tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

メガハートのダイバー(1)

2010-02-23 22:48:46 | プチ放浪 海沿い編

 
 
 
 

イントラ(水中ガイド)を先頭に、複数のゲストダイバーで潜るとき、その順列はどのようにして決まるのだろう。
中層を泳ぐ海域などでは、イントラを中心にV字型の雁飛行のフォーメーションも可能なのだが、狭い水路や穴を潜る場合は一列縦隊にならざるを得ず、誰が先に行くかの優先順位付けが求められることになる。
もちろん、イントラのすぐ後はなにがあってもすぐに助けてもらえるし、イントラが指し示す水中生物を真っ先に見ることができるので、このポジションの潜在的人気は高い。
その一方で、このポジションではレアな水中マクロ生物に遭遇しても、後から続くダイバーのことを考えるとじっくり心行くまで写真を撮るわけにはいかないし、なによりも、フィンで砂を巻き上げて、他のダイバーの写真の邪魔をすることがないように気を使わなくてはならない。イントラのすぐ後のポジションにも、一長一短があるのだ。
複数のゲストダイバーでどうやって順番を決めるのか、ネットでいろいろ検索してみたのだが、その順番決めに関する記述は見当たらなかった。
案外、イントラのああしろ、こうしろ、という細かい指示を煩がるダイバーが後方のポジションを取り、序列が自然に決まっていくのかもしれない。

ぼくのポジションは大抵、後のほう。フェミニストであるつもりはないのだが、チーム内に女性ダイバーがいれば先に行かせる。
(まあ、後に続こうとするのは、前を行く女性ダイバーの姿を堪能できるからだが・・・(コラ))
だが時によって、ダイビングの途中で先に行かせるつもりのダイバーが写真を撮っていて列に空白ができた場合など、臨機応変にぼくが先に行くこともある。
イントラがケアする初心者ダイバーの場合を除いてのことだが・・・。
列の間隔をあまりあけないこと。これは、先に行ったイントラをロストしないための方策だ。
抜かしたダイバーが列に戻って団子状態になれば、ぼくがまた順位を下げてもとの一列縦隊になることができる。

さて、この順位付け。ダイバーの心理とは面白いもので、この順位付けが心理的な優劣を生むことがある。女性ダイバーに多いのだが、ちょうどすぐそばにいたイントラの示す水中マクロ生物の写真を先に撮ろうとすると、猛烈な勢いでやってきて構図の邪魔をしつつ、割り込んでくる。
どのみち、水中マクロ生物の写真はピントが合ったためしがないので、ぼくはすぐに写真をとるのをあきらめるのだが、順番を飛ばされた彼女にしてみれば、わずかな時間とは言え、しなくてすんでいた撮影の順番待ちをすることでストレスを感じてしまうのかもしれない。


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横濱中華街 祝舞遊行

2010-02-22 22:59:43 | 港町 YOKOHAMA

 
 
 
 

今年は2月14日が旧暦のお正月、春節。この春節を祝い、横濱中華街では毎年、春節のイベントが行れる。2月21日(日)のこの日は、祝舞遊行。
このパレード。中華街の中にある幼稚園や保育園の園児たちによる子ども獅子と、横浜山手中華学校や横濱中華學院の生徒たちによる元気な学生獅子が先行。
続いて、中国の皇帝・皇后の華麗な衣装に身を包んだふたりを前に、その家臣や京劇の衣装の人々、獅子舞などが、中華街の中をにぎやかに練り歩いた。

帝廟通りから福建路、メインストリート中華街大通りに入るあたりは、カメラを持った人々が押し寄せてすさまじい混雑。立錐の余地なし。
少し遅れて中華街に着いたぼくは、出遅れのためにパレードの前半を早々に諦めた。
そして、後半ルートの南門シルクロードの歩道で、立ち並ぶ人々の後ろから望遠系レンズを構えて待ち構えていた。
西門通りを抜けてきたパレードは、善隣門を通って、メインストリート中華街大通りから南門シルクロードへ。
道の両脇には大勢の見物客が埋め尽くし、爆竹が鳴り響くたびに、歓声が上がる。
華麗な衣装で迫力いっぱいの演舞を繰り広げながら山下町公園でフィナーレヘ。
中国5千年の歴史と人々の熱気に包まれて、迫力満点・大盛況のパレードだった。 



