一、二審判決とも梅澤、赤松両隊長が「自決命令を下した」という最大の争点では良隊長の名誉は回復されたが、被告側の卑怯な論点すり替えで、軍全体の責任を「軍人は公務員」であるが故、両隊長が負うべきという奇怪な判決に終わった。
これに関して以前にも現場の一指揮官に全日本軍の責任を、いや、戦争を起こした日本の全責任さえ負わすという判決に異論を唱えた。
上杉氏の上記引用文は、そのまま高裁判決への疑問となり、読む者の胸に激しく突き刺さる。
◆
■「八百長裁判」と「集団自決裁判」との類似点■
八百長訴訟、講談社に4300万円賠償命令 朝青龍ら勝訴
2009.3.26 15:00
大相撲の八百長疑惑を報じた「週刊現代」の記事で名誉を傷付けられたとして、日本相撲協会と横綱朝青龍関ら力士30人が発行元の講談社などに計約6億1000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が26日、東京地裁であった。中村也寸志裁判長は「取材は極めてずさんだ」として講談社側に計約4300万円の支払いと記事を取り消す広告の掲載を命じた。
賠償額の内訳は朝青龍関1100万円▽相撲協会660万円▽栃東関ら6人各220万円▽琴欧州関ら8人各110万円▽豊ノ島ら15人各22万円-。
同誌は「横綱・朝青龍の八百長を告発する!」と題した平成19年2月3日号から3回連続で、朝青龍関を中心に相撲界に八百長が横行していると報じた。
中村裁判長は、判決理由で「八百長の合意や現金授受の具体的内容が明らかでない」と指摘。「(記事は)社会の注目を集めたが、力士生命にかかわる。具体性や迫真性があり、一般読者が真実だと受け取りやすい」として、高額な慰謝料支払いを命じた。
訴訟では、八百長の中心と名指しされた朝青龍関本人が出廷。「(八百長は)ない。すべて真剣勝負だ」と反論した。元若ノ鵬=ロシアに帰国=は陳述書で「私は八百長をした」としたが、後に「虚偽だった」と撤回した。
◇
日本相撲協会の話「再び勝訴判決を受け、喜んでいる。八百長報道に何らの根拠もなかったことを認めたもので、意義は大きい」
記事を執筆したライター、武田頼政氏の話「(賠償額は)大きな金額で、当然、控訴する。八百長がないと言うには無理がある。ペンはゆるめられない」
◇
前にも書いたが、「八百長裁判」と「集団自決裁判」は「何の根拠もなく個人の名誉を毀損する文書を発刊したことが問題になった点で、同じ争点の裁判である。
【判決要旨】によると「名誉棄損性の有無」に関して「本件記事は、一般の読者の普通の読み方を基準として検討すると・・・」と言うように、「一般の読者の普通の読み方」を基準に名誉毀損の有無を判断しているが当然の措置である。
一方、「集団自決」の一、二審の裁判長は「一般の読者が普通の読み方」をしても理解できない造語故、名誉は毀損していないという。
この二つの裁判の裁判長の違いは、後者がノーベル賞と岩波のブランドの前に平伏して判断を狂わしたと言うことである。
前理事長関連の判決要旨は以下に掲載されているが、見出しだけを見ても、
「取材が『誠に不十分』」
「○○証言は『裏付け証拠なし』」
「記事は社会的評価を著しく低下させるもの」
「裏付け取材していない」
上記はすべて講談社と執筆記者のことを指しているが、まるで『鉄の暴風』の大田記者や、それを鵜呑みにして『沖縄ノート』を書いた大江健三郎氏のことを指しているかと錯覚するほどである。
◇
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