tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

奇跡の人

2007-10-22 19:34:13 | cinema

真の教育というのはある種の闘いなのだろう。1962年公開のこのモノクロ映画を観てそう思った。
たしか中学生のときに、リバイバル上映されたものを観たと記憶している。映画の内容をおぼろげに覚えていたし、しかも、健常者が障害がある人を演じているということで、この種の映画に対するよくありがちな印象を覚えていた。しかし、大人になってこの映画を再び観て、中学生当時の感動以上にモノクロの美しくも激しい映像に引きずりこまれ、物語を堪能することができた。年をとった分、ヘレン・ケラーの両親の心の動きやアニー・サリバンの気持ちが痛いほど感じられるようになったからかもしれない。そして、誰でも知っているクライマックスでのあの台詞に最初に観た時の感動が鮮やかによみがえった。

「ヘレンの悪いところは目や耳じゃありません。あなた方の愛と哀れみです」
ヘレン・ケラーは1880年にアメリカ・アラバマ州の北部、タスカンビヤの町近くで生誕した。父アーサー・ケラーはスイス人の血をひく南北戦争当時の大尉、母のケイト・アダムスは父より20歳も若い妻だった。ヘレンは、生後19ヵ月で原因不明の高熱と腹痛に襲われ辛うじて一命だけはとりとめたものの耳と目に障害が残り、3重のハンデキャップを背負う。7歳になっても学校から受け入れてもらえない彼女の元に、自らも目に障害を持つアニー・サリバンが教師として派遣される。食事中、誰の皿からも構わず手掴みで食べ物を取り口に入れるヘレンを見て呆れたサリバンは、家族を食堂から退去させ、悪戦苦闘の末、食器を使いナプキンをたたむことを教える。さらに、サリバンはヘレンにこの世界を認識させるため、物には名前があることを教えようとする。

「〈19世紀は二人の偉人を生んだ。1人はナポレオン一世であり、もう1人はヘレン・ケラーである。ナポレオンは武力で世界を征服しようとして失敗したが、ヘレン・ケラーは障害を背負いながら、心の豊かさと精神の力によって今日の栄誉を勝ち得たのだ〉作家マーク・トウェインは、ヘレン・ケラーをこう賞賛し、彼女を『奇跡の人』と呼んだ」(「偉人館-奇跡の人 ヘレン・ケラー」より)。
マーク・トウェインがヘレンのことを「奇跡の人」と称えたのだが、この映画でいう”奇跡の人”は、ヘレンではなくサリバンのことだ。野獣のごとく振舞うヘレンに、サリバンは傷だらけになりながらも体当たりで躾けを叩き込む。静寂と暗黒に閉められたヘレンの内面に、勇気と知性の光を投げかける。それは幼くして救貧院に収容され、体の弱い弟が死んでいくところを目の当たりにしたサリバンの生き方そのものでもあったのだろう。ハンデキャップを乗り越えて世界の平和運動に貢献したヘレンはもちろん偉大だが、それ以上に彼女に光を与え、導き、生涯を捧げたサリバンもまた偉大だったのだ。この2人が巡り会ったことこそ「奇跡」だ。
ヘレンは著書『わたしの生涯』(1903年)で「言葉の意味」を知った時の思いをこう語っている。
「私はその時、 w-a-t-e-r という綴りが、私の手の上を流れている、この素晴らしい、冷たい物を意味していることを知ったのです。この生き生きとした単語が、私の魂を目覚めさせ、光と希望と喜びを与え、(暗黒の世界から)解き放ったのです」
ヘレンはサリバンのことを聞く。サリバンは”teacher”と答える。師弟が心を開いて通じ合った瞬間だ。
サリバンはヘレンを教育しただけではない。その後ずっと、ヘレンの目の代わりをつとめ、指文字で通訳している。ヘレンが大学で勉強していた時も、講義の内容を指文字で伝えている。ヘレンへの献身は、死ぬまで続いたのだ。まさに奇跡の人。
The world is full of trouble, but as long as we have people undoing trouble, we have a pretty good world." 「世界には苦しみがあふれているが、苦しみを克服した人も同じくらいたくさんいる」。これは後年のヘレンの言葉だ。