みちしるべの伝説

音楽と希望は刑務所でも奪えない。

青空のかけら・秋麗・フェルメール・銀の雲

2005年10月13日 | 俳句・短歌
木々の間の青空のかけら見上げれば夏のきらめきさらさら落ちる
(三鷹 川村友香)

秋麗の信濃や尾根を行く二人
(小平 坂田晃一)

フェルメールの町と思えば尖塔の上なる雲の銀のかそけさ
(佐々木幸綱)

春凪の波よりまだしづかなる言葉なりしがなほ聞こえつつ
(吉川英治)

先丸きえんぴつに生(あ)るる旋律の種が五線紙の大地に弾めり
(札幌市 はづきしおり)

鉛筆を削る先から香りくる未だ書かれぬ未来の匂い
(立川市 酒井景二郎)

書いて消し消して又書く鉛筆の身を削ぎて書く友への弔事
(桑名市 伊藤石英)

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
「木々~」の歌、「青空のかけら」が、いい表現。「きらめきさらさら」も。
「秀麗」の句、山があるだけで、ポイントが高くなる(笑)。澄んだ空気の気持ちいい秋山が感じられる。
「フェルメール」の歌、デルフト眺望の絵からの作歌とか。
「春凪」の歌、文豪、吉川英治の十何歳年下の未来の妻への恋歌だそうな。
「先丸き」の歌、ピアノに向って作曲しているのでしょうか。音符を種と見るところが面白い。
「鉛筆を削る」の歌、鉛筆の匂いは、そう言えば、なかなかに良い匂いだった。
「書いて消し」の歌、この日の一席となった歌。感慨深い。「~又書く」までは序詞(じょことば)だそうな。

(10月上旬、日経の歌壇、俳壇、NHK短歌から)

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チェルニーは続くよ、どこまでも

2005年10月12日 | ピアノ
今月末、人前演奏の機会があるので、2年前に弾いたラモー「エジプト人」の復刻版演奏を企んでいる。
当時頑張って練習したおかげで、数日でかなり復活。2年前よりも、指は多少、きびきび動いてくれてるような・・・。全然定かではないけれど・・・。

2年間、チェルニー、ハノンを続けても、まぁその程度なんだなぁ・・・。

しかし、やっぱりチェルニーをやることで、ミスタッチは減るのではないかな?

もちろん、弾き難い音型を、うまく指の筋肉のバランスをとって弾けるようにするためのトレーニング(運動神経を鍛える)というのが主目的なんだろうけど、
それだけじゃなくて、
なんというか、基本的な音型、演奏パターンを、手というか脳細胞に刷り込ませるおかげで、少ない注意力で各パッセージを弾けるようにする。
そういう効果も大きいと思う。

チェルニーで訓練する前は、ドレミファソラシドを弾くのに、10のパワーを使っていたのが、チェルニーで散々、鍛えることで、5のパワーで弾けるようになる。
残りの5は、他のこと(=ミスタッチ防止や曲想etc)に、使えるという寸法だ。

そんなことを練習中、思いつつ、果てしなく続くよチェルニーは・・・。

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初秋

2005年10月10日 | 絵・写真・美術館
メナード美術館、コレクション名作選3日本美術へ。
上村松園(うえむらしょうえん)の「初秋」に誘われて。
やっぱり、いい絵。ちらっと萩を見遣るしなやかな風情がいい。
この絵の他、葛飾応為(かつしかおうい)(葛飾北斎の娘)「夜桜美人図」、横山大観「霊峰十趣・夜」、小茂田青樹「春望」なども、好きな絵。
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ブラームス+アイリッシュ=

2005年10月10日 | 音楽
たまたまFMで流れてるスタンフォードという人のシンフォニー「アイルランド」、本当にブラームスのシンフォニーに似てる。
ケルト好きな自分としては、ブラームス+素朴なアイリッシュメロディーで、これ、いいかも。

そういえば、いつだったか、フンメルのピアノ協奏曲がショパンのピアノ協奏曲に近くて、へぇ~と思ったのだ。(フンメルの方が先輩だから、ショパンがフンメルを模倣したということか)

