今年も残すところひと月ちょっと。そろそろ年末も見えてきたので棚卸し。
さすがに終日やっていると飽きてくる。終わりが見えてきた頃、懐かしいのもが詰まった段ボールが出てきた。商品ではなく私物だ。フィルム写真のネガに古い手紙、未使用のジッポにランボー型大型ナイフなど、若いころのモノばかりが詰まっている。その箱に小さな袋に入った、昔使っていたアドレス帳がたくさん出てきた。随分前にこの袋に入れた覚えはあるけれど中身を見ることなどなかったものだ。
一番古いのが高校生のころもので、後は旅を始めてから旅先で出会った人と住所交換したアドレス帳が何冊も出てきた。今ならLINEの交換になるんだろうけれど、当時は気の合った人と住所交換することが多かった。しかも多くの人がひと言コメントを添えていて、それがあまりにも懐かしく一気に30年以上前に脳内トリップして棚卸中断となってしまった。人並み以上に人見知りの私がこれほどまでにたくさんの人とアドレス交換していたことに、自分のことながら驚きだが、大半の人がすでに記憶の彼方にあり、30年近い年月の長さを実感する。
特に旅を始めたばかりのころ、まだ旅先で出会った一風変わった旅の達人のような人を勝手に美化してしまっていた頃に、積極的に住所交換をしていた当時を思い出す。「この人は何でも知っていて、きっと凄い人なんだ!」と、勝手に思い込んでいた。今思えば、なんて幼く世間知らずなんだと恥ずかしいばかりだが、ネットもない時代で外国の情報なんてガイドブックなどの限られた媒体でしか知る術がなかったし、何年も日本に帰らず時には10年単位で放浪する人たちの存在など、それまで全く知らなかった私には、旅先での出会いが驚きと感動の日々だった。
その後、そういう人たちと日本で何度となく会うことで、それは幻想であることに気づかされる。あれほど輝いていた彼らが、日本ではただの薄汚い無職のおっさんだったという現実を目の当たりしたからである。インドや当時のタイでは薄汚くヨレヨレの格好をしていてもそれなりに様になってはいたが、彼らは日本でもその格好で渋谷や新宿の待ち合わせ場所にやってきた。10代20代の若者ならエスニックファッションと言えるが、30代から40代にもなると清潔感のない危ない人にも映る。居酒屋で「警察に職質されたとかバイト先で20代の若造にこき使われている…」など、近況の話題もリアルに痛々しいものばかりで、なんだかがっかりした。それ以後は、こういう危ないタイプとは急速に住所交換を控えるようになっていった。
それでも、ちょっと会ってみたい人も中にはいる。当時を想像すると、慣れの果てが怖いので遠くから見てみたいだけの人もいる。メキシコで会った11か国語を話せる超イケメンの25歳、アムステルダムで会った関西のヤクザの組長の息子さん、グァテマラで出会った元銀座のママさん、皆、元気だろうか?南米で会った70代後半のおじいちゃんバックパッカーなんかは、もう鬼籍に入られたかな…?
全てが懐かしく、あの頃に戻って、また旅に出たくなった。
さすがに終日やっていると飽きてくる。終わりが見えてきた頃、懐かしいのもが詰まった段ボールが出てきた。商品ではなく私物だ。フィルム写真のネガに古い手紙、未使用のジッポにランボー型大型ナイフなど、若いころのモノばかりが詰まっている。その箱に小さな袋に入った、昔使っていたアドレス帳がたくさん出てきた。随分前にこの袋に入れた覚えはあるけれど中身を見ることなどなかったものだ。
一番古いのが高校生のころもので、後は旅を始めてから旅先で出会った人と住所交換したアドレス帳が何冊も出てきた。今ならLINEの交換になるんだろうけれど、当時は気の合った人と住所交換することが多かった。しかも多くの人がひと言コメントを添えていて、それがあまりにも懐かしく一気に30年以上前に脳内トリップして棚卸中断となってしまった。人並み以上に人見知りの私がこれほどまでにたくさんの人とアドレス交換していたことに、自分のことながら驚きだが、大半の人がすでに記憶の彼方にあり、30年近い年月の長さを実感する。
特に旅を始めたばかりのころ、まだ旅先で出会った一風変わった旅の達人のような人を勝手に美化してしまっていた頃に、積極的に住所交換をしていた当時を思い出す。「この人は何でも知っていて、きっと凄い人なんだ!」と、勝手に思い込んでいた。今思えば、なんて幼く世間知らずなんだと恥ずかしいばかりだが、ネットもない時代で外国の情報なんてガイドブックなどの限られた媒体でしか知る術がなかったし、何年も日本に帰らず時には10年単位で放浪する人たちの存在など、それまで全く知らなかった私には、旅先での出会いが驚きと感動の日々だった。
その後、そういう人たちと日本で何度となく会うことで、それは幻想であることに気づかされる。あれほど輝いていた彼らが、日本ではただの薄汚い無職のおっさんだったという現実を目の当たりしたからである。インドや当時のタイでは薄汚くヨレヨレの格好をしていてもそれなりに様になってはいたが、彼らは日本でもその格好で渋谷や新宿の待ち合わせ場所にやってきた。10代20代の若者ならエスニックファッションと言えるが、30代から40代にもなると清潔感のない危ない人にも映る。居酒屋で「警察に職質されたとかバイト先で20代の若造にこき使われている…」など、近況の話題もリアルに痛々しいものばかりで、なんだかがっかりした。それ以後は、こういう危ないタイプとは急速に住所交換を控えるようになっていった。
それでも、ちょっと会ってみたい人も中にはいる。当時を想像すると、慣れの果てが怖いので遠くから見てみたいだけの人もいる。メキシコで会った11か国語を話せる超イケメンの25歳、アムステルダムで会った関西のヤクザの組長の息子さん、グァテマラで出会った元銀座のママさん、皆、元気だろうか?南米で会った70代後半のおじいちゃんバックパッカーなんかは、もう鬼籍に入られたかな…?
全てが懐かしく、あの頃に戻って、また旅に出たくなった。