「あぶないからね。遠くへ行かれんぞネ」パンプが、看護師さんの手を握り締めて心配顔で言ってた。看護師さんは、「ハイハイ」と笑いながら「また来るからね」と出て行った。出て行く時に「今日2回目ですよ。これ言われるの」とうれしそうに僕に言った。僕は、自分の身は,ベッドにありながらも人の心配をするパンプに母親の姿を見た。そのマザーシップに感動すら覚えた。「ただのボケではないな」と。あながち、自分だけのことにしか注意が行かない僕達の世代への警告なのか教唆なのか。考えさせられるひとことであった。笑いでは、あるけれどこんな笑いならと威張ってやりたくもあった。
わらい
金子みすず
それは きれいなばらいろで
けしつぶよりも ちいさくて
こぼれて土に落ちたとき
ぱっと 花火がはじけるように
おおきな花がひらくのよ
もしも なみだがこぼれるように
こんなわらいが こぼれたら
どんなに どんなに きれいでしょう
和顔慈眼パンプたちの世代の教育、大正後期から昭和初期の感性育成教育は、今よりずっと素晴らしかったのではと思ってしまいました。
わらい
金子みすず
それは きれいなばらいろで
けしつぶよりも ちいさくて
こぼれて土に落ちたとき
ぱっと 花火がはじけるように
おおきな花がひらくのよ
もしも なみだがこぼれるように
こんなわらいが こぼれたら
どんなに どんなに きれいでしょう
和顔慈眼パンプたちの世代の教育、大正後期から昭和初期の感性育成教育は、今よりずっと素晴らしかったのではと思ってしまいました。