tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

桜の下の花嫁

2010-02-17 22:47:33 | プチ放浪 海沿い編

 
 
 
 

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バンクーバーオリンピックのフィギュアスケートペアを見ていて、出場選手の中に彼女の姿を探していた。
あの「氷上のプロポーズ」で感動を与えてくれた選手の姿を・・・。

父を肺がんで失い、自らも同じ病に侵された彼女。
闘病生活を経て、再発の恐怖を相手の男性の励ましで克服。トリノ冬季五輪に出場し、2008年1月の全米フィギュア選手権で「氷上のプロポーズ」。
彼女は感涙していた。

残念ながら、彼女たち2人のペアは、オリンピック選考会を兼ねた2010年全米選手権で総合点でわずか0.60点2位に及ばず3位となり、バンクーバー五輪の代表を逃し、引退を表明していた。

彼女は肺がんを患ったものの、2001年に練習拠点を米国へ移転。このとき出会ったのが相方の選手だった。
2人は2004年の全米選手権で優勝。2006年には全米選手権、四大陸選手権を制覇し、トリノ五輪に出場。フリーでの失敗が響いて7位だった。

ネットで調べると2008年の全米フィギュア選手権で、演技を終えた相方の選手がひざまずきながら彼女の手を取り、
「残りの人生を一緒に過ごしたいのは君なんだ」
とプロポーズ。
彼女は突然の告白に涙ぐみながら、「はい」と返答したらしい。
新たな夢へ出発した2人。いくつもの感動をありがとうございました。
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さて、こちらは桜の下の花嫁。
国道136号線、南伊豆の日野交差点に差し掛かった8時半頃、すでに最高の光が菜の花畑に降り注いでいた。
ぼくはコンビにに車を止め、興奮気味に菜の花畑を撮った。
菜の花畑に降りた霜が、朝日を受けてキラキラ光っていた。

最近のカップルたちのウェディングに対する情熱は非常に強い。
年々、派手になっていく披露宴で、最近は「サプライズ」というコーナーがあったりする。
サプライズのターゲットは様々。カップルから両親へだったり、結婚式を挙げられなかった身内へだったり・・・。
ぼくは、花嫁の父親がたわいもなく泣くのを見るのが好きだ。
そして、涙でいつもファインダーが覗けなくなってしまう。。

ところで、花嫁がブーケを手に持っているのは、その昔、男性がプロポーズをする時、野の花を摘んでプロポーズをしたかららしい。
女性の返事が「OK」の時、花嫁がブーケの中の1本の花を男性の胸に飾ったのがブートニアの始まりだとか・・・。

今年のバレンタインデーは「逆チョコ」が流行っている。

このバレンタインデーの日。幸せな2人のカップルが、下賀茂地区を流れる青野川沿いにてウェディング写真を撮っていた。
新婦の輝く笑顔を見れば、チョコはどんなに甘くても脇役にしかならない。
二人の船出にエールを贈ります!
お幸せに!!!


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雪の船原峠

2010-02-16 22:24:44 | プチ放浪 海沿い編

 
 
 
 

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凄かったなあ、里谷多英。
冬のヒロインは2人も要らないのだろうか?
彼女へのイジメにも似た報道の少なさに、メディアがアスリートに求めるものの次元の違いを感じてしまう。
いつからなんだろう。5輪アスリートたちが、同時にアイドルじゃなければならなくなったのは・・・。

里谷多英の決勝の滑りを見てぶっ飛んだ。
インプレッシブとはまさに彼女の滑りを指すのだろう。
彼女の身体中から、攻撃オーラが発散されていた。
競技人生のすべてをかけた250メートル。
観客席からどよめきが起きるほどの圧倒的なスピードだった。
だが、そのスピードが最後の最後に彼女を表彰台から引きずり落とした。
第2エアのバックフリップの着地で転倒。転んでも33秒69を記録した。
競技には順位がつくのだが、その結果が彼女の滑りの価値を損なうことはない。

ぼくにとって、もっとも素晴らしい滑りはこの日の彼女の滑り。
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さて、バレンタインデーの週末。前日の氷雨から、つかの間、天気が回復し、雲間に青空が輝いている。
ダイビング後の高所移動は、24時間程度たってからというのがダイバーの常識だ。体から窒素が十分に抜けないうちに、飛行機や高い山に登ると減圧症になるからだ。
だから、ダイビング後にクラブハウスに泊まらずに帰る場合は、下田から小田原まで、伊豆半島の東岸を走る国道135号線を使う。
この電車と平行して海沿いを走るルートは、標高が300mを超えることがないので減圧症のリスクは考えなくてよいのだ。

