もしかしたら鬼たちがぼくらの悲しみを持っていくかもしれないね。
山奥の鬼にも、きっと 誰も知らない悩みや
過去がある。
ひとは誰しも、好んで鬼になるわけではなおのだから。
鬼の抱える悲しみを知って投げる豆はいつもより重たい。
昔話の桃太郎は、鬼になにをしたかったのだろう。
悲しみ超えて再び出会うまで。
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東京で見る雪は♪
普段はなかなか見ることができない都会の雪景色。
雪国で育ったぼくは、小学校、中学校、高校と通学してた冬を通して、ひと冬に一度は雪道で転ぶ人を目にしていた。ただ、転んでも、なにごともなかったように立ち上がる。
みんな受け身が上手だったんだろう。転ぶ時も、ダメージを受けないように心の準備。
もっとも、体の硬い大人たちは、冬の間、家に閉じこもるか、やむなく出かけるときは車移動だったから、もっぱら転ぶのは反射神経が衰えていない若者たち。
田舎じゃ、「つらら」のことを「たろんぺ」って言ってたような。。
平安時代、「つらら」は「垂氷(たるひ)」。それが語源。
「日さし出でて軒の垂氷の光り合いたるに」
また、なんにでも和ものの名詞には「こ」をつけたっけ。
さすがに外国のもの、たとえばスマホなど、には「こ」をつけたりはしないが。。
平安時代のジモピー美人が「まんず、まいにぢ、さびなぁ」とか言ってたんだろうなあ。
これはこれで、めんこいかも。
したっけ。。
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明日2月22日は、にゃんにゃんにゃん。。( ^ω^)・・・
なんと「猫の日」なんだそうだ。
猫ブームに乗り遅れ気味だけど、ネコ写真を見に浅草まで。
スヌーピーびいきのはずが、レアな猫キャラも登場していたとなれば、 やっぱり、宿敵のネコと言えども少しだけ気になる。。
ちなみに、このネコの名前はファーロン(Faron)。
フリーダの飼い猫で、スヌーピーに嫌がらせをするために飼われたネコ。
いつも抱っこされてて、自分で歩こうとしないぐうたら。
そのファーロンよりも、チャーリー・ブラウンの隣の家の飼い猫が有名かもね。 その凶暴にゃんこの名前は「WWⅡ」。
いっさい姿を見せないくせに、スヌーピーの犬小屋を壊しまくる強者だ。
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朝、弘前を発車した秋田行きのリゾートしらかみは、雪の中を静かに走った。
古くはリンゴの貨物輸送ラインだった五能線も今はリゾートラインだ。
線路と平行に走る海岸沿いの道路に低層階の家並みが続く。
海沿いの街の変わらない風景。 目の前には日本海。
小さな待合室だけの無人駅がぽつんとある。
鄙びた駅舎、最果ての街という雰囲気が漂う。
映画「男はつらいよ奮闘篇」(1971年公開)のロケ地にもなった。
寅次郎を捜しに駅に降り立った妹のさくらの背景には海原が広がった。
江戸〜明治時代、日本海側を往復して蝦夷地と大阪を結んだ「北前船」。その風待ち湊として栄えた深浦。
青森県の津軽と秋田の海岸線をつなく五能線の主要駅だ。
波の音がホームまで届く、冬の海の見える駅だ。
その深浦駅を出ると、海や岩、美しい弧を描く海岸線などが目に映る。
秋田に入り、海岸線を離れれば、そこは白一色の世界。雪の降るまち。
春から秋にかけては農作業、そしてあとの半年は深い雪の中だ。
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「泣く子はいねがー、親の言うこど聞がね子はいねがー」「ここの家の嫁は早起きするがー」
奇声を発しながら練り歩き、家に押入って怠け者、子供や初嫁を探して暴れる。
子供のころ、テレビで見た「なまはげ祭り」の映像。訪れるなまはげを怖がって子供たちは泣き叫ぶ。
手には大きな出刃包丁、そして片手には生首を入れる手桶(と子供のころは思ってた)。
口べらしのために生まれたばかりの子を殺す間引きの歴史もあって、江戸時代から続くという「なまはげ」行事には、
理不尽な暴力をふるって子供や嫁を脅し叱りつけ、まわりの大人たちはそれを楽しんでいる印象しかなかった。
そうしたテレビの報道を見て、「なまはげ」はトラウマとなった。
子供たちを救ってあげようとする大人は一人もいないように見えた。
土地の人は、世界に誇る「古来からの道徳のしつけ」と主張するが、どんな理不尽でも権威には服従するということを教える側面があることは間違いない。
名目上は子供たちの健やかな成長のためみたいなことを聞くが、見る限り子供たちは大抵、尋常ではない怖がり方だ。
秋田の男鹿と聞けば、今でも少し怖い。
が、しかし、これは祭りの本質ではなかった。
実際は、家々で主人が正装して迎え、怒り狂うなまはげの問いに対し、家族のしでかした日常の悪事を冷静に釈明するなどした後に、酒や餅などのごちそうのもてなしをする。
家々の主人をヒーローに仕立て上げる茶番とまでは言わないが、少なくとも地域コミュニティの中で起こるトラブルに対し、冷静に話し合って解決策を探ための教育と言えなくもない。
つまり、泣き叫ぶ子供たちに祭りの本質があるのではなく、怒り狂う鬼に対して冷静に対峙する一家の主がこの祭りの本質だ。
さらに言うのなら、鬼に扮する若者たちは、最初は各家々になまはげが訪問してよいかどうかたずねたりという種々の雑用を担いつつ、ようやく一人前に認められてから「なまはげ」デビューと相成るらしい。
その「なまはげ」修行期間中に、狭い地域コミュニティでの無難な身のこなし方を学ぶこととなる。
つまりは、「なまはげ」は、仮想する天災などの理不尽なトラブルに対する処置訓練ということになる。
それならば、「なまはげ」は怖い存在でなくてはならない。
最悪なのは、祭りを歪曲して今も伝えるテレビ。今もなお、テレビ画面の前の多くの幼子たちに「なまはげ」に対するトラウマを植えてつけている。
そうした本質を伝えようとしない怠け者たちの生首を切って、手桶に入れて山奥に捨ててきてもらいたいと願う。
「ナマハゲさん、まんず、この餅っこで御免してくなんしょ」とか言っても、許されるもんじゃない。
今までしてきたその罪はめちゃくちゃ重い。
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