この時期の当地の日の出は、午前6時7分。

いよいよ、起床時は真っ暗、禅堂に着くまでの道中もまだ薄暗い。
静寂の町を歩くのは勿論一人きり、
それでも足元は軽い、先月やむなく欠席のせいで
2ヶ月ぶりである。


鐘3つは坐禅の始まり。
今日はいつもと違う、
ベートベンの「月光の曲」がかかった「この曲が終わるまでに、今までの雑念・思いなどすべて捨て去りなさい」
とのこと。
老師のお話は、「毎回申していることですが」から始まった。
「こうして座ってすることは、ただ呼吸をするだけであります」。
特別のことを行っているのではありません。
が、座っているこの時間「呼吸の出し入れだけに、心を置いてください」。
つまり、静かに座って居る姿勢は、
両手は法界定印に結び、舌を上顎に掛けて、
唇歯相つけ、目はすべからく常に開くべし。
「微息かすかに通じ、欠気一息して、ごつごつ(兀兀)として座る、之が坐禅の要術なり」
これが、道元禅師様の教えられた坐禅。
ここからが、いつもと違う、
息を吸い終わるとき、そして吐き始めるときにわずかに、「無感の時間」
ができる、
これは、「自己が生きている自分の姿で有る」との事。(少し難しい)
新しい3人の女性参加者があり、何か華やいだ。
坐後の「塩粥」の振る舞いは、今日も格別。
一日中、雨降りで、この後予定の「市民運動会」は取りやめのもよう。
師の座蒲(ざぶと読みます)="http://pub.ne.jp/tarpin2005/image/user/1382263507.jpg" width="400" height="338" />


いよいよ、起床時は真っ暗、禅堂に着くまでの道中もまだ薄暗い。
静寂の町を歩くのは勿論一人きり、
それでも足元は軽い、先月やむなく欠席のせいで
2ヶ月ぶりである。


鐘3つは坐禅の始まり。
今日はいつもと違う、
ベートベンの「月光の曲」がかかった「この曲が終わるまでに、今までの雑念・思いなどすべて捨て去りなさい」
とのこと。
老師のお話は、「毎回申していることですが」から始まった。
「こうして座ってすることは、ただ呼吸をするだけであります」。
特別のことを行っているのではありません。
が、座っているこの時間「呼吸の出し入れだけに、心を置いてください」。
つまり、静かに座って居る姿勢は、
両手は法界定印に結び、舌を上顎に掛けて、
唇歯相つけ、目はすべからく常に開くべし。
「微息かすかに通じ、欠気一息して、ごつごつ(兀兀)として座る、之が坐禅の要術なり」
これが、道元禅師様の教えられた坐禅。
ここからが、いつもと違う、
息を吸い終わるとき、そして吐き始めるときにわずかに、「無感の時間」
ができる、
これは、「自己が生きている自分の姿で有る」との事。(少し難しい)
新しい3人の女性参加者があり、何か華やいだ。
坐後の「塩粥」の振る舞いは、今日も格別。
一日中、雨降りで、この後予定の「市民運動会」は取りやめのもよう。
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