下田ダイバーズのクラブハウスに宿泊。バレンタインデー週末の渋滞を避けるため、土肥峠・船原峠を越えて伊豆半島を横断する西伊豆バイパスを選択。
天気がよければ、行く手のかなたに雄大な富士山を仰ぎ見ることができる。しかし、この日は富士山は雲のベールに隠されて見えない。
南伊豆で満開の河津桜を楽しむも、途中の船原峠は雪景色だった。景色は一気に春から冬へ逆戻り。
土肥側からトンネルを抜けると、そこは一面の銀世界。
やはり、ここは海抜494mの高所だ。時計を見ると、最終のダイビングから24時間後まで、わずかに時間が足りていない。
減圧症の発症を心配して一瞬ヒヤリとする。

雲見で潜った後、下田のクラブハウスに帰る車の中で、時々、この高所移動の話が出る。
下田へ続く峠の標高は調べてあるのだが、どれくらいの高度だったかをいつも思い出せずにいた。
300m以上の高所はないということしか覚えていなかった・・・。

西伊豆の田子や雲見で潜った場合、東伊豆方面に抜けるルートとして、松崎から県道15号下田松崎線・婆沙羅トンネル(標高約260m)~国道414号・峰山トンネル(標高約180m)を経由して河津に至るルートがある。
地図上では伊豆半島の脊梁山脈を越えているように見えるのだが、300mを超えることはない。
渋滞を避けるため、早朝8時前、夜9時以降にしか走ったことはないが、雲見から県道17号~東名を経由して都心までの所要時間(4時間弱)はほとんど変わらない。
河津から伊東市八幡野まで、海沿いを窓を開けて海風に吹かれて走れるところがこの道路のいいところだ。
西伊豆からの帰りのルートは日本海洋レジャー安全・振興協会(DAN)などで議論されているが、このルートについては言及されていない。
下田ダイバーズが一押しの安全ルートなのだが・・・。


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期間限定の愛国者

2010-02-15 21:21:45 | プチ放浪 海沿い編

 
 
 
 

2/12(金) 雲見・牛着岩、  天候 小雨 水温 13.6℃ 透明度 20メートル
(1本目)スタンダード、(2本目)小牛洞窟、(3本目)大牛洞窟

2/13(土) 雲見・牛着岩、  天候 小雨 水温 15.1℃ 透明度 20メートル
(1本目)アウトサイド、(2本目)逆スタンダード(ショートカット)

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これから2週間ほどは、期間限定の愛国者となる。

昨日終わった女子モーグル決勝。
メダルが期待されていたこともあり、上村愛子さんの特集を開幕前からやっていた。
オレにできるかなっつうぐらいのキツい筋トレとかやっていた。
彼女が決勝のスタート地点に立った姿を見ただけで、うるっ

決勝での彼女の滑りは、間違いなく最高の滑りだった。
長野からの彼女の挑戦は、7位に始まり、1位づつ順位をあげていったことになる。
インタビューに答えた彼女の目には涙があふれていた。
それでも、彼女は気丈に、冷静に、笑顔で競技を振り返っていた。
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さて、水温13度の冬の雲見。小雨の降りしきる東京は、夜半に雪の予報だった。

カチンと音がするような冷たくきれいな海、それが冬の海だ。
透明度が非常に高いのだが、岩陰で目を奪われる黄色いチョウチョウウオなどの回遊魚が死滅しつくして、
やたらと閑散としている。
それでも、イソギンチャクがゆらゆら揺れる中に、 一匹だけ生き残っているクマノミ。
凍えているのだろう。ほとんど動かない。

冬の平日の雲見はほとんど貸しきり状態で、思ったよりも快適なダイビングだった。
海猿たちと合同訓練をしてきたというイントラ。彼のガッツは、海猿をしのぐはず。
そのイントラと2人で、雲見特有の地形の雄大さを堪能し、神秘的な冬の海を満喫していた。
いやーマクロにピントが合わない・・・ですよね!
また、ご一緒に。お願いします!


