●静岡空港「もうひとつの立木問題」
払拭されない静岡県の隠蔽疑惑
●【第93回】 2010年7月15日 週刊ダイヤモンド編集部
5本のうちの1本目
「私はあらゆる支障物件を除去するように指示したので、どこかと特定して(指示して)いません」
男性が体を強張らせながら語ると、原告側弁護士は表情ひとつ変えずにズバっと切り込んだ。
「Mさんの立木は間違って切ったのではなく、(航空法の高さ)制限を超えているとわかって切ったのではないか?」
法廷内はシーンと静まり返り、誰もが耳をそばだてた。証言台に立っていた男性はやや早口で「退職した後に職員が間違って切ったと知り、謝りに行きました」と答え、立木が制限表面(高さ制限)を超えていたかについては「私は承知していません」と繰り返した。2時間以上に及んだ公判で最も緊迫した場面だった。
静岡地方裁判所で7月9日、静岡空港の未買収地への土地収用をめぐる裁判が開かれた。元地権者らが「土地収用は違法」とし、裁決の取り消しを求めている訴訟である。もっとも、静岡空港がすでに開港していることから、県民の訴訟への関心度はゼロに近い。
だが、16回目の口頭弁論となったこの日の法廷はいつになく緊迫したものとなった。傍聴席は8割方埋まり、腕章をつけた記者も数人詰め掛けた。蒸し暑さに拍車がかかった。
15年間にわたって空港建設事業に関わった県の元空港建設事務所長(2009年3月末退職)が証人として出廷したからだ。用地取得や地元対策を任された現場のトップで、損な汚れ役でもあった。そんな元所長に対し、原告側から厳しい質問と視線が浴びせられた。ある重大な疑惑が新たに浮上していたからだ。もうひとつの立木問題である。
揉め事の絶えない静岡空港で最大の不祥事が、例の立木問題だ。静岡県は航空法上の高さ制限を超える立木の除去を怠り、開港を遅らせる大失態となった。測量ミスが原因で、まさに「平成の大チョンボ」といえる。滑走路先にまるで屏風のように立った杉やヒノキが障害となり、県は滑走路を300メートル短縮して暫定開港(昨年6月4日)するはめになった。障害となったいわゆる屏風林など179本の立木は暫定開港前の5月に伐採され、その後、滑走路を本来の2500メートルに戻しての完全運用(昨年8月27日から)となった。
前代未聞のドタバタに県民の多くが驚き呆れた。なぜ、県は致命的なミスを犯してしまったのか。そしてなぜ、開港直前まで事態を放置し、打開に向けた努力を怠ったのか。県民ならずとも疑問に思ったはずだ。
元所長の法廷での証言を聞くとこうした謎が解けてくる。そして同時に、新たな疑惑も浮かんでくる。
静岡空港の建設地は、茶の一大生産地である牧之原台地である。優良茶畑をつぶす寝耳に水の話に、地元農家は反発した。空港の必要性に疑問を抱く人も少なくなく、県は用地取得に難航した。「地権者一人ひとりと誠意をもって交渉しました。家や職場などに数百回にわたって足を運びました」(元所長の法廷での証言)
最終的に4世帯が交渉に応じず、未買収地として残った。さらに、空港建設反対を主張する人たちが共有地権者となり、その数は350人にのぼった。同様に予定地内の立木所有者が1400人ほどに。空港建設を最重要課題に据えた静岡県は円満解決を口にする一方で、強制力の発動(土地収用)に向けた準備を進めていた。
土地収用は公益のために私権を制限するもので、その範囲は必要最小限でなければならない。正確な測量を行い、収用(県が強制的に所有権を取得する土地)と使用(高さ制限を超えたものを除去するために県が使用権のみ取得する土地)の範囲を確定することが大前提となる。このため、対象地に立ち入り調査を行い、綿密に実測するのが通例である。
しかし、静岡県は現地への立ち入り調査を実施せず、航空レーザー測量で収用と使用の範囲確定を行っていた。元所長はこの点を県側弁護士に問われると、「対象地が広かったこと。反対運動が強かったこと。それに、(航空レーザー測量が)最高の技術とうかがっていたので、起業地の特定を確保できると考えていた」と、答えた。
おそらく、反対派と現場でトラブルになることを“避けたかった”のが、一番の理由ではないか。県は03年5月に、土地収用の範囲を確定させる航空レーザー測量を業者に委託していた。原告側弁護士もこの点を重要視し、質問を重ねた。その過程で驚くべき事実を次々に指摘した。県は01年に航空レーザー測量の精度を検証していた。県と業者が作成した測量簿によると、「山林の樹木が繁茂しているところではレーザー光が地表面に透過する割合が減少するため、データ取得密度が低くなり、特に急傾斜地では最大で5メートルもの誤差がみられる」という。精度に問題ありとの報告で、「実測で行うのが望ましい」と結論付けられた。
この精度検証について問われた元所長は「内容については承知しておりません」と答え、「(レーザー測量は)最先端の技術で、精度の高い測量ができると聞いて行った。正しいものと信じていた」と繰り返した。
急傾斜地では実測等高線と比べて最大5メートルの誤差が生じるとされたレーザー測量を基に、収用と使用の範囲が確定され、強制収用が実施された。その結果、対象外とされたOさんの土地の立木がそのまま残された。Oさんは用地買収に応じなかった地権者のひとり。土地の高さのデータが誤っていたため、屏風林が航空法上の制限表面を超えていたにも関わらず見過ごされたのである。
