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町工場の親方さんのコメントです。
防衛大学校、第1回卒業式 吉田茂総理大臣訓示
0君たちは、自衛隊在職中決して国民か ら感謝されたり歓迎されることなく自衛隊を終わる かもしれない。ご苦労なことだと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは外国から攻撃 されて国家存亡のときとか、災害派遣 のときとか、 国民が困窮し国家が混乱に直面してい るときだけなのだ。
言葉をかえれば、 君たちが 『日陰者』であるときの方が、国民や日本は幸せなのだ。
耐えてもらいたい。
昭和32年2月防衛大学校第1回卒業式 吉田茂総理大臣訓示
これを評価する向きもあるが、私は嫌いです。
武人の誇りをなんと考えるのか!
吉田茂の限界でしょう。
私だったらのように話します。
「皆さんに対して、悪意を持ち、非難、嫌がらせをする人間はいる。しかし、決してそんなものは気にしないでいただきたい。
勤勉、善良な、日本国民の大多数は、内心、皆さんを頼りにしている。皆さんに嫌がらせをするのは、戦後、占領軍によって日本破壊のため煽られた、マスコミ、教育界、大学等に強く根を占め、左翼革命を目指す、親ソ、親中、左翼分子によるものである。
こんな連中は気にすることなく、決してめげず、毅然としていただき、一朝ことがあった場合は、国家、国民のため、全力をつくしていただきたい。
自衛隊が、「憲法違反」、でなく、憲法が、「自衛体違反」、である。ーーー西部邁
人間の生存権=自然権、を否定している、日本国憲法は、一国の憲法の理念に反するーーー兵頭二十八
★
>吉田茂の限界でしょう。
吉田茂は好きな政治家だが、戦後わずか12年のあの時代にはこれが精一杯だったのでしょう。
戦後66年の現在、もし吉田茂が生きていたとしたら、
きっと次のように訓示したと思う。
「武人の名誉を称えぬ国はほろぶ」と。
<日本では国家・国益のために貢献したとも思えない政治家や首長、官僚が恥ずることなく受章している。組織には「信賞」があるから「必罰」がある。国家の統治も同じで、法による「罰則」の一方で、栄典制度による「顕彰」があるから成り立っている。現職自衛官には「必罰」だけで「信賞」が存在しない。武人が威張る国家は滅びる。だが、武人の名誉を称(たた)えぬ国家もまた、滅亡を免れない>(産経新聞)
2011/04/03
東日本大震災における、自衛官の目覚ましい活躍に、多くの国民が「瞠目(どうもく)」している。だが、小欄は「瞠目」などしない。自衛官の日常、使命感、覚悟、練度…に日頃から接してきたから、驚いては礼を欠く。ただ、無残に傷んだ数多(あまた)の骸(むくろ)が目に、頭に焼き付き、本当に泣きたいのは自衛官であるのに、黙々と任務を果たす自衛官から放たれる「まぶしさ」は、こちらの眼(まなこ)を潤ませる。この際、国家・国民に問いたい。過去、無数に放たれたであろう、この「まぶしさ」を「正視」してきたのか、と。意図的か否かは別として「無視」してきた罪は免れぬ。そうでなければ、現役自衛官を叙勲しない武人に対する不名誉・無礼が、創隊(昭和25=1950年)以来続いてきた国家的怠慢への説明がつかない。
避難所の志津川高校で沖縄民謡を披露する陸上自衛隊第15旅団(那覇市)の隊員たち。その心遣いに多くの被災者が勇気づけられた=3月31日、宮城県南三陸町
■最後に街を出る覚悟
自衛隊福島地方協力本部相双(そうそう)地域事務所は東京電力福島第1原子力発電所の北23.4キロの南相馬市内に在る。政府が「自主避難」を促して尚、5人の自衛官が守る。人口7万1000人の大半が避難し、街はゴーストタウンと化した。それでも、居残った人々が屋内退避を続けているから、放射能を気にしながら物資輸送などを行っている。事務所長は「万が一の場合、住民全員の退避を確認するまでこの場を離れない。最後に街を出るのはわれわれだ」と「覚悟を決めている」。
「覚悟」を口にしてはいるが、自衛隊最高指揮官・菅直人首相(64)のように「覚悟」の前に「決死の」などど“修飾語”を軽々しく付けない辺りに、真(まこと)の「覚悟」が透ける。
