ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

ありがとう高谷池ヒュッテ、そしてサヨウナラ高谷池ヒュッテ

2022-03-25 09:21:50 | 
中学校の時に生まれ育った東京の奥多摩、奥秩父の山々に登りはじめて半世紀。
当時、コンビニなどは無く、カップラーメンも出たばかり。朝早く起きて前日のご飯と缶詰持って青梅線の始発電車に。
親にコッフェル買って貰って袋ラーメンの素ラーメンを食べたときの感激。
社会人になってはまだ、日本全体が余裕があって10日くらい休暇貰って山登り。北アルプス、中央アルプス、南アルプスと。そして1週間誰にも合わず避難小屋縦走をした東北の山々。東北の山の避難小屋でラジオを聞いていたら、2カ月後に出張予定のソ連でゴルバチョフが失脚してエリツィンが大統領に、なんて言うことも。
たまたま会社に山岳カメラマンの先輩がいて色々と写真を教えた貰って、カメラと交換レンズ、三脚をしょって写真撮影をしたり。若かったのでテントと合わせて30Kgの荷物を。
北アルプスでは色々な山小屋にお世話になりオーナーの人達と貴重なお話し、たまには山岳警備隊の方達と夜に楽しくもあり厳しいお話し、時には夜間訓練に立ち会ったりも。

その中でも、とある北アルプスの山小屋には10年近く毎年、長期休暇をとって居候も。後に、オーナからは管理人のお誘いもありましたが。

そんな思い出の中で1986年に初めてであった妙高高谷池ヒュッテ。
雰囲気は独特、いい加減な知ったかぶりは寄せ付けない、そんな第一印象。でも、通いつめるとその独特な雰囲気に。
通い始めて35年。
その間には管理人の方は4人、そしてスタッフの方は多数
”生身の人“ですからそれなり色々な人達。そして狭い小屋の中ですから色々と複雑な人間関係も。
とはいっても、地元妙高、頚城を愛する、大事にする気持ちには差が無かったと。

















長年通っている中で、地元の人達、高谷池ヒュッテを愛する人達で登山道の整備も
地元の人達はもちろん、全国からボランティアで







そして、さらに、縁もゆかりも無いこの地で色々な人達にお世話になり、また、この美しい自然への恩返しの意味も含めて環境省妙高国立公園のパークボランティアとして登山道整備、笹ヶ峰の整備に10年参加してお手伝い











もちろん、ヒュッテの小屋開けのボランティアにも。

色んな人達がいて、色んな人間関係があって、でも、火打山、高谷池の美しい自然の前ではフキ飛んでしまう、地元愛

色々な山域、山小屋にお邪魔、居候して判ったのは、美しい自然はもちろんですが、ひょっとしたら山小屋の管理人を含むスタッフのチームワークがその山小屋を素晴らしいものにして、リピーターを増やしているのでは?と。しかも、上っ面ではなく、その山小屋周辺の厳しい厳冬期も含めた厳しさをしっているスタッフ。厳しさをしっているが故の様々な楽しみをお客さんに伝えられると

よく、雑誌、SNS等で評判良いとされている山小屋も、出ることを前提にしているのでは、と思うものが多いですね。一般客としてみると違って見えます。これか現代的なネット社会、あたかも“普通の人の目で見た風の宣伝”

そんな思い出の詰まった高谷池ヒュッテですが、この数年、大きく様変わり。地元に縁もゆかりも無い、この山小屋に通い詰めたことのない関係者がこの山小屋のスタッフ、雰囲気を壊しています。
この山小屋は妙高市営、なのに、余所の地域のお土産、そして本来ならば地元の経済活性化に繫がらなければならないのに逆行しています。しかもこの山域の厳冬期の厳しさを知らない。

地元妙高市、頚城地区の経済、そして若手の人材育成の場として活用化されるべきと。ここには全国でも数少ないアウトドア専門の学校があり、将来の自然保護の担い手となる若者たちがいます。それを有効に活用できていない。

山小屋のあり方、民間の山小屋でも利益中心の中でもその意義は皆さん考えていらっしゃいます。
ましては公営の山小屋ならばその意義はもっと重視されるべきと。
北アルプス他の山小屋でやはり、と思うのはオーナーが山小屋は”地元の繋がり““若手の人材育成”
ということを異口同音に。

自分も現役時代は数万人の社員のいわゆる大会社にいました。数万人とはいえ、小さなグループの集合体。その関係会社の小さなグループの長を経験して、そのグループをうまく運営してこそ大きなど組織が回るという経験を。山小屋は規模は大きく違いますが、”人“が上手く回すことが必要という意味では同じと。

SNSのフォロワー数の多い少ない、ということを重視されているのかもしれませんが、フォロワー数を問題にしている段階でもうすでに時代遅れ。

そんな気持ちでいた中で、ついに、この地域を熟知した人達が辞めると。
残った人達は厳冬期も含めてこの地域の経験の無い人達と。

こんな事態になったことは、この地元の自然を愛している行政のトップはご存じなのだろうか?

とはいえ、地元に住んでいるわけではなく、あるこれ言っても仕方ないと。

かれこれ35年、そして150回くらい通った山小屋、高谷池ヒュッテからの卒業のよい機会と。

若いときからこの山小屋を通して、或いはこの地域の様々な人達に色々と怒られ、育てられてきた、そんな思い出が詰まった高谷池ヒュッテ。

楽しい、素晴らしい思い出だけを大事にして。












ありがとうございました、高谷池ヒュッテ。









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