その昔、夕方になると豆腐売りのラッパの音が路地に鳴り響いたものだった。
昭和の時代。豆腐屋さんは自転車の後ろに大きな木箱を乗せて,中に豆腐を入れて売りに来ていた。
豆腐屋さんのラッパの音が聞こえると、近所の家々のお母さんたちや、お使いのこどもたちが鍋やボウルを持って集まってきた。
自転車の後ろの箱には水がはってあって、豆腐屋のおじさんは、水に沈んでいる豆腐をそっとすくって持っていったボウルに入れてくれた。
今は多くの人がスーパーで豆腐を買うようになり、かつては沢山あった町の豆腐屋さんが減り続けている。
スーパーの豆腐といえば、大量生産で安いだけがとりえのような印象があったのだが、今では様々な商品が並んでいる。
有機栽培大豆で生産されたこだわりの豆腐を手に入ることもできる。
一方、下水道なんてほとんど発達してなかった東北の片田舎の町で、排水の悪臭に辟易しながら聞いた豆腐屋のおじさんの雑談の中に、外国から輸入した大豆で売っている豆腐が作られていると聞いて愕然としたことがあった。
大豆の国内自給率はわずか4%。ほとんどを海外からの輸入に依存しているから当たり前のことなのだが。
大豆は豆腐以外にも、味噌・醤油など日本の食文化に深く関わる加工品の原料に使われる。
なんだかおかしな話だ。
夕暮れ時の豆腐屋。ひょっとしたら高山で自転車とは言わず、軽トラに乗った豆腐屋さんに出会えるかと町をさまよった。
しかし、豆腐屋さんのラッパの音は聞こえてこなかった。昭和は音に記憶を残すのみ。
晩夏の高山の夕空に遠い日の想い出が浮かんだ。
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