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平泉 古き都をおもひ出でつつ

2010-02-10 22:50:37 | 遠野(岩手)





「とりわきて心もしみてさえぞわたる衣河見にきたる今日しも 」西行

平泉は源義経が自害し、奥州藤原氏が滅亡した地だ。

30代半ば頃に父基衡の死去を受けて家督を相続した藤原秀衡は、豊富な資金力を背景として保元2年(1157年)に奥六郡の主となり、出羽国・陸奥国の押領使となる。
彼は、京都の鞍馬山に匿われていた義経を鞍馬山より招いて、京都、ならびに、鎌倉の武家勢力に対するいざという時の旗印として利用することを画策。

ところが義経は、兄頼朝が平氏打倒の兵を挙げると、あっさりとそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、その最大の功労者となる。
だが、帰洛後、洛中の警護にあたり、後白河法皇の信任を得、源頼朝の許可なく検非違使左衛門少尉となったため源頼朝の怒りをかい、平氏追討の任を解かれてしまう。
元暦2年(1185)2月、義経は、再び平氏追討に起用され、屋島、壇ノ浦に平氏を壊滅させるも、頼朝との不和が深刻化。
その年の5月7日、捕虜の平宗盛父子を伴って鎌倉に下向したものの鎌倉入りが拒否され、腰越に逗留。頼朝の怒りを解くため、大江広元にとりなしを依頼する手紙(腰越状)を送るも頼朝の怒りが解けず、義経への迫害が続く。
義経は全国に捕縛の命が伝わると、難を逃れ再び平泉の藤原秀衡を頼ったが秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てる。
泰衡が源義経を襲ったのは、勅令と頼朝公の指示にしたがったことによる。
衣川館では、義経と家来の者たちは、よく防戦して戦ったが、ことごとく討ち滅ぼされてしまう。義経は持仏堂に入り、まず22歳になる妻と4歳になる女子を殺害し自害。
戦の天才であった義経は、最後は敵と刀を交えることなしに果てたらしい。

義経は壇ノ浦で平家を滅ぼしたのだが、この結果、鎌倉の頼朝政権の建設を助けると同時に、奥州を巡る軍事バランスを崩してしまうことになる。
頼朝からすれば、当面の敵であった平氏が滅びたため、目標は奥州平泉だけとなったのだ。
おそらく頼朝の関心は、秀衡の動勢ただ一点にあったに違いない。
事実、頼朝は、奥州に間者(スパイ)を放って、秀衡の健康と義経の動向を報告させていたようだ。
 
義経は、日本の歴史を変えてしまえるほどの力を秘めた存在だった。彼の悲劇は、彼自身がその力を発揮しようとしなかったためと思えてしかたがない。
それから500年後にこの地を訪れた芭蕉は、義経の居館があったとされる高館の丘陵に登り句を詠むことになる。

「夏草や兵どもが夢の跡」

義経の時代よりも後に、ここにやって来た人々は、安倍氏清原氏、そして奥州藤原氏と約百五十年の間に渡って繁栄をした当時の様子を少しでも想像できるのだろうか。
それほどにかつての黄金の都は、鄙びてしまっている。一面に田野の雪景色が広がるばかりだ。

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冬の散歩道 YOKOHAMA

2010-02-09 22:54:37 | 港町 YOKOHAMA

 
 
 
 

あまりの陽気の良さに誘われて、カメラをもってYOKOHAMAを散歩。
よく晴れた空の下には、白い雪をまとった富士山が鎮座していた。
Bay Sideの散歩道は、ぽかぽかの日だまり天国。というか、暑いくらい。

波の向こうにゆらゆら陽炎がたっていた。

日本大通りを歩く。
冬に寄り添うように、枯葉の道を歩く。
枯葉が踏み締められる微かな音の向こうに冬はある。

「Time ,time ,time」
サイモン&ガーファンクルの『冬の散歩道』。
懐かしい唄だ。当時、素朴な演奏がやけに心をはずませた。

♪Hang on to your hopes, my friend,
  That's an easy thing to say,
  But if your hopes should pass away,
  Simply pretend that you can build them again.

  Look around,
  The grass is high,
  The fields are ripe,
  It's the springtime of my life♪

夢を持ちつづけよう・・・友よ
口にすれば簡単なことなんだ
もし、夢を失っちまったときは、
ただ、もう一度、夢を築くふりをすればいい

まわりをごらん
草は伸びて草原は青々としている
ぼくの人生は春なんだ。

 

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