地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

採択

2008年07月05日 | 公民館
 


「団塊カフェ」が「市民提案協働事業」に採択された

 今朝は雷で目が覚めた。そしてその後雨が降り出した。館の中庭の山野草や私が植えた二種類の記念樹のことを考えると、雨は嬉しい。
 それにしても、昨日は4項目もアップしてしまった。今ずいぶんと悔いている。「昨日のことだが」とすれば、今日のアップで良かったのにと、悔いている。今後は、二項目を限度とし、できれば一項目でと考えている。ただ、これも、私のダイエットと同じで、「そのうちいつか、かならずきっと」となりかねないのだが。
 それにしても、今日は長い一日だった。朝10時20分~18時前まで、延々とプレゼンテーションを聞き続ける。そして、自分自身の発表時間は5分(質問を含めて10分以内)。

 そう今日は、「全国都市緑化おかやまフェア協賛会場 市民提案協働事業」のプレゼンテーションで、終日西川アイプラザに缶詰状態となった。何しろ39団体・個人が参加を申し込んでおり、そのすべの団体の提案に対して、各応募団体・個人も一票の投票権を持って、1/3以上の反対があれば参加不可という仕組みが作られている。行政が考えた「市民参加」の仕組みと感もなくはない。それでも、こうした市民活動を保障する仕組みは大切とも言える。
 私の参加している「あかれんがクラブ」が言いだし、岡山市公民館「団塊世代応援プロジェクトチーム」で取り組むことを前提に、先の「生涯学習フェスティバル」で出店した「団塊カフェ」を提案してエントリーした。団塊世代が頑張っている姿を世間に見せると同時に、団塊世代の方々の自分探しに公民館として応援し、かつ岡山市が取り組む全国規模の大きな行事である「緑化フェア」に公民館職員として、積極的に参加していく姿勢も見せたいとの思いからの応募である。

 今日の公開審査を受けて、応募した「団塊カフェ」は、幸いにも採択された。開催は、来年の3月~5月の「緑化フェア」開催期間中である。市内の公民館に発足している団塊クラブや男性料理のみなさんなどと力を合わせて、団塊パワーを発揮して楽しみたいと考えている。充実の日々だ。

 それにしても、今日もまた三項目となってしまった。書き始めた頃の反省はどこへ、だ。情けない、申し訳ない。
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團十郎

2008年07月05日 | 歌舞伎・演劇・バレー
 


市川團十郎が「骨髄移植」、病に打ち勝って欲しい

 昨日付の報知新聞芸能欄に、市川團十郎が、妹から「骨髄移植」を受けることを報じていた。彼が病に倒れたのは、2004年5月。息子・市川海老蔵の襲名披露興行のさなかのこと。その病名は“急性前骨髄球性白血病”。
 報知の記事によると、「投薬治療を続け、同年(筆者注;2004年)10月のパリ公演で復帰。しかし05年8月に再発。今度は自身の幹細胞を取り出して治療してから再注入する末梢(しょう)血の幹細胞自家移植を行った。この時、『無間地獄から戻った感じ。かなりきつかった』と壮絶な闘病を乗り越え、06年5月に復帰。」とある。そして07年3月には、パリ・オペラ座の歌舞伎公演を実現している。
 この07年のパリ公演は、NHKテレビでも放映され私も興味深く見た。そんな姿を見る限り、もう回復したのかと思っていたが、今度は妹さんから「骨髄移植」を受けるとのことだ。まさに、歌舞伎に魅せられ、歌舞伎と格闘するため、病と闘っている姿に感動する。是非とも頑張って、病を打ち負かして欲しいと願う。

 ところで、我が友人の義父が昨日心筋梗塞で倒れ、現在集中治療室で闘病中とのことだ。。一方読書生活に入っている友人は、既に「瀬戸内寂聴訳源氏物語」を既に四巻まで読んだとのことだ。そう言えば、先に洋裁クラブで半夏生を愛でていた時、何故か源氏物語の話になり、クラブ生のお一人は古典で全巻を読了されているというのを聞いた。

 みんなみんな、頑張っている。私も頑張っていきたい。で、私の場合、何に。それが問題なのだ。
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山田火砂子監督

2008年07月05日 | 映画・テレビ
 


「筆子 その愛」の山田火砂子監督にお会いした

 「緑化フェア」のプレゼンテーションの合間を縫って、「筆子 その愛」の上映会場である三木記念ホールに、山田火砂子監督に一目ご挨拶をと、お会いしに行った。そして、山田監督や出演している岡山の山田太郎君と一緒に、記念撮影をお願いした。その時、「ええ時だけ現れるからなぁー」と、厳しい叱責の言葉が飛んできた。

 その通り、このところそうした感じになっていることは自分が一番感じていることだ。今日は写真家の栗林慧先生が新見に来られており、夜難波由城雄先生も含めた懇親会に誘われていたが、参加できなかった。また私が副会長を務めさせていただいている「善太と三平の会」の、今日開催の一年一度の「総会的催し」にも出席できなかった。恥じ入るばかりだ。そんな中で、せめても時間的に調整のつく、山田監督へご挨拶に行ったという訳だ。

 しかし、「行かないよりは行った方がよい」との判断だが、他の人から見れば、「ええ時だけ現れる」感じと見えるのは、実に良く理解できる。自分がお引き受けしたり関わったものには、最初から最後まで参加できる、そんなことにはとうていできないことは十分に承知だが、それでも心苦しい。
 友人の笑いながらの「ええ時だけ現れるからなぁー」と指摘を、心して受け止めたい。そして、一つ一つにていねいに関わっていきたいと考える。我が人生は義理を欠き恥多き人生であり、反省しきりの日々だ。

 それにしても、したいことがありすぎて、身は一つ。人生の時間は短すぎる。
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