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昨日までの沖縄タイムス。
国交省の「取り消しの執行停止」を県が係争処理委に審査請求した点を、ケーススタディなどで、どちらが勝つかみたいな論評が満ち溢れていた。
結果的には国側の勝利に終わった2件の先例。
それはさておいても、今回の翁長知事の取り消しが違法である。
それは、翁長知事自身の言動を見れば自明である。
翁長知事の私的諮問機関である第三者委員会が、仲井真前知事が下した「埋め立て承認」には、「法的瑕疵あり」と結論つけたのは7月のこと。
もし法的瑕疵があれば、それこそ直ぐにでも法廷で決着付ければすむことだ。
問題は一件落着していたはずだ。
ところが係争処理委の結論は90日以内という。
結論が出るまでに年を越してしまう。
この問題は翁長知事側が、法的決着を恐れている。
翁長知事は、問題を行政手続きの争いに持ち込んで、あえて決着を先送りをしているとしか受取れない。
どうせ負ける戦いを、何ゆえ先延ばしして問題を混乱させるのか。
法廷では勝ち目がないので、場外乱闘に持ち込みたいのだ。
本日の沖縄タイムスの記事のいたるところに知事の意図を垣間見ることができる。
つまりこんなイメージで県民を扇動したいのだ。
「知事と沖縄県民が辺野古反対を必死で主張するが、国は権力を盾に暴力的に翁長知事を押さえ込もうとしている」
このイメージを扇動する見出しを拾ってみよう。
■一面トップ
警視庁の機動隊 名護到着
100人規模 きょう辺野古投入
■二面トップ
「沖縄いじめ」県反発
警視庁機動部隊派遣
県警は増強否定
■社会面トップ
屈強隊員 整然と
警視庁機動部隊名護入り
「鬼」「若獅子」などの異名
ゲート前市民ら
「屈せず」と結束
沖縄タイムスの涙ぐましいまでの印象操作には感服する。
「国が沖縄を苛めている」
だが、機動隊を辺野古に「投入」したのは国ではない。
機動隊派遣の要請をしたのは県警の要請を受けた沖縄県公安委員会の要請となっている。
ちなみに沖縄県警は翁長知事の管轄の下にあるが、何か。
>警視庁機動部隊名護入り
>「鬼」「若獅子」などの異名
これには思わずコーヒーを吹いた。
機動隊を「鬼」と呼ぶのは、法律を踏みにじって実力行使をする犯罪者。
犯罪者に「鬼」と呼ばれるのは名誉なことではないのか。
ちなみに火付け盗賊改め方のボスは「鬼の平蔵」と恐れられた長谷川平蔵。
勿論「鬼」を恐れたのは犯罪者。
辺野古ゲート前で、法律を踏みにじって実力行使する不逞の輩から「鬼」と呼ばれるのは名誉と受取ってほしい。
良識ある県民は機動隊の「整然とした」任務遂行に対して「若獅子」と賛辞を贈るだろう。
「オール沖縄会議」、月末に結成総会 新基地阻止へ運動強化
辺野古新基地建設阻止に向けて県議会与党や市民団体、経済界などが新組織の発足を決定していた件で、各団体の代表者らは3日午後、那覇市泉崎の自治労県本部で会議を開き、11月末に結成総会を開くことを決めた。名称は「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議(仮称)」とする方針。同日の会議に参加した22団体で幹事会を構成する。幅広い枠組みで新基地建設阻止に
取り組むことを目的とする。
14日に結成準備会を開き、共同代表や事務局体制、設立趣意書などを確認する。結成準備委員長には新里米吉県議が就任した。幹事会とは別に加盟団体、賛同団体を募り、個人参加もできる仕組みを検討する。
新組織は大規模集会などの際に結成する実行委員会を一時的ではなく長期的に設置するイメージ。新基地建設阻止を目指す中、保守系や経済界を含めた組織がなく、設立を求める声が上がっていたという。
活動計画は結成準備会などで決めていくが、政府が辺野古本体工事に着手したことなどを受け、現場での反対運動を強化することを目的の一つとする。選挙について直接的な目的とはしない方針だが、新里氏は「選挙の重要さについては設立趣意書の中に表現として出ると思う」と説明した。