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花沢の里

2010-02-20 22:34:43 | プチ放浪 山道編

 
 
 
 

「壁はみな鈍(にぶ)き愁(うれひ)ゆなりいでし
象(ざう)の香(か)の色まろらかに想(おもひ)鎖(さ)しぬれ、
その隅に瞳の色の窓ひとつ、玻璃(はり)の遠見(とほみ)に
冷(ひ)えはてしこの世のほかの夢の空
かはたれどきの薄明(うすあかり)ほのかにうつる。

北原白秋「邪宗門ー序楽(四十一年二月)」からの引用。

国道150号線バイパスを静岡方面に向かい、日本坂トンネルに差し掛かる手前で左にそれると、まるで時空を越えてしまったかのような錯覚を抱かせる風景に出くわす。
この道は、『万葉集』にも詠まれた最も古い時代の東海道(やきべつの小径)で、奈良時代には、日本坂峠を越えるルートが東西を結ぶ幹線ルートだった。
当時、東国の任地に向かう中央官庁の官吏や、九州の防衛のに向かう防人達、また、中央に運ばれる産品や年貢の荷駄隊が行き交ったことになる。
(街道の西は、村人たちが大井川の治水をお願いした「小川のお地蔵さん」で知られる海蔵寺があり、小泉八雲の小説「漂流」の題材となった「甚助の板子」が奉納されている。)

その古道の高草山と満観峰を結ぶ峠の山峡に、「花沢の里」と呼ばれる集落がある。
木曽路など日本の旧街道には、まだまだ当時の面影を残すという宿が点在する。しかしその多くは、土産物屋に改築された家屋に観光客が押し寄せる喧騒の中にある。だが、ここ「花沢の里」には、週末しか開かない(・・・ような)レトロな庭カフェ1軒だけがある程度。あくまでも静けさの中。

特徴のある家並みの多くは、長屋門造りというこの地域独特の建築様式で作られている。
明治の終わり、この花沢地区は輸出用のみかんの産地として栄えた。収穫時期に、たくさんの雇用人を住まわせるための建築様式らしい。
石垣を築いた土台に乗った形で軒が連なり、壁は木造板造り、最上部には真っ白な漆喰で壁を引き立てている。
家々のそばを流れるせせらぎは、静かな音を奏でて村人の生活の一部になっているようだ。

小雨に光る緩やかな坂道には、ところどころに無人販売がある。切干大根や、梅干。そして静岡市の青島平十氏によって発見された青島みかんが売られている。
家並みが途切れると菜の花や、雪やなぎ、水仙や梅が咲き乱れている。
梅雨のころはホタルを追っかけて、また夏の日にはひぐらしの声でも聴きながら、時を忘れてこの里を歩いてみたい。


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焼津さかなセンター

2010-02-19 22:59:16 | プチ放浪 海沿い編

 
 
 
 

プロが選ぶ観光・食事、土産物施設100選というのがある・・・らしい。主催は株式会社旅行新聞新社。
選考審査委員は、社団法人日本旅行業協会や、交通新聞社「旅の手帳」などの重鎮の方々。果たして実際の旅行者の意見が反映されているかは置いておいて、その店の知名度と評価は大方一致するのかもしれない。
ちなみに、
第1位は 浅間酒造観光センター (群馬県・長野原)
 そして
第2位 ザ・フィッシュ (千葉県・浜金谷)  
第3位 佐久乃おぎのや (長野県・佐久インター)
と続く。
「ザガット サーベイ 東京のレストラン」のように、プロらしい辛口の評価もほしいところなのだが、「プロが選ぶ」にはいろいろなしがらみがあり、できないのかもしれない。

