それまでに一度も経験したことがないのに、かつて経験したことがあるような感覚は、誰しもが一度は経験したことがあるだろう。日本語では既視感、既視体験と言うが、デジャヴの言葉自体はフランス語である。19世紀の終わりごろに、そのような「誤認識」、「記憶錯誤」を研究する学者達がとりあえずの正式な呼称としてフランス語の「デジャ・ヴ(Déjà vu)」あるいは「既視(already seen)」を一般的な呼称として用いたことから来ている。
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こんな書き出しで、前に記事を書いたことがある。今年の1月早々に書いた記事だ。もし、記憶している人がいたら既視現象「デジャ・ヴ(Déjà vu)」と思ったに違いない。記事を書いた筆者さえ、記憶が飛んでしまっているのだ。だれかが記憶していたのなら、その記憶力に敬意を表したい。
さて、ATF(アメリカの連邦法執行機関、アルコール・タバコ・火器局の略)は、アルコールやタバコの管理、銃の密輸入や販売を取り締まる全米で唯一の法的機関だ。むしろ、火災や爆発事件を調査する機関として映画によく出てくる。放火や爆破事件の多発するアメリカにおいてATFの果たす役割は大きく、ATF捜査官が先端技術を駆使して事件や事故の原因を突き止める姿が多くの映画で描かれている。このATFの捜査官が、543名もの犠牲者を出した凄惨なフェリー爆破事件を捜査中に、事件の手がかりを握る美しい女性の遺体と対面する。その瞬間、捜査官はある奇妙な感覚に捕らわれる。<私は彼女を知っている>。その女性に、これまで会ったことはない。それにも関わらず、彼女の部屋にはなぜか捜査官の指紋が多数残されていた。指紋、留守電のメッセージ、そして、ボードに記されたメッセージ。「お前は彼女を救える!」
この映画は、遺体となった彼女を事故から生きて救い出すというサスペンスストーリー。このようなストーリーを構成するためには、いろんな仕掛けが考えられる。例えば、彼女は双子で死んだのは双子の一方だったとか、一度死んだ彼女がサイボーグとなって復活するとか、あるいはすべて夢でした・・・・・・とか。同じ題材で文才に乏しい筆者が以前に書いたものは、夢オチを使ったものだ。手に汗を握るようなサスペンスが、一転してギャグのようなオチに転ずる。この夢オチの手法は、不可能を可能にするために多くの場合に用いられる掟破りの手法であり、読者はまたかと食傷気味の感想を抱くことが多い。
例えばシュワルツネッガーが主演した映画「トータルリコール」で使われたのは、作られた記憶だ。リコールは、心理学用語では、記憶の再生を意味する。映画が終わった後、観客はすべては幻だったという見事なオチに、すっかりだまされたという感想よりも爽快感に近いものを覚える。うまく観客をだませれば、それは実体験に近似したものになる。脚本家の腕の見せ所である。
そして、この映画、とんでもない仕掛けで物語を構成している。それは見てのお楽しみなのだが、とうてい筆者には書けないような仕掛けだ。科学的に検証のできない奇想天外なストーリーは、ウソをつくにも才能が必要なように書くのが難しいのだ。ということで、言葉の奇術師を名乗っている筆者の想像のはるか先をいくストーリーだった。充分にその魔術師的な世界を満喫できる。それはまるで、高級レストランで食事をするようにだ。ただ、その女性に逢ったことのない捜査官が女性の遺体を見てデジャ・ヴを感じるのは今ひとつ納得できないが。