☆
「オール沖縄」の再編成で、来年早々に始まる選挙対策かと思ったが、記事を読む限り、機動隊「投入」に対抗し、現場での実力行使を増強する目論見らしい。
「鬼の機動隊」に対して、ジジ・ババ活動家を増員して勝てるつもりなのか。
そうそう、島袋文子オバーに登場願って、「鬼の機動隊に立ち向かう島袋オバー」の構図が撮影できれば大成功だし、機動隊とのもみ合いを誘発し、島袋オバーの顔面が鮮血で覆われたら、沖縄2紙は狂喜乱舞のカチャーシーだろう。
事あるごとに長々と記者会見をして読者に「強権行使の国vsいじめられる沖縄」の印象操作に懸命の翁長知事だが、菅官房長官にこれまでの変節を指摘され、怒り狂っているもよう。
さすがの厚顔無恥の翁長知事でも痛い所を突かれると激怒するらしい。
記者会見で。菅氏の指摘を記者に問われ、相変わらずの「多弁だが空虚」な反論を名我演説している。
記者会見を読む前に菅氏の指摘する翁長氏の変節を皮肉った記事に目を通して頂きたい。
2015.9.4
【政治デスクノート】
これが同一人物の発言ですか? 沖縄・翁長知事の変節は、あの元首相と同じでは…
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題に関して、沖縄県議会で行われた議事録を読んでいると、次のような発言がありました。
「沖縄の基地問題の解決には、訪米要請(注・県が組織した要請団による訪米)もないよりはいいでしょうが、むしろ訪米のエネルギーを日本政府にぶつけることによって大きな進展がはかられるのではないでしょうか」
これは、最近の議事録ではありません。平成7年6月の定例議会で、発言者は自民党県議の翁長雄志氏。現在、沖縄県知事の翁長氏が、当時の大田昌秀知事に対して行った代表質問での一幕です。
翁長氏は大田氏が基地問題を訴えるためとした2度の訪米はたいした成果がなかったとして、日本政府との協議を重視すべきだったのではないかと追及していました。
さらに県議会の議事録をめくっていると、大田氏に続いて県政を担った稲嶺恵一県政時代にも、当時の翁長県議は立派な発言をしていました。
平成11年10月の県議会の定例会で、普天間飛行場の移設問題を取り上げ、「私たちがなにゆえにこの県内移設を早期にやらきゃならぬかという見地に立ったのは、県全体の立場に立っての危険性の軽減であります」と強調していたのです。
その翁長氏ですが、政府との協議を重ねる前の今年6月、約10日間の日程でハワイやワシントンを訪問し、辺野古移設反対を訴えました。
翁長氏自身や共産党県議が強調するように、「辺野古に基地を作らせない」と米側に直接訴えたことには一定の意義があるのかもしれません。しかし、米側はおおむね「(名護市辺野古への移設の)計画を白紙に戻すことはない」という反応で、一般に言う成果とはほど遠い結果に終わりました。
今月から9月上旬までの1カ月間に県と政府は集中協議を行うことにしていますが、菅義偉官房長官が訪沖した8月11、12日の初会合に続き、19日の4閣僚との会談も「距離感は詰まらない」(菅氏)ままでした。
協議は計5回程度行うことになっていますが、翁長氏はすでに、9月14日から10月2日の日程でスイス・ジュネーブで開催される国連人権委員会で演説する計画を立てているようです。
海外で訴えるよりも、かつて自身が県議会で指摘したように日本政府にエネルギーをぶつけ、大きな進展をはかるべき時ではないかと思われるのですが、自身が知事になると意識が変わってしまうものなのでしょうか。
歴代の知事に対する自身の発言や批判と矛盾しているのではないかと受け止める向きがあったとしても、知事に選ばれた以上は選挙支援してくれた勢力の意向を最大限、尊重すべきなのでしょうか。
そういえば、民主党政権で、辺野古移設について「最低でも県外」とぶち上げていたにもかかわらず、首相に就任すると二転三転し、1年もたたないうちに「学べば学ぶほど…」と辺野古移設を容認した政治家もいました。
