カンボジアのシハヌーク元国王が亡くなった。
場所は中国、北京である。長らく療養中だったそうだが、療養先が北京
というところが、結局、最後まで中国にべったりだったということを象徴
している。もっとも今のカンボジアもそうだが…。
冷戦時代、まさにベトナム戦争只中のころ、クーデターで国を追われ北京
に亡命政権を作った。そこで毛沢東や北朝鮮の金成日に説得され本来、嫌
っていたポルポトと手を結ぶことになる。それがポルポトがカンボジア全土
を掌握するきっかけになったことはカンボジアの人々にとってもシハヌーク
本人にとっても皮肉なことであった。
結局、彼の目指した王制社会主義は叶わなかったが、ポルポト時代、プノン
ペンに軟禁状態中に殺されてもおかしくなかったことを思えば、生きながらえ
その後、国の王として返り咲いただけでもラッキー過ぎるくらいラッキーだっ
たと言える。
カンボジアの人々からの評価はどうなのだろう?
確かに国父といえば国父だが、何度も前言を撤回し、その時の気分で立ち振舞う
姿は、身勝手でわがままな王様にしか見えなかったかもしれない。
しかしそれでも人々は彼を尊敬し敬う。
やっぱり血統なんだなと思う。彼は18歳で国の王になり、その後、退位したり
紆余曲折があったが、結局、王位に帰り咲き、最後までカンボジアの王族とし
て生きたのである。そして、たまたま彼が生き抜いた時代に冷戦がありベトナム
戦争があり、またポルポトが恐怖政治を行った激動の時代だったことが、より彼
の名声を高めたのだと思われる。
1994年の終わりころ、初めてカンボジアを訪れた時にシュムリアップで彼を見た
ことがある。リムジンから沿道に向かって手を振りながら走り去っていく僅かな
間だったが、白髪頭の丸顔の品の良いおじさんという印象が残っている。
そして、今もその時写した写真が手元にある。
何はともあれ、また一人、歴史の名を残す人物が亡くなったのは、ちょっと残念な
気がしている。
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場所は中国、北京である。長らく療養中だったそうだが、療養先が北京
というところが、結局、最後まで中国にべったりだったということを象徴
している。もっとも今のカンボジアもそうだが…。
冷戦時代、まさにベトナム戦争只中のころ、クーデターで国を追われ北京
に亡命政権を作った。そこで毛沢東や北朝鮮の金成日に説得され本来、嫌
っていたポルポトと手を結ぶことになる。それがポルポトがカンボジア全土
を掌握するきっかけになったことはカンボジアの人々にとってもシハヌーク
本人にとっても皮肉なことであった。
結局、彼の目指した王制社会主義は叶わなかったが、ポルポト時代、プノン
ペンに軟禁状態中に殺されてもおかしくなかったことを思えば、生きながらえ
その後、国の王として返り咲いただけでもラッキー過ぎるくらいラッキーだっ
たと言える。
カンボジアの人々からの評価はどうなのだろう?
確かに国父といえば国父だが、何度も前言を撤回し、その時の気分で立ち振舞う
姿は、身勝手でわがままな王様にしか見えなかったかもしれない。
しかしそれでも人々は彼を尊敬し敬う。
やっぱり血統なんだなと思う。彼は18歳で国の王になり、その後、退位したり
紆余曲折があったが、結局、王位に帰り咲き、最後までカンボジアの王族とし
て生きたのである。そして、たまたま彼が生き抜いた時代に冷戦がありベトナム
戦争があり、またポルポトが恐怖政治を行った激動の時代だったことが、より彼
の名声を高めたのだと思われる。
1994年の終わりころ、初めてカンボジアを訪れた時にシュムリアップで彼を見た
ことがある。リムジンから沿道に向かって手を振りながら走り去っていく僅かな
間だったが、白髪頭の丸顔の品の良いおじさんという印象が残っている。
そして、今もその時写した写真が手元にある。
何はともあれ、また一人、歴史の名を残す人物が亡くなったのは、ちょっと残念な
気がしている。
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