5人の自衛官は特別な存在ではない。一般国民よりはるかに鍛えてはいるが「生身の人間」だ。その「生身の人間」が、洗浄を伴う数千体もの遺体収容や千体近い遺体搬送を担っている。担架が不足し、子供の小さな亡(なき)骸(がら)は抱きかかえて運ぶ。同じ年頃の子を持つ自衛官には、これがこたえる。「引きずる」のだ。
だから、自衛隊では専門家を前線部隊に巡回派遣し、いかにすれば「引きずらない」か指導を繰り返す。指導は末端に間接的ながら伝えられ夜間、5~10人が車座になりその日の辛い経験を吐き出す。ある者は泣く。
■現役にはない叙勲
もっとも、自衛官も数人が死亡し、自身の家族の死傷や行方不明は数百人を数える。遺体収容施設に亡骸を搬送・安置し、合掌し、再び現場に戻るそのとき、親・兄弟や愛する人を探したい衝動を「その度に抑えている」という。
斯(か)く闘えり自衛官に、この国は名誉を与えない。武人は武勲・功績に応じ、祖国から勲章が贈られるが、現役自衛官に叙勲はない。70歳を何年か過ぎて初めて勲章が贈られる。それも、制服組最高位・統幕長や陸海空自トップ・各幕僚長は中央省庁の事務次官程度。現在、自衛隊を直接指揮する東北方面総監は局長級、陸将補(少将)は課長級という格の低さである。下士官・士(兵)に至っては退官後ですら叙勲されない。
厳しい訓練や過酷な出動を重ねることから、軍隊では平時でも殉職者が多い。自衛隊員も創隊以来1800人以上が公務中に命を落としている。自衛隊員は入隊時に「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め…」との「服務の宣誓」を、法により義務付けられてもいる。武人に勲章が授与される所以(ゆえん)がここにある。
■必罰あって信賞なし
勲章は礼装に飾り、日常着用する軍服には勲章の略章を着ける。しかし、防衛省が定める防衛功労章は国家が下賜(かし)する勲章ではなく、防衛省が独自に制定した“メダル”でしかない。もう一つの防衛記念章の方は功労章なる“メダル”に対する事実上の略章との位置付け。40種類も定めている割に、自衛隊内で「グリコのおまけ」と揶揄(やゆ)されるのは、こうした“重み”故だ。防衛駐在官=武官ら多くの自衛官が、外国や在日大使館における公式パーティーへの出席を厭(いと)う理由は、礼装に着ける勲章がないからでもある。もっとも、勲章を着けている自衛官を時に見かける。実は海外勤務・任務などの際、現地政府から授与された勲章だ。
▽英国では軍人に「ナイト爵」の一つである「功績勲章」を1902年のエドワード7世の、「大英勲章」を17年のジョージ5世の、それぞれ時代から設けている。時の君主が受章者の肩に剣で触れる儀式は今も続く。
▽フランスには「レジオン・ド・ヌール勲章」「国家功労勲章」
▽スペインには国王と政府が授ける陸海空軍別「功労勲章」
▽イタリアにも「イタリア共和国功績勲章」などが制定されている。
▽米国に至っては、民間人向けの「大統領自由記章」以外の多くは、軍人向け勲章という徹底ぶりだ。
日本では国家・国益のために貢献したとも思えない政治家や首長、官僚が恥ずることなく受章している。組織には「信賞」があるから「必罰」がある。国家の統治も同じで、法による「罰則」の一方で、栄典制度による「顕彰」があるから成り立っている。現職自衛官には「必罰」だけで「信賞」が存在しない。武人が威張る国家は滅びる。だが、武人の名誉を称(たた)えぬ国家もまた、滅亡を免れない。(九州総局長 野口裕之)
【軍事情勢】士気をくじく「反軍政治家」
2010/12/05
外国人参政権や夫婦別姓、朝鮮学校の無償化…など、その政策志向から、民主党政権の正体は「わが国国体・文化の破壊者」だとわかっていた。しかし「自衛隊解体論者」であることも、あらためて裏付けられた。まともな国では軍人はいばらないが国家・国民の側が軍人に敬意を払い、武勲があれば当然顕彰する。この点からも、現政権はまともではない。
仙谷由人(せんごく・よしと)官房長官(64)は、あろうことか自衛隊を「暴力装置」呼ばわりした。ロシアの革命家ウラジーミル・レーニン(1870~1924年)が著書で、倒す国家権力をそう表現し、日本でも左翼学生が警察・機動隊をそう呼んでいた。自衛官の怒り、悲嘆、傷心はいかばかりかと察するが全体、民主党には自衛隊員の士気をくじく政治家が多い。北澤俊美防衛相(72)をして度々、自衛隊員に「旧軍のテツを踏むな」式の訓示・スピーチを行った。菅直人首相(64)にいたっては、自衛隊をこんなふうに軽んじている。
