7隻のイギリス軍艦が鹿児島湾に現れ、薩摩藩の蒸気船3隻を拿捕したことから、薩英戦争がはじまりました。
今の鹿児島県と大英帝国の戦闘は、訓練を重ねた薩摩藩士たちの意外な奮戦により、イギリス艦隊に旗艦の艦長・副長を戦死させるなど大きな損害を与え撤収させることに成功したのです。
しかし、薩摩城下は焼かれ、製錬所も破壊されました。
痛み分けに終わった戦争ですが、イギリス軍の強大な軍事力を目の当たりにした薩摩は、その後、外交力を駆使して、イギリスと和平を結び、逆に、大量の最新鋭の武器や軍艦を購入するまでの信頼関係を築いていくことになります。
長州藩でも尊皇攘夷のため外国船砲撃の報復として、イギリス・フランス・オランダ・アメリカ連合軍と戦争になり、敗北したものの、イギリス・薩摩と急接近することになるのです。
そして、倒幕から明治へと、日本が登っていく足掛かりができたのでした。
近代日本を作った切っ掛けが、元をただせば、生麦村で起こったイギリス人殺傷事件だったのでした。
日本が植民地にならなかったのは、西洋の武器だけではなく、軍隊の戦闘隊形などもいっしょに取り入れ、実戦で経験を積み、西洋式の軍隊を短時間で鍛え上げられたからなのだなと納得しました。
幕末~明治維新を題材とした小説は多いですが、ほとんどが英雄一人を主人公としているものがほとんどです。
その中で、この小説は異質で、主人公が存在しません。
誰かを持ち上げることがないから、客観的な視点で幕末を理解することができました。