坂井三郎と神風特攻隊
アメリカの戦闘機グラマンと毎日のように空中戦で凌ぎを削り、ゼロ戦の撃墜王と呼ばれた坂井三郎は神風特攻隊について、戦後、次のように語った。
「戦闘機乗りを志願した時から死ぬ覚悟はできていた。敵機と空中戦をやり敵を葬る、しかし我が身に武運がなければ死ぬ、それは本望だった、何の悔いもない。だが、特攻は違う。200キロ爆弾を抱え、片道燃料しか積まず、敵艦に突っ込むのは違う。
そんなものの為に戦闘機乗りになったのでは断じてない」
ある時、坂井三郎は南太平洋上において、群がるグラマン戦闘機と激しい空中戦を行い、敵の機銃が風防を砕き、その破片を浴び顔面血だらけ、右目失明の重傷を負った。
やがて戦いが終わり、部下のゼロ戦1機を従え、夕闇の洋上をひたすら飛び、遠い母なるラバウル基地に戻って来たというエピソードを持つ。
坂井、「当時のゼロ戦にはレーダーとかGPSなどなく、夜になれば手動の方位測定器も使えず、ただ自分の勘を信じて暗い海の上を飛ぶという燃料との勝負だった。自分の勘がはずれれば自分を信じてついて来る部下のゼロ戦と一緒に海に突っ込むしかなかった」
燃料も尽きかけようとしたその時、ラバウルの島が薄く滲んだように視界に入って来た、私はその時、神を信じた。愛機が最後の力を振り絞り、フラフラと基地に着陸したとき、駆け付けた整備兵は血で真っ赤に染まった私の顔を見て泣いていた、そして列機から降りて来た部下はヘナヘナと地面に座り込んだ。
整備兵「諦めていた、出撃した全機帰還せず、昼に飛び立った若い戦闘機乗りが帰って来ない。辺りは夕闇に包まれていた。淡い希望を持って零戦が飛び立った方向を見つめていると、かすかにエンジン音がした。我が耳を疑った。すると轟音は次第に大きくなり、ゼロ戦2機が視界に入って来た。しかし着陸したゼロ戦から人が降りて来なかった。まさか幽霊なのか、急いで翼に上がり風防を開けると、顔が血で真っ赤に染まった坂井小隊長が宙を凝視していた」
その後、坂井三郎は右目失明のためラバウルを離れ本土へ帰還、戦後に生きて知覧航空隊、台南航空隊、ラバウル航空隊のゼロ戦激闘史を記し、戦争体験を後世に残した。
花となれ風となれ、わが魂魄、蛍となりて帰り来たらん
靖国の桜、たらちねの里、明日の我が身はどこにあるらん
(じゅうめい)