問題は、こうした重大なミスを県がどの時点で認識したかである。空港建設現場はもともと山林で、山あり谷ありの急傾斜地である。盛り土や切り土を重ね、広大なエリアを整地していく作業が進められた。山を削り、谷を埋めていったのだ。工事が進捗するにつれ、屏風林の所有者Oさんはおかしさに気がついた。収用地に囲まれた一角にヒノキが林立しているからだ。一目瞭然である。Oさんは06年12月に開かれた県収用委員会の審理の場で、この事実を指摘したが、なぜか黙殺された。屏風林の周辺は県有地である。現地に行けば、目視だけで問題ありと認識できる状況になっていた。
「明確に(立木の存在を)認識したのは、平成19年(07年)9月です。(石川嘉延)知事にも私から直接、電話連絡しました」
公判で元所長はこう証言した。しかし、県は支障となる立木の存在を公にせず、沈黙を続けた。Oさんはその後も県やメディアに支障物件を指摘したが、相手にされなかった。
静岡県はなぜ、立木の存在を公表しなかったのか。考えられることは2つある。ひとつは、問題の大きさ自体を認識できず、高を括っていた。ふたつ目は、自分たちのミスが表面化しないうちにこっそり問題を処理したいと考えた。要するに、隠蔽である。知事に直接連絡したとの元所長の証言からすると、前者はありえず、後者しか考えられない。
静岡県はこの頃、屏風林周辺で地滑り対策工事を言い出した。地権者Oさんも対策は必要と考え、工事の覚書が締結された。07年7月のことだ。しかし、地滑り対策工事を急ぐ県の姿勢にOさんはある疑念を抱くようになった。県に別な狙いがあるのではという疑いだ。Oさんの緊迫した日々が続いた。
結局、静岡県は08年9月になって初めて開港に支障となる立木の存在を認めた。その会見の場で原因を問われた石川知事(当時)は「木が伸びたから」と、平然と答えた。もちろん、真っ赤なウソである。現地での測量なしで、土地の収用と使用の範囲を確定した杜撰な手続きによるものだ。
ところで、元所長は法廷で立木が残った原因を問われ、「データの入力ミスと聞いています」と答えた。航空レーザー測量で得られたデータを電子入力する際に、誤った数値を打ち込んでしまったというのである。そもそも急傾斜地で誤差が生じがちな測量手法のうえに、入力ミスが加わっていた。空港の全体面積は約500ヘクタールという広さである。航空法上の高さ制限をオーバーした物件は屏風林だけなのか。それ以外にも多数あったのではと考えるのが、ごく普通ではないか。
重大なミスをゴマカシと隠蔽でカバーしようとして、静岡県は袋小路に迷い込んでしまった。抜け出す奇策が考え出された。屏風林の除去を先送りし、滑走路を300メートル短縮して暫定開港を目ざすというものだ。当初の開港予定から3カ月ほど遅れた09年6月4日に目標が設定された。工事が急ピッチで進められた。
そして、09年2月。国土交通省による空港完成検査に臨むことになった。検査は2月9日から11日までの3日間。東京航空局の係官が現地を訪れ、立ち入り検査を実施した。3月19日に合格が発表され、関係者は一様に胸を撫で下ろした。あとは開港に向けて走るのみ。県民の関心もそちらに移っていった。ところが、空港南側の私有地でとんでもないことが起きていた。
反対地権者のひとりMさんは5月26日、空港南側法面に隣接する自分の山林に入ってみて仰天した。多数の樹木が無断で伐採されていたのである。その数、94本。あわてて県に電話をかけて問い合わせたところ、「県有林と間違って伐採してしまった」との言葉が返ってきた。また、県は伐採の理由を「管制塔からの視界を改善するため」と語った。
空港南側の私有林が「誤伐採」されたのは、2月13日だった。国土交通省による空港完成検査が終了した翌日である。当時の空港建設事務所長(証人として出廷した元所長)が前日2月12日に、このエリアの立木の伐採を部下に命じていた。伐採された立木は全体で約400本。Mさんが所有する立木はその4分の1を占める。はたして本当に誤伐採だったのか。そして、「管制塔からの視界を改善するため」というのは、本当だろうか。
冒頭で紹介した法廷でのやりとりはこうした疑問を直接、元所長に問いただしたものだ。原告側弁護士は図や写真を手に、実証的に迫った。無断伐採の判明後、Mさんら地権者は現地で実測とGPS計測を併用した測量を行っていた。また、残された切株などから伐採前の立木の高さを推計していた。それによると、無断伐採された木の中に航空法の高さ制限を超えていたと推測されるものがあり、3.37メートルや5.9メートルもオーバーしたものがあったという。こうした調査結果から、原告側は「誤伐採ではなく、支障となる物件と認識したので伐採した」と追及したのである。
これに対し、元所長はこれまでの県の主張と矛盾することをポロリと漏らしたものの、その後は「私は承知していません」を連発して明言を避けた。もうひとつの立木問題の真相は深い霧の中に隠されたままだ。
ところで、県が「管制塔から視界改善」を理由に私有林の誤伐採を断行したのは、国土交通省による完成検査が終了した翌日である。このため、誤伐採が検査に影響することはありえないので、県の主張にウソはないと考える向きもあるだろう。しかし、そう判断する前に確認しなければならない点がある。
国土交通省の完成検査は、静岡県が作成した「空港周辺物件一覧表」に基づいて現場確認を実施しているにすぎない。国土交通省が独自に測量する訳ではない。また、県が提出した物件一覧表に誤伐採の場所は記載されておらず、国土交通省の担当官は県職員に口頭で確認しただけだという。となると、国土交通省の検査終了後に急いで伐採したことに別な見方も生まれる。大慌てで隠蔽に走ったのではないかとの疑念である。いずれにせよ真相は深い霧の中に隠されてしまった感がある。
(「週刊ダイヤモンド」編集部委嘱記者 相川俊英)
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