さて、プロが選ぶ観光施設100選、土産物施設部門で16年連続表彰を受けているという焼津さかなセンター。
ここにかぎらず、ぼくは庶民の台所と直結した市場を見学するのが好きだ。
そこには多くの笑顔がある。輪島や高山、呼子、勝浦、函館の朝市。東京のアメ横、金沢の近江町市場、沖縄の国際市場、釜山のチャガルチ市場。
食が生活に深く結びついているだけに、こうした市場ではその土地の人々の息吹を感じることができる。
大型スーパーができて世界中から集めた魚を安く売ったとしても、各地から市場がなくなることはないだろう。市場はそれほど市民の生活に密着している。

市場での売り手の人々の「笑顔」は最高に素敵だ。あっけらかんとした明るい笑顔で話しかけられると嬉しくなってしまう。売ってやろうといった肩肘を張った感じではなく、初めての客にもなじみ客みたいに声をかける。そして、こちらが何かを迷っていれば、なんとか助けてくれようとする。冗談を言うと大げさなぐらいに大笑いしてくれる昔ながらの人情がそこにあるのだ。
人と人が目を見て話し合えること。ブログなんぞをやっていると、自分の気持ちをブログに書けたとしても、相手の共感によってさらに感動を深めるということができなくなっている。こうした場所に来ると、その大切さを改めて感じることができる。
そういえば、大沢たかおの「築地魚河岸三代目」で泣いたなあ。。逆境を乗り越えて人に認められる話って・・・好きなんだよね。また、曲げてそれを認める人たちも・・・。


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邪宗門 神経のにがき魔睡

2010-02-18 22:59:57 | プチ放浪 海沿い編

 
 
 
 

鎌倉・長谷交差点から長谷観音・長谷寺まで、蕎麦屋さんと雑貨屋さんが並び、その奥左側はお好み焼き屋さんと旅館一軒置いて土産物屋さんがある。
右側は骨董品屋さんに続いてうなぎ屋さん。そして、長谷寺の駐車場の手前には、かつて「邪宗門」という喫茶店があった。
最初にその店に入ったのは、30年以上も前のことだった。

喫茶店「邪宗門」の名前の由来は、北原白秋の詩「邪宗門秘曲」から来ている・・・らしい。
その「邪宗門 扉銘」には魔法のような次の3行の言葉がある。

  ここ過ぎて曲節の悩みのむれに、        
  ここ過ぎて官能の愉楽のそのに、        
  ここ過ぎて神経のにがき魔睡に。 
       
白秋は、キリシタンを「邪宗」としながらも、そのイメージが醸し出す一種まがまがしいエグゾティシズムに酔い痴れている。
邪宗門の店のドアを開けると、レトロ調の調度品が目に飛び込み、まさにエグゾティシズムの雰囲気があった。
・・・残念だが、今は長谷の店はもうない。数年前に小田原に移転したとのこと。

伊豆下田にも「邪宗門」という喫茶店がある。下田ダイバーズのダイビング・インストラクターに聞くと、ちょくちょくお客さんを誘ってコーヒーを飲みに行くらしい。
「いい店だから行って来なよ」
の言葉に誘われて、河津桜の写真を撮った帰りに一人で寄ってみた。

下田の邪宗門は、古民家を改築したお店だった。
南伊豆や松崎の方に古くからある白と黒の碁盤目が斜めに交差するなまこ壁の外観で、古風で独特の下田情緒をかもし出している。
店内は、古い小物や酒のとっくりが無造作に並べられていて、年代を感じる煤けた赤いポストがすえられている。
酸味の強い香りのいいコーヒーを飲みながら、店の奥さんのお話を聞いた。

下田は元々風待ちの港町。当時の家屋の多くは船大工の手によるものらしい。
両側を奥まで伊豆石を積み、その上に船底をひっくり返した様な天井が乗る。
土間、広間、座敷と並列した間取り。広間は板敷きで、土間と合わせて天井がない。太い梁が組み合わさって露出する。
その梁は自然に曲がった材を使っている。

かつて、作家の故・松本清張は、「花実のない森」で
「珍しい町の風景だ。近年、こういう古めかしい場所がだんだん少なくなっている。世に有名なのは、伊豆の下田と備中の倉敷だが、ここにもそれに負けないような土蔵造りの家が並んでいる。」
と江戸時代から明治の町、柳井を形容している。
伝統を感じる建物の中で静かにファインダーを覗き込むと、そこに違った時代が存在するような気がする。


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