今聞かれるクラシック音楽は、当時の代表的なものばかりで、その周辺の作曲家の知られていない作品は、いろいろありそう・・・。
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夕空

2005年10月09日 | 雑記
ただただ、空がきれいだった。
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英語も

2005年10月08日 | 雑記
この3年ほど、趣味のピアノは、1日30分でもマイペースで続ければ、それなりに楽しめることが、わかってきたので、次なるターゲットは英語だなぁと思ってる。

最近、見つけたサイトがVOA(Voice of America)のSpecial Englishというサイト。

アメリカ政府が、英語が不自由な人の学習のために、運営しているそうだ。毎日、旬の話題が難しくない英文で提供されていて、ゆっくりめのヒアリングの音声ファイル(MP3)も用意されている。
このサイトがいいのは、
・英文の内容が面白いこと。へぇ~、そうなんだ~!と知的好奇心をくすぐるような内容であること。
・学習者向けに大部分は基本的な単語で書かれてること。
なので、これなら、続けられそうだ。
最近の、面白かった内容は、暗号の話(ミッドウェー会戦でアメリカ軍がどうやって、日本の暗号を解読したのか?キルトには黒人奴隷の暗号が綴られている!)、ハリケーンの話など。
この基本英語+ゆっくりの発音でも、聞き取れるのは、何分の1ぐらいで、まだまだこれからだけど、このSpecial Englishが聴き取れないことには、ネイティブの英語のヒアリングは覚束ない。
将来は洋画が字幕無しで楽しめるぐらいにはなりたい。
このサイトが発見できたのは、運がいい。楽しみが一つ増えた。

VOA Special Englishについては、このあたりのサイトが詳しいです。
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俳句事情2005初秋

2005年10月07日 | 俳句・短歌
このところ俳句が面白いのだ。
1年前は、ほとんど関心はなかったのだけど、急に世界が開けたように、良さが感じられるようになってきた。
好きになるきっかけはの1つは、愛聴してやまないアーティスト遊佐未森さんが、実は俳句を詠まれるということ。もう1つは、たまたま見たテレビの俳句番組で、好きな杉浦圭子アナウンサーが司会をされているのを発見して、欠かさず見るようになったことだろうか。(まぁ、ありがちな話ですね・・・。)

昼休みは、このあたりのサイトを読みながら、これはいい!とか、よく分からんなぁ、などと、もぞもぞ思いつつ、好きな俳人も、ちらほら見つかりつつあるのです。

家々や菜の花いろの燈をともし
(木下夕爾(ゆうじ))

何という、やわらかさ、あたたかさだろう。特に「菜の花いろ」がいい。難しい言葉で飾ることなく平易。ほんわりと温かくなってくる素敵な情景。今、夕爾の句集を紐解いているのだけど、ほのぼのとした自然の情景を詠んだ句が多いですね。

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
(久保田万太郎)

久保田万太郎は木下夕爾の師匠とのこと。この句もかなり有名なんだろうけど、やわらかさ、あたたかさ、透明感、一抹の寂しさ、希望が、ないまぜになっていていて、いいなぁと思う。まだ湯豆腐の季節までは、少し時期があるけれど、こうして美味しい湯豆腐を頂きたいものですね。

俳句が好きになって、日が浅いので、しばらくは、有名な句が多くなりそうだけど、とうぞ、お付き合い下さい。

その他の俳句のお薦めサイト
至遊さんの句あれば楽あり(よくまとまっています)
現代俳句データベース(俳人ごと、季語ごとに検索できて、便利で面白い)
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ランチの楽しみ

2005年10月05日 | 雑記
昼休み、いつもの定食屋にて、店員さんの様子をなんとなく眺めるのが、実は好きなのだ。
いい感じなのだ。その立ち回り、きびきびしている様子が。