首相を辞め、議員バッジをはずして政界を引退した彼は最近また、「辺野古に決めてしまったことを沖縄県民にお詫びする。辺野古では無理」と変心(さらに韓国で土下座も)しています。
いい意味でも悪い意味でも「立場が人を変える」とは、よくいったものだと思わずにはいられません。
(政治部次長 佐々木美恵)
さて、おまちかね。 翁長知事の長演説の中から菅氏の指摘に関連する部分を抜粋・紹介する。
辺野古埋め立てで係争委に審査申し出 翁長沖縄知事の記者会見全文
(略)
知事 菅官房長官が国を代表して、そういう質問をすること自体が、大変ご自分の今日までの流れも考えてほしい。政府が何をどういう風にしたのかを。稲嶺知事が15年という期限を設けて軍民共用を許可したこと。あるいは岸本市長が使用協定を。こういったことも一緒に議論させてほしい。
期限について稲嶺さんの考えを大変重要視したからこそ、橋本内閣で閣議決定した。そして小泉内閣の時にこの閣議決定を取り消した。こういう国のあり方に反省もなく、このように、ころころころころと変わりながら、沖縄の基地のあり方をやっていく。
今日に至るも、ある意味で月替わりで話が少し違うのではないかと思っている。そして私の1999年という時代は、いま申し上げた15年問題とか(軍民)共同使用とか、そういった問題を議論する中での話である。なおかつ、いわゆる冷戦構造時代、あるいは55年体制、特に細川連立内閣ができ、日本の55年体制が終わったという大きな意味合いもある。そして自由民主党が液状化して、今の政党の幹部に元の自由民主党の方がたくさんおられる。戻ってきた人もいる。名前を挙げたらきりがないくらい液状化をして、それぞれの時代背景を元にして政治をやり始めたと言うことだ。
そして私は稲嶺さんの時の県連の役員でもあったから、そういったものについては辺野古の移設ということについての話はさせてもらった。しかしそれは数年後には反故(ほご)にされて、そしていわゆる時代背景の中で沖縄に対していろんなことが起きた。
私はこんなに長く話して良いのかと思うが、小さいころから沖縄は保守と革新に分かれていると、沖縄問題の解決はできないということで、今日までの発言録はこういうのがたくさん残っている。だから保革を乗り越えてイデオロギーを乗り越えて県民の心を一つにして0・6%に74%というようなものは、ぜひともなくしてもらいたいと。この運動をやりたいと思っていた。しかし政治家としては熟度という部分がある。
私からすると政治はずっと小さいころから見てきているので、どの時点でどういう判断をしたら、これが効果的に表れるのかと言うことは政治家として当然課せられた使命だ。いたずらにどうこうというわけではない。しっかりとベースを守りながら、一つ一つ、今あるオール沖縄、イデオロギーよりアイデンティティ。特に那覇市長になってからは自民党から離れたので、ある意味でフリーで政治を考えられる素地ができた。県議会議員のときには組織の役員なので那覇市長になって、私は大きくスタンスを広げていったわけだ。
個別に話をするとたくさんある。一番最初に言うとゴルバチョフさんを呼び寄せたり、あるいは私の市長公室長に組合の委員長から採用をして、保守も革新もないんだということを人事の面でも表した。だから私のものは、そういったことを一つ一つつなぎあわせていくと、しっかり、今のような考え方に行き着くようなものを持っているわけで、菅さんの様に沖縄の歴史に何ら興味がないという話をされる中で、日本の安全保障を支えている沖縄県の問題に対して、いろいろ画策をしていることについては、私からするとたいへん残念無念な思いだし、もしそういった議論を官房長官が私とやりたいと言うことであれば、私はしっかりと1対1で話をさせていただきたいと思うくらいだ。
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