★アヘン戦争と習キンペイ中国の解釈。
アヘン戦争で英国に敗れた清(中国)は南京条約の締結を迫られ、香港を英国に割譲し、広州や上海など5つの港を開港することになった。
これは中国にとって屈辱的な歴史であるが、日本でアヘン戦争が起きなかったのはなぜか、最近、中国メディアはその理由について分析する記事を書いた。
日本でアヘン戦争が起きなかったのは、「日本には市場としての魅力がなかったからだ」と述べ、当時の日本は貧困で、西欧列強の興味を引くような存在ではなかったと解説した。
そして結論として中国メディアは、日本がどれだけ貧しかったかを強調することで、当時の中国は外国に狙われるほど豊かだったと説明した。
さて、共産主義国家の歴史と言うのは、このように改ざんされ、歪められていくという典型ですね。
中国が英国にアヘン戦争を仕掛けられたのは、中国が豊かだったからではなく、中国官吏の腐敗汚職によって英国のインド製アヘンが中国国内に流通し蔓延するようになったこと。
また、中国人の大半はなどの下層民であった為、市民意識などなく、規律や秩序とは縁遠く、アヘンという麻薬の退廃に溺れて行ったということ。
さて日本、
アヘン戦争は1840年に勃発した英国と中国の戦争だが、当時の日本は11代将軍・徳川家斉の江戸時代であり、江戸は既に貨幣経済を基礎とした経済都市であった。
また江戸は世界史的に見ても都市として整備され、江戸的市民社会の爛熟期でもあった。
で、なぜ日本は英国とアヘン戦争のような事態を防ぐことができたのか。
英国は徳川幕藩体制の秩序、忠誠心と武士階級の士気と軍事力に一目置かざるを得なかったことがまず挙げられる。
そして各藩の官吏は汚職に手を汚さなかったことで、アヘンの密輸に失敗した。
また日本人の正義感や規律秩序意識に中国人には見られない国民性を認めたことで、英国は日本との摩擦や戦争を回避したということです。
日本と戦争をすれば英国も多大な人的損害を被るに違いないと。
(余談、幕末の尊王攘夷の機運の中、薩摩藩と英国は戦争をした。結果、薩摩の市中は英国艦隊の艦砲射撃によって破壊され、薩摩は降伏)
要するに、国を守る要諦は国民の規律と秩序、そして軍事力ということです。
★日米安保、米国の考え方。
アメリカ国防総省のカービー報道官は、「尖閣諸島の『主権』に関する日本の主張を支持する」とした23日の発言について、「混乱を招いたことを謝罪して訂正する」と述べ、次のように発言した。
「米国は尖閣諸島について、日本の施政権(管理権)を認めているが、主権は日本に属するとは認定していないし、日本の領土領海であるとも認定していない」
要は自分の領土領海であると主張するなら、米国に頼らず、日本独自で守れ、ということです。
自分の家は自分で守るのが当たり前であるように。
この米国政府の公式発言は日本人として心に刻んでおいた方がいい。
(じゅうめい)