行き着けのそのお店は、うまい、安い、はやい、のランチの基本の3拍子が揃い、食べ応えもある。魚が中心でヘルシー。愛想もいい。当然、人気があって、入れ替わり、立ち代り、おじさんたちが詰め掛ける。傍目に見ても、なかなかの忙しさ。

なのに、その店員さんの無駄の無い、てきぱきとした身のこなしからは、不思議と忙しい感じが漂わない。並みの店員さんだと、あたふたして、忙しいけれど頑張ってます!といった落ち着かない様子になってしまうのだろうけど、その店員さんは、違う。慌しさがないんだなぁ。
「美しい」と表現していいものか?迷うのだけど、とにかく、よく訓練されていて気持ちがいい。
たかがランチの配膳と侮る無かれ。熟練の業のもつ美しさは、案外、身近に転がっているのかもしれない。

無駄がないことは、美しさと繋がっているなぁ。(もちろんピアノも含めて)

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XXチルドレン

2005年10月04日 | 言葉のトリビア
仕事中、「俺達ってさぁ、XXチルドレンだよな~」と隣の彼が呟く。
(注: XXには、殺生与奪の権限を持つ絶対君主のお客さんの会社名が入る。徹夜も休日出勤もお客さんの一言ですべてが決まるのだから。自分もあと2週間で、お役御免であるわけだし。)
それを小耳にはさみながら、うまいなぁと、密かに頷いていた。

もちろん、誰が言い出したか知らない「小泉チルドレン」をもじってる。こういう上手い表現が、すら~と出てくるのは、大体が関西の人で、関西人のこういう言葉のセンスには、いつも感心させられる。

今年の流行語大賞には、多分「小泉チルドレン」がランクインするのだろうけど、「XXチルドレン」は、この先、けっこう流行るかも?サラリーマンは皆、XXチルドレンであるわけだし。
何年か後の広辞苑の「チルドレン」には「圧倒的な権力を持つ者に、ひれ伏し、服従し、つき従う一群の人々のこと。半ば自虐的な意味で使う」という意味が載るかも?
改めて、言葉は生き物だなぁと思う。
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速く弾くための2つの練習

2005年10月02日 | ピアノ
青柳いづみこさんの「ピアニストから見たピアニスト」を少しずつ、読み進めてる。
リヒテルの章で、リヒテルの練習方法について、次の一文があって、なるほどと思う。

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スピードスケートの清水宏保は、500m35秒台と34秒台ではまるで感触が違う、世界が違う、と言っている。生徒にゆっくり練習するように言うと、筋肉の動きまでゆっくりしてしまう。それでは、本来のスピードの中で筋肉と対話することができない。こういうときは、いったん無理を承知で「ほんとうのテンポ」で弾いてみるといい。そのあとでゆっくり練習する。「ほんとうのテンポ」での動きをきざみつけてから、タッチのスピードは変えず、全体のテンポだけ遅くする。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
そうなのだ。今まで、上級者の方から「速く弾けるようになるためには、ゆっくり弾くのを繰り返すこと!」とアドバイスをもらうことが多くて、今一つ、しっくり来てなかったのだ。思うに、速いスピードを経験したことのある上級者は、この一文にあったように、速く弾く時の感覚が、身に備わっていて、ゆっくり弾きでも効果があるのだと思う。
でも、ほんとうに、自分が一度も経験したことのない未知の速く弾く感覚は、ゆっくり弾きだけでは、到達できないのだと思う。
一度、無理を承知で、本来のスピードで弾いてみて、どのくらいの瞬発力、敏捷性が必要になってくるのか、最初にイメージできておくことが、必要なのだと思う。その上で、ゆっくり弾きをする。

自分の先生は、ハノンやチェルニーは、とにかく速く弾くことを要求されて、いつも閉口していたのだけど、やっぱり自分の限界を少しでも引き上げる速く弾く練習は、必要だなぁ。(短距離走者が、いつもゆっくり練習していても、タイムはアップしない)
速く弾けるようになるための
 ・速く弾く練習と
 ・ゆっくり弾く練習

の意味が、ようやく理解できた気がする。
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