虹色で7色。一番先に赤そして七番目に紫。八番目の色が見えるとしたら紅がくる。両方ともアカと呼ぶことがあるんだけど2色は全く違う色。華やかな紅、力強い赤。性質も全く違う。自然にはたくさんの色があってこの2色が寄り添うこともある。たとえばツツジ
赤や橙のツツジの花の中に紅のツツジの花が混じる。「あかいツツジの花だ」と見るから1番と8番というふうに意識せずいっしょくたにアカですましている。こんなことって結構あるよね。ワイルドワンズの加瀬邦彦が死んで俳優の萩原流行も死んだ。一方は自殺で一方は事故。死の原因は全く違うのに第三者にとっては「死んだ」でひとくくり。死の意味とか死の価値とか全然ないんだよね。プラスティックが積年疲労でボロボロとはがれ朽ちていくようにその人の人生とか生きザマとか死にザマとかも1個の色としてではなくひと括りの色として片付けられてしまうのか。そしていつしか忘れはて「ここに赤をいれようか」とか「紅を注せ」とかその日の気分で今日一日を生きているんだろうな。有名人って赤と紅の違いを意識して生きてきた人たちじゃないのかなとふと思った。というか突然無名人の代表としての僕の意識の中にその2色が鮮やかに蘇えったんだ。「もうかえらないあの夏の日」というワイルドワンズの「想い出の渚」に導かれたのだろうか。そうかこれは渚の夕陽の色だったのか。・・・・かもしれない。
赤や橙のツツジの花の中に紅のツツジの花が混じる。「あかいツツジの花だ」と見るから1番と8番というふうに意識せずいっしょくたにアカですましている。こんなことって結構あるよね。ワイルドワンズの加瀬邦彦が死んで俳優の萩原流行も死んだ。一方は自殺で一方は事故。死の原因は全く違うのに第三者にとっては「死んだ」でひとくくり。死の意味とか死の価値とか全然ないんだよね。プラスティックが積年疲労でボロボロとはがれ朽ちていくようにその人の人生とか生きザマとか死にザマとかも1個の色としてではなくひと括りの色として片付けられてしまうのか。そしていつしか忘れはて「ここに赤をいれようか」とか「紅を注せ」とかその日の気分で今日一日を生きているんだろうな。有名人って赤と紅の違いを意識して生きてきた人たちじゃないのかなとふと思った。というか突然無名人の代表としての僕の意識の中にその2色が鮮やかに蘇えったんだ。「もうかえらないあの夏の日」というワイルドワンズの「想い出の渚」に導かれたのだろうか。そうかこれは渚の夕陽の色だったのか。・・・・かもしれない。