●ノーベル平和賞、マララさんのスピーチ全文
読売 2014年10月12日 23時22分
今年のノーベル平和賞受賞決定を受け、パキスタン人のマララ・ユスフザイさん(17)が日本時間の11日、現在の自宅がある英中部バーミンガムの図書館で、英語で受賞決定スピーチを行った。全訳は次の通り。
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ノーベル平和賞の受賞者に選ばれて光栄です。この貴い賞をいただけて光栄です。初のパキスタン人、初の若い女性、初の若者としてこの賞の受賞者となれたことを誇りに思います。
インドのカイラシュ・サティアルティさんと受賞することは本当に幸せです。子供の権利のため、児童労働に反対する彼の素晴らしい活動は私の刺激となります。多くの人々が子供の権利のために働き、私は孤独ではないことを幸せに思います。彼は本当に賞にふさわしい人で、彼とともに受賞できることは名誉です。
私たち2人のノーベル賞受賞者は、1人がパキスタン、1人がインド出身です。1人がヒンズー教を信じ、もう1人はイスラム教をあつく信仰しています。これは、パキスタンとインド、異なる宗教の人々に愛のメッセージとして届きます。私たちは互いに支え合っています。
肌の色、言語、信仰する宗教は問題ではありません。互いに人間として尊重し、尊敬し合うべきです。私たちは子供の権利、女性の権利、あらゆる人権のために闘うべきです。
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でも受賞したことを知った時、学校にこのままいようと決めました。むしろ、学校の時間を最後まで過ごそうと、物理の授業、英語の授業に出席しました。いつも通りに過ごしました。先生や友達の反応はとてもうれしかったです。みんな私のことを誇りに思うと言ってくれました。私は学校、先生、友達の愛や支援に本当に感謝しています。みんなが私を勇気づけ、支援してくれます。私は本当に幸せです。ノーベル賞が試験に役立つわけではなく、それは私の努力次第なのですが、それでも、みんなに支えられていることが幸せなのです。
私はこの賞を受賞しますが、これで終わりではありません。これは私が始めた活動の終わりではなく、まさに始まりなのです。私は全ての子供たちが学校に行くのを見たいです。いまだに5700万人もの子供たちが教育を受けられず、小学校にすら通えていません。私は全ての子供たちが学校に行き、教育を受けるのを見たいのです。
なぜなら、私自身がスワート渓谷(パキスタン)にいた時に同じ境遇に苦しんでいたからです。ご存じの通り、スワートはタリバン(パキスタンの反政府武装勢力「パキスタン・タリバン運動」=TTP=)の支配下にあり、学校に行くことは誰にも許されていなかったのです。私は、自分の権利のために立ち上がりました。そして声を上げると言いました。ほかの誰か(が何かをしてくれるの)を待ったのではないのです。
私には二つの選択肢しかありませんでした。一つは、声を上げずに殺されること。もう一つは、声を上げて殺されること。
私は後者を選びました。当時はテロがあり、女性は家の外に出ることが許されず、女子教育は完全に禁止され、人々は殺されていました。当時、私は学校に戻りたかったので声を上げる必要がありました。私も教育を受けられなかった女の子の一人でした。私は学びたかった。私は学び、将来の夢をかなえたかった。
私にも普通の子供のように夢がありました。当時私は医者になりたかったのですが、いま私は政治家になりたいのです。それも、良い政治家に。
私が学校に行けないと聞いた時、私は医者になれないだろ、私はなりたいものに決してなれないだろうと思いました。私の人生は13歳か14歳で結婚するだけで、学校にも行けず、なりたいものにもなれないと。だから、声を上げようと決めたのです。
私は、私の経験を通じて、世界中の子供たちに権利のために立ち上がらなければならないと伝えたいのです。ほかのだれかを待つべきではないのです。彼らの声はより力強いのです。彼らは弱く見えるかもしれないけれど、誰も声を上げない時に声を上げれば、その声はとても大きく、誰もが耳を傾けざるを得なくなるのです。これは世界中の子供たちへの私からのメッセージです。権利のために立ち上がらなければならない。
受賞の決まったノーベル平和賞についてですが、ノーベル賞委員会は私だけに与えたのではないと思っています。
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