バンテアイスレイとは「女の砦」の意を持つ遺跡。「東洋のモナリザ」と言われる美しいデヴァター(天女)で有名だ。かつて、フランス人のアンドレ・マルローがその美しさ故にデヴァターをフランスに持ち出そうとした有名な逸話がある。彼が22歳の時のことだ。このアンドレ・マルローは、ふしぎな人だ。
作家で、無茶をする冒険家で、政治家。ド・ゴール政権で長く文化相を務めた。代表作に『王道』や『人間の条件』がある。
バンテアイスレイまでの道は、一部、冠水していた。わだちにはまってスタックするバイクタクシーの後を押しして脱出させる、こずかい稼ぎの少年たちがいる。彼らは水先案内人のように、水面下の陥没した場所を教えてくれる。その道のりは牧歌的で、水を張った水田や砂糖椰子の林、高床式の民家の景色が広がり、川や池では子供達と水牛が水に浸かっていた。
遺跡には、まずは細密なヒンドゥー神話のレリーフが施された東門がある。人がようやく並んで通れるくらいの狭い門の柱には、複雑な文字をした碑文の様な文字が彫られている。大部分は赤い砂岩により建造。参道の両脇に貯め池があるが、全体的にこじんまりとした雰囲気だ。
中央祠堂の門衛神「ドヴァラパーラ」に守られて、北塔と南塔の周りに彫られているのが「東洋のモナリザ」。アンコールワットのものよりも彫りが深く、その姿はより写実的だ。
ちなみに、「女の砦」というから、「大奥」とか「女の園」と短絡的に想像したのだが、967年にラージェンドラヴァルマン王による着工で、その息子のジャヤーヴァルマン5世の代に完成。赤い砂岩による全体的にピンク色の印象と、デヴァターの像の柔らかな曲線から「女の砦」と名付けられたらしい。特に女性が奉られているわけではない。
帰路、駐車場に向かう道に牛のフンが・・・。「生地雷に気を付けて」とのガイドの言葉に笑い返したものの、顔がこわばってしまう。もう、彼らの中では、「地雷の恐怖」はジョークになるほど過去のものになりつつある。もちろん、その方がいいに決まっているが・・・。
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