「改めて法律を調べてみたら『総理大臣は自衛隊の最高の指揮監督権を有する』と規定されている」
自衛隊最高指揮官として自覚なき首相と、自衛隊によるクーデターを疑い「暴力装置」と侮辱する官房長官。自民党政権も現役自衛官への勲章制度制定を放置してきたが、民主党政権の登場でさらに期待は遠のいた。
ホワイトハウスでサルバトーレ・ジュンタ2等軍曹に名誉勲章を授与するバラク・オバマ大統領=11月16日、ワシントン(AP)
■武勲は顕彰が当然
米国では11月、1人の軍人が軍人として最高の栄誉・名誉勲章を授与された。サルバトーレ・ジュンタ2等軍曹(25)で、この階位の勲章が生存将兵に贈られるのはベトナム戦争以来初。軍曹の部隊は2007年に基地へ帰還途中、イスラム原理主義組織タリバンの攻撃を受けた。小銃はもとよりロケット弾や機関銃の猛烈な攻撃を浴び戦友が次々に斃(たお)れる中、軍曹は撃たれた1人をかばうために敵前に迫(せま)り反撃。さらに1人の姿が見えないことに気付き、単独で山越えして敵に追いついた。そこで見たのは、タリバンに引きずられながら拉致されていく戦友の姿であった。迷うことなく1人を殺害(1人は逃走)して米兵を奪還。米兵は6発以上の銃創を負っていたため、自らも2発を受けながら応急措置を施した。米兵は搬送先の病院で死亡したが、遺体は家族の手で葬る「幸運」を得た。
アフガンで同じ勲章を授与された将兵は3人、イラクで4人、ソマリアでは2人いたが、全員死後叙勲だった。
バラク・オバマ大統領(49)は授与式で「米国の誇り」「戦士は戦友を置き去りにしない精神を体現した」と絶賛し、軍曹の勇気のみならず両親の教育や郷里の環境も関係していると語った。何よりも軍曹のコメントが素晴らしい。
「戦友たちが生き返るなら、この勲章を即返上する」
■「旧軍」嫌いの防衛相
ところで、北澤防衛相は「旧軍」がお気に召さないらしい。だが、こういう乱暴な“歴史観”が国を貶(おとし)めている。むしろ、大東亜戦争の大方の将兵は立派であった。敗戦の昭和20(1945)年8月15日から3日目の18日午前1時、ソ連軍が突如千島列島最北端・占守(シュムシュ)島を奇襲攻撃してきた。北海道占領をもくろむ火事場泥棒による前哨戦であった。守る大日本帝國(こく)陸軍第91師団は激烈な攻勢防御を敢行しつつ、島内缶詰工場の女子工員400人の北海道への脱出を立案。敵の爆撃機や艦艇、上陸部隊を猛反攻によりくぎ付けにしその間、漁船二十数隻に分乗させ、霧に紛れて無事に逃している。案の定、占守島に上陸してきたソ連軍将兵は島内で、婦女子を捜し回ったという。
この戦(いくさ)、敗戦後の武装解除途中であったにもかかわらず、帝國陸軍の戦傷者は600人。対するソ連軍は3000人の戦傷者を出し、水際でことごとく撃退されている。停戦成立後「勝者が敗者に武装解除され、シベリアに連行された」希有(けう)な戦でもあった。
■命賭して北海道を死守
特に、戦車第11聯(れん)隊長だった池田末男少将(1900~45年)の武者ぶりは特記に値する。普段温厚な連隊長は、自分の下着を当番兵に洗わせなかった。当惑する当番兵に「貴様はおれに仕えているのか。国に仕えているのだろう」と諭している。ところが、薄汚い奇襲を知るや鬼神と化した。武装解除中の戦車を再武装が成った順に逐次進撃させ、自ら先頭に陣取った。白鉢巻きに裸の上体を車上にさらし、身長よりも大きな日章旗を打ち振り「前進、前進!」を連呼しながら突貫した。壮烈な戦死。命を賭して部下を鼓舞し続けたのであった。
かくして、北海道はソ連の不法占領を免れた。わが国固有の領土・国後(くなしり)島に、ロシアのドミトリー・メドベージェフ大統領(45)の違法上陸を許した今の日本と、どちらが国家の姿勢として正しいか「旧軍嫌い」の仙谷氏には、ウンとお勉強なさることをお勧めする。
(九州総局長 野口裕之/SANKEI EXPRESS)
参考:【動画】⇒日本の底力自衛編
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