こういう人生訓のような歌は、嫌いではない。所詮歌だとは思っても、自分の経験に当てはめて、真剣に人生を振り返ってみたりする。
この歌が言っている人生訓は、タイトル通りで、「あまり深刻に悩みすぎず、過ぎたことは適当に忘れて、その日暮らし、出たとこ勝負の人生でいいんじゃないか」ということなんだと思う。
自殺したり、鬱になったり、引きこもったりする若者も多い中、少し人生を長く生きた経験からのメッセージであり、概ね正しいと思う。私も共感する。
先人では、植木等(無責任男)、バカボンのパパ(これでいいのだ)などが体現してきたことと同じスタンスだと思う。AKB48では『くるくるぱー』『50%』で歌われている。
しかし、この歌を難解にしているのが、2番の歌詞だ。「問題なのは大事なことも忘れてしまうこと」と歌っていて、カブトムシの木の在りかとか、純粋さ、想像力などは「失いたくないもの」と位置づけている。真面目に努力し過ぎれば、それらを失なって「ただの大人」になってしまうと。
じゃあ「イイカゲン」だと、それらを失わずにすむのだろうか。
嫌なことだけは忘れて、でも大切なことは忘れずに生きていく、そんな都合のいい、器用なことができるものなのだろうか。
そしてそんな生き方を「イイカゲン」と言えるのか。
忘れたくないことも忘れてしまうのは「問題だ」と思いつつも、でもそれも仕方ないことだとあっさり諦めてしまう「イイカゲン」さを歌っている、とでも解釈するべきなのだろうか。
曲としては、結構気に入っている。
人生訓を語るにふさわしい年長の超選抜メンバー(小嶋、篠田、秋元、宮澤、松井玲奈)に互して片山が参加しているのは、単に年長者だからではなく、その歌唱力を買われてのことと思う。
ソロ歌唱のパートも多く、各メンバーの声が楽しめるが、実は情けないことに、どのパートを誰が歌っているのか、声だけで判別できない。
以下の歌唱順で合っているだろうか。
1番冒頭より、小嶋→秋元+宮澤→(サビ前)片山+松井→(サビ)全員。。
2番冒頭より、篠田→片山→篠田→松井→(サビ前)秋元+宮澤→(サビ)全員。
この歌が言っている人生訓は、タイトル通りで、「あまり深刻に悩みすぎず、過ぎたことは適当に忘れて、その日暮らし、出たとこ勝負の人生でいいんじゃないか」ということなんだと思う。
自殺したり、鬱になったり、引きこもったりする若者も多い中、少し人生を長く生きた経験からのメッセージであり、概ね正しいと思う。私も共感する。
先人では、植木等(無責任男)、バカボンのパパ(これでいいのだ)などが体現してきたことと同じスタンスだと思う。AKB48では『くるくるぱー』『50%』で歌われている。
しかし、この歌を難解にしているのが、2番の歌詞だ。「問題なのは大事なことも忘れてしまうこと」と歌っていて、カブトムシの木の在りかとか、純粋さ、想像力などは「失いたくないもの」と位置づけている。真面目に努力し過ぎれば、それらを失なって「ただの大人」になってしまうと。
じゃあ「イイカゲン」だと、それらを失わずにすむのだろうか。
嫌なことだけは忘れて、でも大切なことは忘れずに生きていく、そんな都合のいい、器用なことができるものなのだろうか。
そしてそんな生き方を「イイカゲン」と言えるのか。
忘れたくないことも忘れてしまうのは「問題だ」と思いつつも、でもそれも仕方ないことだとあっさり諦めてしまう「イイカゲン」さを歌っている、とでも解釈するべきなのだろうか。
曲としては、結構気に入っている。
人生訓を語るにふさわしい年長の超選抜メンバー(小嶋、篠田、秋元、宮澤、松井玲奈)に互して片山が参加しているのは、単に年長者だからではなく、その歌唱力を買われてのことと思う。
ソロ歌唱のパートも多く、各メンバーの声が楽しめるが、実は情けないことに、どのパートを誰が歌っているのか、声だけで判別できない。
以下の歌唱順で合っているだろうか。
1番冒頭より、小嶋→秋元+宮澤→(サビ前)片山+松井→(サビ)全員。。
2番冒頭より、篠田→片山→篠田→松井→(サビ前)秋元+宮澤→(サビ)全員。
2番は特にイイカゲン→良い加減ってことなんじゃないでしょうか?
適当はちょうどいいことみたいな感じで…
小嶋→宮澤・篠田→秋元・松井・片山
はライブ映像でわかりました