●これからの「政治」の話をしよう(1) 自主規制がタブー助長
東京 2015年4月3日
◆映画監督・想田和弘さん
「政治的」って、何だろうか。
ここ数年、行政が「護憲」に関する行事の後援をやめたり、路面電車が護憲メッセージ掲示を断ったりするケースが後を絶たない。この現状を問うと、映画監督の想田和弘さん(44)は「恐怖を感じます」と切り出した。
「護憲」が政治的だからという理屈が繰り返されているが、「日本は立憲主義の国。その日本で主権者が『憲法を守れ』というのは、『民主主義を守れ』と同義で、当たり前の話。政治以前の話でしょう」。その「当たり前」が急速に狭められているのが、怖いという。想田さん自身も、「お上」の壁に直面させられた一人だ。二〇一三年、川崎市議補選を追ったドキュメンタリー映画「選挙」の上映会を予定していた都内の区立図書館が、参院選前であることを理由に中止を通告してきたのだ。
「選挙前だからこそ映画を見て語りたい」と想田さんが抗議すると、図書館側はあっさり撤回。あいまいなタブー感による自主規制だったからだ。
まん延する事なかれ主義の背景に、想田さんは「公共」に対する大きな誤解があるとみる。「多くの日本人は、自治体や公共施設は政治的に無色透明である必要があり、色が付いていないことが望ましいと刷り込まれているようにみえる。でも、どんな立場だって何らかの政治的な色彩を帯びてしまうものでしょう」
現政権を支持することもしないことも、護憲も、改憲もすべて「政治的」であるはずだが、権力を持つ多数派に迎合することは見逃され、少数派の主張は政治的とみなされやすい。
「憲法を守れ」という意見がタブー視されるのは、改憲に熱心な政権の方針を行政がおもんぱかっているからにすぎないと断じる。「行政は『政治的中立性を保つ』と言いつつ、立派な『政治判断』をしている」
想田さんの考える「公共」は違う。
「どんな政治的な言説も受け入れ、等しく機会を与えることでしか、行政は政治的中立性を保てない。そういう『公共』のイメージは、無色透明ではなくて、とてもカラフル」
それぞれが臆さずにカラフルな「公共」の一部を担えばいいと強調しながら、こう続けた。
「自主規制は、ものを言いにくい雰囲気に加担することにつながる。打ち破る唯一の方法は、タブーなく語ること。政治に無関心ではいられても、だれも無関係ではいられないのだから」 (清水俊介)
<そうだ・かずひろ> 東京大卒業後、米国の美術大で映画製作を学ぶ。「選挙」(2007年)は約200カ国で放映された。栃木県足利市出身。
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地方自治は「民主主義の学校」といわれる。学校ならば差別やいじめはもっての外。一握りの誰かの意向で物事が決まる教室も最悪だ。もっとみんなで話をしよう。統一地方選に際し、各界で活躍する論客たちに自在に「政治」を語ってもらった。 |