ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

メテレ スキー!

2022-02-27 19:31:43 | スキー
今シーズンのスキーシーズン、週末になると大雪、大荒れの天気。今週末、ようやく天気に恵まれそう!
姨捨SAからは夜明けで朝の陽光が差し込み始めています
遠く、戸隠山、妙高山、黒姫山がモルゲンロートに紅く輝いています。
青空に妙高山も


早めにゲレンデに着いて。
駐車場の車の台数の割には空いています。
朝一番、皆さんが山の上へ行へ来ますが、この日は我が家は人のいない観光ホテル下のゲレンデで思い切り大きなテレマークターン。ここは観光ホテルが元々ホテルオークラであったことからオオクラスロープと言われていました。
お昼は新赤倉で一番美味しい(あくまでも個人の感想ですが)ぽん太郎さんのランチ
除雪の山の高さからこの冬の大雪が。でも、ぽん太郎のぽんさんの芸術的な除雪できちっと。


酢豚ならぬ酢鳥
美味しい味付けでご飯が進みます!
カレーも独特なとても美味しいカレー。嫁さんがカレー。
美味しくいただきました。
ぽんさん、ご馳走さまでした。
天気がよく、しかも大雪なので、上越高田にある金谷山へ
シングルリフト1本だけ

高田の町を下にみて遠くには日本海と米山。米山はあっという間に雲の中に


ここは地元人達がソリ遊び。家族連れが沢山。地元の人達は始めてゲレンデに立つのはこの金谷山スキー場と言われています。
なんと、高谷池ヒュッテで働いていたMさんともばったりと。小さな子供さんと奥さん、そして、テレマークをはじめたばかりの友人と。久しぶりの出会いで色々と楽しくよもやま話。
この金谷山、日本のスキーの世界では”聖地“と。
1911年1月、オーストリアから招聘された テオドール・エドレル・フォン・レルヒ少佐。台頭する帝政ロシアの南下政策、1902年の八甲田山での陸軍の大量遭難事故などから冬のスキーの軍事目的に呼ばれたのがレルヒ少佐。
そして初めてスキーの軍事教練をおこなったのがこの金谷山。そこでレルヒ少佐が最初に発せられた命令、それが
“メテレ・スキー”
”スキーを装着せよ!“
そして
“オテレ・スキー!”
”スキーを外せ!“
これを記念してレルヒ少佐の像が作られています。スキー場を背にしています。実際にレルヒ少佐が軍事教練をして滑ったのが、銅像の向き、つまり高田の町へ向かって滑りました。
日本の近代スキーの歴史の発祥の地。
レルヒ少佐は後に北海道へいき、ニセコで有名な倶知安の町のスキー場でも教練。
その時には少佐から中佐に昇進

去年の夏に倶知安で撮ったレルヒ中佐像
高田の少佐の時よりも少しふっくらと中年太り?
この高田ので教練をうけた人達が長野県飯山で国産スキー板を。仏壇の町、木工技術があった飯山
天気が良いと青空のもと美しい雪国の街並みと
山々とが素敵です。そして青い日本海も。
地元の中学生か高校生の女の子たちが数人で銅像の前で高田の町を見ながら楽しそうに雪遊びしていました。
夜は知人と赤倉のお店へ
市営バスで赤倉温泉へ。宿の近くのバス停も雪の除雪の壁の中に
バス停の看板も大雪に押されて曲がってしまっています。
夜は楽しく、そして規制中なので8:00で。
翌朝は下り坂の天気予報
妙高山も雲の中
ちょうど斑尾山からの日の出を雪面に
天気悪そうなので18号、19号と南下。ときおり抜け道を通って
そして木曽、上松のお蕎麦屋さんへ
“越前屋”さん。日本で二番目に古いお蕎麦屋さんだそうです。


冬の時期には木曽地方の郷土料理、”すんき“を使った“すんき蕎麦”
”すんき“とは発酵させた漬物。木曽地方の冬の保存料理。酸味が独特。お蕎麦のつゆに絶妙に
蕎麦湯をいれると、柔らかい味わいになって酸味がまろやかになります
昨年の2/28日にもこのお店ですんき蕎麦。その時にはおみせの目の前には“福寿草”が。でも今年はまだ、その欠片もありません

去年の同じ頃の福寿草
お店の方と話しをしたら今年は大雪で何度も除雪した、もう疲れましたよ!と
今年は本当に雪が多いです。
そろそろ春の足音が聞こえてきても良さそうですが。
間もなく春の木曾路を名古屋へ。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2月に観た映画 | トップ | 本来の名前が消えてしまった... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